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ずいぶん前の話しだが、ギャラリーが集まって開いたアートマーケット「art@agnes」に行っていた。画商や一部インデペンデントな団体も混ざっていたらしいが、ホテルを借り切って各客室に作品を置きホワイトキューブではないリビング的空間でアート作品を見てもらい、その場で即売しようという企画だったようだ。ここに出ていた作品のほとんどが、幼児退行的なゴミのような作品だったということを指摘して批難することに意味はない。ビジネスマン達はゴミをアートだと勘違いしているのではなく、今日本のアート市場ではゴミの方が売りやすいと思っているから懸命にゴミを売り立てているのであって、ごく一部に相応の水準の作品があったことも、要は作品というのはほとんどがつまらず、一部が面白いという、美大の学園祭から国際的アートイベントでも共通の構図を反復しているだけだ。
日本に従来型ではないアートマーケットを作ろうという動き自体は悪く無いと思う。僕には全く関係ない話だが、以前もここで書いた通り日本は美術に関する場というのが壊滅的な状態なのであり、そういう中でなんでもいいから状況を動かすものがあるのであれば、好きにドンドンやってくれ、と思うだけだ。一部にアメリカ型自由競争経済がグローバルに展開していることが、ローカルな、あるいはパブリックなアートというものを破壊しているのだ、という議論があるが、少なくともこのイベントに関しては、規模も内容もそういう論点は問題にならない。現状市場主義がアートに悪影響を与えているのはむしろ公共美術館の独立法人化に伴う定見なき対応の方とかで、「art@agnes」に参加していたような一部の画商がやっている“ビジネス”は、そのほとんどがアメリカ型と言える内容でもない。むしろ十全に日本的な、一部でギルド的な共同体を作り、グローバルな市場に個々に丸裸で対峙することを回避しながら「上手くやって」いこうとしているのであって、どこもアメリカンではないだろう。
大事なのは、作品で持続的に食べられる作家が一人でも増えることだ。例えその多くがゴミ製造者だったとしても、そういうのはある程度マーケット自体が数年の単位で順次廃棄/再生産していくだけだろう。全体のパイが大きくなって一部の良い作家が確実にましな環境を手にできればいいのだし(結局、どうやっても9割はつまらず1割がまとも、という構造は変らないだろう)、更にそういう数少ない作品が国境を超えて出て行くことがあればポジティブなことだ。公的な援助、例えば今新宿の損保ジャパン美術館で見ることができる文化庁の在外研修員制度で海外に行った作家の作品だって9割はやはり下らないし(こっちは妙に工芸的だが)、そうは言いながら一握りの相対的に良い作家がなんとかかんとかやっていっているのは否定すべきことではない。市場にあぶれた人がルサンチマンで“売れっ子”を揶揄するような場面を見る事もあるけれども、華やかそうな“売れっ子”の経済的実情は悲しいくらいつましいもので、その僅かな金と引き換えに、彼等は有形無形様々な自由を売っている。つまらない作家を無理に支持する必要もないが、無駄に足を引張るようなことをしてもせんない。
論ずるべきは「art@agnes」のビジネスの質だろう。売れたか/売れなかったか、売れたとして利益が出ているのかが試され、さらに資本として再投下-再回収-再々投下、という回転運動が可能か、と言うことが問題になる。それが上手くいかなければ、僕が上で書いたようなことも意味を失う。売り上げから原価+諸コストを差し引いた純利はどのくらいなのか、といった事はイベント全体から各団体ごとに至るまでそれぞれ違うだろうし知りようもないから言えないが、人集め興業としては成功したのではないか。気軽に行ったら入場に30分待ちの盛況で、内部は混雑して息苦しいほどだった。というか、若干成功しすぎというか、せっかく足を運んでみた「新しい顧客層」があの混雑にまみれたら、ちょっと逆効果になるんじゃないかと思う。簡単に言うと、一般の流通業、GAPやユニクロ、果てはイオンの郊外巨大ショッピングセンターや都内の百貨店の動向とくらべると、「art@agnes」のやっているビジネスは、あまりにも単純でマーケティングが洗練されていなさすぎ、集まった人数に対して現実的な販売機会を失い過ぎていると思う。
一般の小売り業では、例えば薄利多売の量販店と高額商品を扱い外商を持つ百貨店の区別があり、その中でも細かい階層構造がある。量販店のイオンが今展開しているのは、従来型店舗での値引き合戦から場所を郊外に移してそこで映画館やCDショップetcなども組み込んだ超大形ショッピングセンターで、膨大な数の中間層をとにかく量として呼び込み、30代あたりの若いファミリーの、一種の娯楽施設として「半日遊べるがディズニーランドより気楽」という付加価値をつけていくという戦略だ。子供も夫も時間をつぶせる場所で夕飯の買い物が済むなら、多少高くてもそこで用事は全部済ませてしまう若い母親が、単なる安売り競争とは違う消費行動を見せる。対して新宿の小田急や伊勢丹などの百貨店が行っているのが、思いきった客単価の引き上げと女性偏重の衣料品販売のバランスの回復で、定年退職前後の有産の50-60代の男性をコンスタントに(その妻も同伴させて)引き入れようとしている。ここではボリュームやスペースといったものよりはパーソナルでラグジュアリーなサービスが求められるし、売り場イメージから個々の商品の高品質化は30代の働く独身女性向けのサービスでも平行して行われていて、一時ユニクロなどと競合してしまった事を踏まえて、百貨店というカテゴリの自立を指向している。
