昨年11月くらいに禁煙をして、もう二ヶ月以上は持続している。そろそろ禁煙成功を宣言してもいいんじゃないか。最初の2週間くらいは本当に辛かった。使うこともあるまいと思っていた禁煙パイポを2箱も買い、ガムはボトルで消費した。なんというか、序盤戦はありとあらゆる「間」でタバコが欲しくなる。そして、そのタイミングで吸えないとなると、延々とその飢餓感が頭から離れず、気持ちがタバコに集中してしまう。


もともと1日1箱というペースだったから、ニコチン中毒という程の感覚はなくって、その点の補助や医師の処方は無用だったが、そのかわり生活のリズムに埋め込まれていた「タバコを吸って間をもたす」「タバコを吸って気持ちを切り替える」「タバコを吸って集中を解く」、といったこと(文字通り一服いれる、というやつだ)を、ことごとく他の行為で入れ替えて行かなければならない。いわば常駐していたソフトを止め、そのソフトがこなしていたタスクを、いくつかの新しいソフトで代替しようとすることなのだが、身体の習慣というものは簡単なものではなかった。


頭の中に入れておいたのは村上春樹のエッセイの1フレーズで、「ダイエットをしているときに他のことは一切我慢してはいけない」というものだった*1。これは禁煙でもまったく当てはまると思っていたから、食事も間食も好き放題放慢な消費をすることにしていた。禁煙すると太る、と聞いていたから、事前に3kg程絞っておいて(炭水化物を抜いて2週間過ごした)、そこから開始した。さぁ好きなだけ喰って呑むぞ、と決めていたら、なんと意外な事に酒が一滴も飲めない。


正確に言うなら、酒を呑むと確実にタバコが吸いたくなるから、呑みたくても飲めない。これがストレスに拍車をかけた。一度絞った体重が増えるのも業腹だったから、何か口寂しくなったら比較的炭水化物と脂質がひくい間食*2を食べ、シュガーレスガムを噛み、禁煙パイポを噛み潰した。那須の展示の準備と重なったのは案外よかったかもしれない。禁煙の敵は間、すなわちヒマだ。何かにかまけているのは比較的有効だと思う。だが、今度は眠れなくなった。睡眠前の飲酒が常習化していたから、その酒が飲めなくなって、いわば眠りにつく前の“儀式”が崩れてしまった。こういう「副作用」をのりこえるのが、なんというか面倒くさくなってくる。それでも踏み止まっていられた。


とか言いながら実は、禁煙初期、はじめて1週間目の頃に一度だけ吸った。殻々工房に会場の下見に行ったのだけど、そこで呑んだ酒がやはり美味しく、食事も旨かった。一応店では吸わずに過ごし、上機嫌で山を降り、黒磯駅で列車が来るのに20分以上間があることに気付いたとたん、猛然と吸いたくなった。酔いが自分を甘くしていた。真直ぐ売店に行って、マイセンの6mmと100円ライターを買って、躊躇せず封を切り、一本取り出して口にくわえ、火をつけて吸い込んだ。急激に、脳が圧迫された。もろに血管が収縮し、血液がキューっと引き絞られる感覚があった。目眩がして、ベンチに座り込んだ。もう一息吸った後はあまり覚えていないが、父親の事は思い出していた。彼は止めていたタバコを北海道旅行で吸い、帰宅してすぐに脳硬塞で倒れた。そこから入院しっぱなしになり、3年で死んだ。とりあえずタバコもライターも真新しいままゴミ箱に捨てて、あとは苦しかろうがなんだろうが、吸わなかった。


年末に酒の席を2つくらいこなして、そこでタバコが欲しくならなかったので、あ、山を超えたなと思った。年が開けたら晩酌も再開した。ごく普通にタバコ抜きで呑めるようになった。体重はまぁ多少戻したが、許容範囲内だろう。ガムは消費量は減ったが、一応手元に置いてある。そのくらいで、生活は以前のリズムに戻った。我ながら可笑しいのだけど、ガムや酒で一息つくとき、なぜか喫煙していた時と同じようにキッチンに行って換気扇のスイッチを入れ、換気扇に取り付けられている灯りをつけている。灯りはともかく、換気扇そのものはまったく意味がないのだが、なぜかその一連の行動をとってしまうのだ。刷り込まれた条件付けというのは恐い物で、こういう形式をふまないと、やはりリフレッシュできないらしい。一度覚えた行動をくり返しているうちに形式化して儀式になり、迷信みたいな宗教が発生してそれをこなさないと安寧を得られなくなったおろかな原始人っぽいが、このくらいのことは良しとした。


制作に影響があったかというと、特になかった。以前は友人に「制作とタバコは一体化してるから、禁煙なんて考えられない」とか言っていたのが嘘みたいだ。でも、ちょっとだけ寂しい感じがある。そもそもタバコを覚えたのは美術予備校に行っていた頃で、3浪4浪5浪としている、やたら上手に見えた昼間部生達が、男女問わず汚い廊下のすみで煙りを立ち上らせながら話しているのがカッコ良く見えた。こういう死ぬ程幼稚なアコガレが元だった。そこから、やはり結構な年月、制作とタバコはある種のタッグを組んでいたと思う。ダメな時だろうが乗ってる時だろうが、絵の具とタバコは相当近い距離にあった。その時間の堆積を考えると、感慨深いものはある。


ちなみにタバコを止めたとたん他人のタバコが疎ましく思えるという話しがあるが、僕にはそういうのが全然ない。禁煙が苦しかったころは路上喫煙者の後をついていって副流煙を吸いたくてしょうがなかったが、さすがにそれはなくなった。とはいえ女性が美しくタバコを吸っているのは変らずに素敵だと思うし、大抵のシーンで人のタバコが気にならない。というわけで、僕を裏切り者と考える人は遠慮なく今後も吸ってください。1本くれよ、とたまに軽く言えるくらいに僕の禁煙は完成したと思います。

*1:この人の本は、評価は別として時々すごく有用なことがある

*2:理想的なのはホタテの貝柱を干したものだが高価すぎる。僕はイカの薫製とか、魚の薫製とかにした