先日、展示中の殻々工房に来てくれた画家の内海聖史氏と話したのだけど、彼が「パネルは空間寄りのもの」と言っていた。記憶がちょっとあやふやだが、内海氏によれば、絵画は空間とパネルと絵画でできているという。これは恐らく展示空間と、基底材と、絵の内実、という事になるだろう。そして、パネルというのは、“絵”ではなく、展示空間に(より)属するものだ、という。この認識では展示空間や基底材が物理的なものであるのに対して、絵、というのは単なる絵の具の層以上の何かとして捉えられていて興味深いが、会話の流れで焦点になっていたのは、作品と概括して言われているもののうち、どこまでが「絵」でどこからが「それ以外」あるいは「絵を成り立たせるもの」か、ということだった。


その日の話の内容からは離れるが、これは少し面白い観点を産むように思う。内海氏の作品を見たことがある人ならピンとくると思うが、内海氏が極めて慎重にコントロールし管理する「展示空間」は、インスタレーション作家が扱う、所与の環境としてあるのではない。いわば画家にとっての基底材の延長としてあるので、そこをコントロール=操作・構築することは意思的な画家である以上、画家が木枠を組みキャンバスを貼ることと「同様に」当然だ、という認識があるのだと思う。ちなみにセザンヌのような、絵単独でなりたち展示空間を前提とせず常に移動可能な近代絵画に関して、彼は「それは、その時代を一緒に見ているから」成り立つ、という言い方をしていた。


要は、どうしたって人は歴史的文脈を抜きに絵を見る事はできないし、セザンヌを見る、という経験は、必ず「絵画単独」という思考がありえた近代の作品、というコンセプト込みで見るから成立するのだ、ということだろう。そして、彼としては、現在はもうそういう時代ではない、という思考をもっているのだと思う。この思考自体は疑問なしとはしない(というより僕はそういう考え方をしない)が、絵が置かれる場所を基底材の延長として捕らえている、という見方が当たっているなら、内海氏らしくて面白いと思う。彼は実は空間だけでなく観客までも「基底材の延長」として捉えているのかもしれない、と想像できて、この、自身を含めた全てをとことん「色彩の下」=「絵画の下」に配置してしまう作家の資質がかいま見える気がした。


なんでこんな話しになったのかといえば、僕の作品の「側面」は、絵の外なのか内なのか、という問いが発せられたからだった。今回展示している僕の絵は、最初床に画布を拡げてそのまま描き、後からパネルや木枠に貼っているので、絵の「内容」が側面(更に言えば背面)までまわりこんでいる。こういう場合、どこまでが絵で、どこまでがそうでないものなのか、というのは当然発生する問題だ。僕の認識からすれば、その区別は、事前に意図して貼られたキャンバスの場合、人(作家も観客も)の意識が自然に切り分けてしまう(放っておいても、パネルで括られた絵の「内側」というフレームを人は自動的になりたたせてしまう)が、実際はそのような区別は前提的に確定できるものではなく、その境界は曖昧だし、特に今回僕の行った制作のようなプロセスを辿れば、そのような区別はいわば事後的なものであることがはっきりする。


しかし、内海氏が言いたかったことは、そのような「絵の輪郭」が曖昧であった時、観客は「絵それ自体」に目がいかず、(絵ならざる筈の)絵の側面を雑(な)音として見てしまうので(つまりそこが相応に処理されていなければ絵自体が美しく見えないので)、余計なところに目を走らせないためにも、しっかりそういった部分を絵から切り分けるべきである、という事だったと思う。いろいろ留保は残したいのだけれども、絵を見てくれた人に、僕の考えていることがストレートに見えず、つまり問題意識が問題意識としてではなく単なるノイズに見えてしまった事は正面切って受け止めるべきなのだろう。


僕は上で、それこそ事後的に自分の考えを改めて述べている(なかなか現場で、限られた時間に極力見てくれた人の話しを聞きたい、と思いながら即座に自分の思考をまとめて述べる、というのは難しい)けれども、とにもかくにも、こんなに真摯な感想を聞ける事などめったにないので、内海氏の話しを聞きながら、僕は展示をしてよかったと思っていた。内海氏は明確に疑問点は指摘しながら、しかし絵画に対する姿勢においては変らず謙虚で、僕の気持ちにも十分配慮した上で、すごく一生懸命言葉を紡いでくれたので、ありがたかった。


ちなみにこの日は、車を使わずに埼玉から殻々工房まで行くとなるとどういったスケジュールになるのか、というシュミレーションを兼ねて行ったのだが(照明及び展示のチェックもした)、16:20に黒磯駅前をでる路線バスに乗って、会場もよりの広谷路(ひろやじ)というバス停で降りたら写真のような夕闇間近の時間になっていた。一年で最も日の短い時期ではあったのだが、そこからの徒歩20分は、半分は大通りでも残り半分は街灯もない雑木林の一本道で、西の残照もあっというまに消えてしまってむちゃくちゃ心細かった。終バスはやはり広谷路から19:13分に出てしまうので、内海氏にお礼を言って滞在時間2時間で帰ることになった(さすがに復路は殻々工房に19:00時指定でタクシーを呼んでもらって広谷路まで走らせた)。正直、車でなく電車で来てくださるつもりのある方には、来年4/29日、30日と5/4日〜6日にあるギャラリータイムをお勧めしたい。少なくとも春分の日は過ぎていさえすれば、雑木林も安心して歩ける筈だ。