道具について。絵画において、表面を形成する絵の具、あるいは基底を為すキャンバスなどは原則的に目に見えるが、それらが造形されてきた過程において介在した数々の道具は、完成作においては姿を消していて目に見えない。しかし、木材であったり絵の具であったりしたものが「作品という現れ」を見せたのは主に道具によってなのであり、道具(正確にはその使用)こそが絵画を組織している。絵を描くというのはまったく単純な意味で“道具をいかに使ったか”という工程の結果としてあるのであって、すなわちどのような絵を描くかとは“道具をどう使うか”という課題に他ならない。


一方、ことに日本の工芸的絵画の世界では、むしろ道具は隠蔽され、さも制作途上において、道具の存在などなかったかのように見せる事こそが「こだわり」の結果の「完成度」を表象するものとして評価される。例えば現代絵画においては、そのプレゼンテーションの巧みさとは、まずパネルへの画布の固定の痕跡をとどめないことによって計られる。キャンバスの側面のタックスが見えず、裏面にガンタッカー等で「隠して」基底材を構成することこそが「美しい処理」として、ほぼ画家達の基礎教養として定着している。美しくキャンバスを張ることこそが(美しい)絵画の基本条件であり、あたかもそれができてしまえば「(美しい)絵画」は半ば出来上がってしまったかのようだ。


手仕事の痕跡をとどめない、いわば純粋な視覚体験を提供しようとする(料亭の職人のような)サービス、というよりは「形」の整え。様々な技が、しかしそれを当然支えていた筈の労働を消し去った上で中空に突然出現したかのようなエフェクトの演出は、日本における絵画が、まさに「芸」の「術」として教育されてきたことの見事な達成だと言えるだろう。文字通り、(美しい)絵画とは、(美しい)芸を見せる術なのだ。そのような文化(この国の絵画はARTの問題ではなく文化の範疇になる)において、絵画は漆芸とほとんど区別がつかなくなる。どこまでも滑らかで、段差(差異)がなく、物質性が消去され、イメージだけがあるような絵画は、今なにかと愛好される琳派(RIMPA?)の巨匠の代表作の一つが、漆芸であることの必然的な帰結といえる。


むろんこれは絵画の側面だけの話しではなく、表面の話でもある。かつても今も、日本の主だった絵画とは原則的にイメージ中心だった。ここでのイメージとは、とりあえず絵画の画面が「(過去に見知った)何事かに見える」というような程度のレベルだと言える。それは、絵画が観客にとって「自分が知っている“何か”」と接点を持っていると思え、その結果、初めてみる筈の未知の絵画が、既に知っている“何か”(それが風景であろうが事物であろうが感情を仮託できるような記号であろうがかまわない)に変換され、独立してある筈の絵画が、イメージを仲立ちして観客に「滑らかに」接続され回収される、そのような体験こそ「良い絵画を見た」というお話の中身にすぎない。いわば、未知の他者としての絵画が、イメージを介して親しい既知の自己の一部として観客と和解し融合する、といった物語り(ドラマ)の感動的体験こそが尊重され、画家はそのようなドラマを提供するエンターティナーとなる。


話しを抽象的にする必要はない。むしろ即物的(唯物的)に道具を用いて労働することこそが、まずは絵画を描くという事なのだと認めよう。しかも、その道具/労働の存在を消去することがないように。「道具」が引き起こす状況、メディウムの変成、あるいは「基底材への爆撃(デリダ=アルトー)」を追尾することこそが絵を描くことの内実なのであり、その爆撃の痕跡から、自らの既知のテリトリーを爆撃してみせる事こそが絵を見ることの内実だ(そして、絵を見る事によってしか絵を描くことはできない)。たとえば、マチスが晩年、ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の仕事において用いた、長い柄によって延長された特種な筆などは、ある視点からすれば「筆」という機能がもつ特性の極大化、筆という道具がもたらす状況の増幅が追尾されたと言って良い。近似の試みは、ブライス・マーデンやロバート・ライマンにも見られるし、ロダンが、まるで手術跡のように人体彫刻の表面に禍々しく残してみせた鋳造の接合線、あるいはあからさまな「削り出しの途中」で手を止められた大理石の作品にも、いわば彫刻における「道具(労働)」の顕現が見てとれる(むろんミケランジェロにおいて、そのノミの痕跡はほとんど意図的に残された)。


日本の近代絵画においても、このような試みがなかったわけではない。むしろ、相応に活発に行われた事もあるのだが、その成果は「見事なイメージ」をサービスしてきた「上手な賢人」の陰に隠れている。山田正亮が正統に評価されてこなかった理由が、まさか100%本人の振るまいの結果だと今思っている人はそうとうナイーブだと言い得るし、高松次郎は、一躍人気となったハイレッド・センターでのイベントや影による錯視の絵画の仕事よりはキャンバスを二つ金具で繋いでみせた「複合」シリーズなどにおいてこそ評価されるべき存在だろう。たとえその根が独特のキリスト教神秘主義から発しているとしても、小林正人の90年代の仕事は、ロマン主義的な側面をあえて無視して絵画の基底(基底材、とは違う)の分解として見てこそ意義あるものとして語られる。だが、このような試みは、例えば小林正人などにおいては後の本人によって「イメージ帝国主義」の下に(まるで画布を止めるタックスのように)隠蔽されることになる。


僕が今制作している銅版画用のゴムべらを用いた作品も、改めてゴムべらという道具がもたらす状況を追う為に召還されている。2005年の個展でも用いたこの道具は、僕の銅版画制作の経験と、野沢二郎氏のスキージによる制作から受けた影響の接合点から生まれている。野沢二郎氏のスキージは、絵の具を揺りうごかし振動させることで絵の具を分解し、再定着させて質を確保する。リヒターのアルミ板上に絵の具が引かれている作品と一部通低する(野沢氏のロマン主義的な姿勢は徹底したニヒリズムのリヒターと正反対の表面を形成するが)。銅版画用ゴムべらの、のっぺりとした盛り付け、引き延ばし、けずりとり、表面の滑空(圧をどこくらい加えるか)などを検討しながら、制作は進行している。道具には無論身体も含まれている。那須に展示した去年の作品などではそこが焦点になっているかもしれない(道具は脳以下全てか?四肢から先が「筆」なのか?指が「同時に身体に接続された複数の筆」なのか?皮膚だけが筆なのか?脳は筆ではないのか?目の有り様は?)。いずれにせよ、こんなことは考えても描けない。描くことで進めるしかないのだ。