ちょっと前に埼玉県立近代美術館に「巴里憧憬」という、まんまなタイトルの展覧会を見に行って思ったのは、なんというか、マイナーな人間の悲しみみたいなもので、こういうのはちょっと背中が寒くなるというか、今でも切実なものとして感じられる。要は戦前のパリが「美術の本場」だった時に、その「本場」でひと旗上げたいとわらわら集まった日本の美術家達の作品を、エコール・ド・パリの裾野の一部として(というか実際にそうなのだが)位置付けて概観するというもので、そんなにビックネームではない人々の作品が、フジタやスーチンやモディリアニなんかと一緒に展示してあった。結論から言えばこのような「ビックネームではない人々」の作品がつまらないのだ。下手とか上手いとか以前に「メジャーな場でメジャーになりたい」という焦りが作品をどんどん通俗的・表面的にしていってしまうといったありさまで、せっかく?のパリ滞在にもかかわらず、ものの見事に当時受けるべき衝撃を回避しているという、なんというか「田舎モンが都会人を気取ろうとして上辺のおしゃれで失敗した」という物品の大行列だった。


今はなき若林直樹氏の「退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史」という、コンプレックスの横溢がほとんど読むのを不可能にさせる、これまた悲しい本(悲しいだけでなく、はっきり言って悪書であり害になる本だ)があるのだが、この本の序盤で(なにしろ僕は序盤しか読めなかった)唯一印象に残った指摘が「パリに留学した安井曾太郎は、当時の最先端だったピカソなどにまったく影響を受けず、保守的古典派の教師の教えだけを持ち帰った」というもので、ほぼそれに近いことが、そのころ全面的に発生していたのだなぁ、というのが実感だった。要はパリに赴いた多くの画家たちが見たのは「美術」ではなく「人気」で、当時のパリで「人気」なのは保守的なサロン、それと相補的なアカデミー、あるいはメディア受けする通俗画となるから、「人気」にしか興味がない田舎者は皆サロンを目指すかアカデミーに固執するか通俗画しか描かなくなる。誰一人としてそれこそマネ・モネ・ピカソやブラックといった“可能性の中心”に興味を持たない。金子光晴の絵があったのは、話題としてはネタになるかもしれないが(どこで?)、あまり面白くなかった。土田麦遷の作品も良いものではなかったし、田中保は色彩は比較的上品かもしれないが、佐伯祐三とかはもう全面的にどうでもいい。


僕は以前、レオナール・フジタを大した画家じゃないと書いたが、こういう中で見るとフジタは相対的にそれなりの画家だと言わざるをえない。フジタもそうだが、通俗性が抜きがたくあるエコール・ド・パリの画家達でも、モディリアニやスーチンといった「聞いたことのある画家」は正直一定水準より確かに上だ(僕はあまり彼等の絵が好きではないが)。ここでビックネームより見知らぬ画家に新たな感動とかおぼえていると話しとしては面白いのだが、現実は厳しいというか歴史はおよそ正しい、ということを追認するしかない。この頃の有名無名の画家達の抱えていた条件は基本的に今だに僕(達)を縛っているわけで、溜息が出る。モディリアニはイタリア人だが、スーチンはリトアニアの人だしシャガールベラルーシ出身で、田舎者という点ではかわりがない。ローランサンは最高のパリっ娘かもしれないが私生児だ。彼等が「人気」に一顧だにしなかったということもないだろう(まぁ売れに売れたローランサンと違って、モディリアニなんか、彫刻で挫折して絵画も売れずに結果的に極貧だったわけだけど)。結局、問題なのは才能だけだという、絶望的な結論しか見えてこない、いろんな意味できびしい展覧会だった。反面教師として有意義だったと言い換えてもいい。


この展覧会でアバンギャルドと言えたのはわずかにブランクーシ、リプシッツ、ザツキンらの彫刻家で、どうしたってその造形の厳しさは群を抜いている。モディリアニの彫刻も一点あって、これはなかなか貴重な機会だったが、アフリカの影響を受けた作品はやはりアバンギャルドの手前で止まっている(ピカソジャコメッティも、真にアバンギャルドたりえるのはアフリカの影響を受けた「後」で、そこを通り抜ける前にストップしてしまったモディリアニには固有の限界があるかもしれない)。上記のスーチンやシャガール、キスリングなどもそうだが、この頃美術史に大挙して出てくる東欧・ロシア系列(しかもユダヤ系)の人々が20世紀初頭に果たした役割は根本的なものだ。しかし、なぜこの時期に、ヨーロッパの東から出てきたユダヤ系の芸術家が集中的に目立つのだろう。関係ないが、ローランサンはモロに通俗的(しかも売れっ子)なのに悪く見えない、という変な画家で、たぶんあの色彩の扱いが、僕はどこかで好きなのかもしれないが、ローランサンの色が好きなんてことを書くのは少し恥ずかしい。


常設の方に山田正亮氏の作品が3つあって、内一点がとても良かった。こういう所に所蔵されているのを見ると、府中市美術館というのは本当に良い展覧会を企画したのだなぁと思う(あの展覧会がなければ、山田正亮なんていなかったことにされかねなかった)。あとはフォトグラムの小特集で、モホリ=ナジが見られたのが収穫だった。マン・レイも含め、瑛九との絡みで所蔵しているのだろうが(埼玉で高校の美術部にいた時、美術館につれていかれると瑛九は基礎教養として何度も見せられた)、面白いコレクションだと思う。実は埼玉県立近代美術館で妙に活発なのが常設での企画で、いつぞやは関根伸夫氏の「位相-大地」の記録映像と一緒に、関根氏の学生時代の作品やスケッチ、油彩や1968年頃の半立体状の絵画?などが小特集展示されていたりしてびっくりした。地元だと思って油断していると思いがけないものを見のがすので、なるべく気をつけている。レストラン前の空間には辰野登恵子氏のエッチングもあった(ちなみにこのレストランは美術館付属の飲食施設として、お約束通りにイマイチ)。昔からあって今や気にも止めなくなった、コインロッカーに入れてある宮島達男氏の作品にきちんと反応して突っ込みを入れている初老の夫婦がいて、可笑しかった。