「art@agnes」で見えないのは、こういう客層の分析とそれに見合ったサービスの階層化だ。一応汲み取れる意図としては、一般家庭の空間に近い形で、自分の家にアート作品があったら、といったイメージを喚起することで新しい顧客を開拓しよう、ということで、経済レベルとしては中より上、文化階層としては画廊巡りはしないが森美術館はデートついでに数度行き(国立近代美術館には行ったことがない)、メディアで村上隆はじめとするアート界亜ネオコンの活動を見聞きしていて都内のマンションに住み、ヨーロッパ的ではないアメリカ保守層に近い価値観を持っているような人々がターゲットになると思う。「グッドフィーリング」を大事にした上でややスノビッシュな趣味を持っている、あるいは持ちたい人で、なおかつ旧来の画廊システムに入ってくるのには抵抗がある(古典的富裕層から文化財消費のレクチャーを受けるようなポジションにはいない)、という層だと想像できる。ここで大事なのが「気軽に」「親近感をもって」アートを購買できる場をどうセッティングするか、ということで、やや隠れ家的なホテルに目をつけたのは悪く無い。
過去に実績があって規模を拡大してきたのも、一定の成果なのだろう。これが当たり過ぎてしまったのが今年だ。読み間違えは多分口コミに近いネットでの評判で、ここで予想外の集客をしてしまったのではいか。はっきり言って、あの混雑の中、自分の家のリビングをイメージしたゆったりした気分で、アート作品を所有する、という感覚を持てる人は少ない。どっちかというと、バーゲンセールみたいな熱気にあたって不本意な買い物をしてしまった人とか、興味半分で来た人があまりの疲労に酔ってしまったかだと思う。たぶん「敷居」の上げ方/下げ方に工夫が必要で、こういうコントロールが効かないところに日本のアートマーケットの「とにかく人が来ないと安心できない」という心理が覗ける。大事なのは、来た人数を購買行動につなげる事で、しかも一度来た客を次に繋げる事だ。単純に言って、同じ事を数回やったら非常にまずい。アートにお金を払っても良いと「気軽に」考えていた人々が、作品以前に流通/販売サービスにうんざりしてしまう。
人が来たのは「面白そうだ」と思ったからだ。けして「お買い物に来た」という人が多かったわけではない。ここで判断が迫られるわけで、とにかく集客を重視するなら「場所」「期間」を練り直すべきだ。アートイベントで「面白そうな場所」というと出て来る倉庫や古い建物の再利用はもう飽きられていて、ホテルというのが新鮮だったのだから、もう少し床面積の大きいホテルにするか、そうでなければ期間を延長すべきだろう。逆に人数を絞って効率化を計る、という選択肢もあるだろうし、僕はたぶんこっちの方が将来性があると思う。ビジネスの拡大路線はジャンルに限らず持続性が難しいし、アートという商品の質を考えても、イオン路線というよりは百貨店路線が向いているだろう(その間のGAP、あるいはAppleくらいか)。問題は、旧来美術市場に向かわないニューリッチみたいな層をどう絞るかで、会場は同じくしても、質の高い客(ちゃんと買ってくれる客)を確実にゲットしなければならない。
簡単に思い付くのはアナウンスの適格化、たとえば都内に新設されている高層マンションの住人に重点的に知らせるとか、そういう方策が効くのではないか。少なくとも入場料500円はおかしい。安すぎる。これでかなりの無駄な客層(僕とか)を集めてしまった。ここはちょっと頭を使って、事前に絞った有望層にはチケットを送っておき、一般客からは高い入場料を取るというのが手としてはある。あと、たぶんやるべきなのがカタログの作成と販売、そしてそのカタログを通しての通販の実現で、ライトで美術慣れしてない人が来たところで、その場で買い物をするのは心理的にも難しい。興味があればまずはカタログを買うだろうし(2500円くらいに設定し、これの売り上げ自体が利益を産むようにすべきだ)、それを持ち帰って改めて発注する、という販路は可能性があるのではないか。PJ(ピーチ・ジョン)と同列に考えられるとも思わないが、webを通じての販売も可能性がある。なんといってもコストがかからない。以前、フェリシモがコンテンポラリーな版画家の通販カタログを作っていたことがあるが、多分あれは失敗したので、そのへんの反省点などが改めて検討できるといいと思う。芳名帳は置いてないところが多かったが、戦略あってのことだろうか。
カリスマバイヤーとか言われて福助を立て直し、IYに行ってウヤムヤなことになった人とかはいらないが、ごく普通の企業にいるマーチャンダイザーみたいな人がアート界に何人かいれば十分なのだと思う。そういう人がきちんと考えてくれているなら、僕みたいな素人がこんな事かかなくてもいいだろう。いるといいな。そういう人。もう一つ言っておけば、子供の落書きみたいな作品が効果を発揮するのは近代美術館の中であって、日本のリビング的空間にそれを置いたら、本当に子供の落書きにしか見えないのだ、という当たり前の状況(国外のアート所有の慣習がある富裕層の住空間はまた別途なのだろうが)に、なんで皆が気付かないのか理解できない。もうすこし、シリアスな作品を扱ってみてもいいはずなのだけど。