国立新美術館「20世紀美術探検」で見ることのできたモランディの作品について。メナード美術館所蔵のものとシュプレンゲル美術館所蔵のものの2点が展示されている。どちらもキャンバスに油彩で描かれ、静物とだけ題されている。メナード美術館のものは1953年制作で縦21.8cm×横33.1cmの大きさ、シュプレンゲル美術館のものは1955-56年制作で縦37.5cm×横35.0cmとカタログにクレジットされている。また2点とも額装されている。


メナード美術館のものは横長の画面のほぼ中央に3つの器が描かれる。向って左手前に赤褐色の瓶があり、それと接して右に乳白色の壺(あるいは花器か)が描かれる。瓶は壺より僅かに低いが、その真後ろに円柱の胴にすぼまる錐状の足がついた器が描かれており、これが壺の高さまでは届かないものの瓶よりは上にのぞく形で描かれる。全体に中央にモチーフが半ば一体化したように固められている。器の回りの背景はほぼ同じトーンの絵の具で塗られていて、水平な台を暗示させる色面の段差はない。ただ器の影を示す暗部が右側に伸び、これによって水平面を示す。画面中央の、背面の器の下部が最も暗いが真黒ではなく、壺の球状の左が最も明るいが純白とは見えない。コントラストはあるものの色調の幅は少なく、絵の具の厚みは若干のむらをもち、筆の運びの痕跡が分かる。


シュプレンゲル美術館のものも複数のモチーフが固められ、明暗のコントラストはありながら色調に幅がなく、絵の具の厚みにむらがあって筆の運びが辿れる点はほぼメナード美術館のものと共通している。大きな違いは背景に明度差があって水平にのびる3つの帯をなしており、水平な台とその手前の垂直面、背後の壁の面として感じられる点となる。かわりにモチーフの影はなく、光源がほぼ正面に設定されている。またフレームはほとんどスクエアに近く、僅かに縦が長い。モチーフは中央よりやや向って左下に集まっていて上部に大きな間がある。中央に白い瓶、その瓶を挟むようにほぼ同じ大きさの縦に長い直方体が正面を向いて左右にあり、シンメトリックな印象を強めている。向って左が明るく黄味がかった色、右がやや赤みを帯びた色をした四角い色面としてあり、それぞれの上部に明度・彩度を落とした小さな面があってこれが直方体の上面として感じられる。向って右の直方体の手前には白いカップ状のものが描かれる。またこの直方体の背後には半円型の褐色の色面があり、球状の器、あるいは果物のようにも見える。その左、白い瓶の背後にはやはり褐色の円柱が、瓶の向って左に覗く。この円柱と左手前の直方体の間に黒みを帯びた円柱がある。この円柱の左の線は手前の直方体の左辺と連続している。


シュプレンゲル美術館のものにおいて特徴的なのは絵の具がやや狭い幅の平筆でうねうねと色面内を動いた痕跡で、メナード美術館のものは、これにくらべるとマットに絵の具が塗られている(壺の表面にはうねりがあるが、これは壺の表面装飾を描写したものでシュプレンゲル美術館のものに見られるタッチとは性格が違う)。いずれにせよ、この筆はこびによる絵の具の“ぶれ”がモチーフの輪郭を不安定に揺らし、その個物性を僅かに溶解させたような独特のイメージをつくり出す。このタッチは、例えばセザンヌのような厳格な抵抗感を産み出さず、その結果、モチーフの存在が一種の光学的な「像」として立ち現れ、「静物(Still Life)」という画題からはやや乖離した作品となっている。いわば、対象物そのものが直接切り出されたというのではなく、対象物を存在させる媒体としての光を通過して描いたと言えるのがモランディの「静物」で、そのゆらめくようなイメージは、遠距離から望遠レンズを使って観察したような、長い距離感を発生させる。


このゆらめきが産み出す距離感は、ほとんど天体望遠鏡で観察した月くらいの、一種天文学的な距離感にちかい。望遠鏡で月を見ると、その迫真的な月面のディティールが触れそうなほどに見えるが、分厚い地球大気の層の対流によって陽炎のような揺らめきも同時に看取され、近いのに遠いという、極めて分裂的な像になる。モランディのタッチが成り立たせるこのような感覚は、光りと絵の具の輝きの重ね合わせのズレ/ブレからくる「輪郭の確定できなさ」に由来している。モランディの、この遠距離から対象を捉えているかのような作品から連想される他の作家にジャコメッティがいるが、この二人の差は、モランディが画家であり、ジャコメッティがあくまで彫刻家であったことと深く関わっている。言ってみれば、ジャコメッティの絵画・彫刻における対象の「縮減」は、やはり極めて遠くから対象を見ているかのような感覚をもたらすが、しかしジャコメッティにおいてはあくまで(どんなに遠距離からであっても)対象にダイレクトに接続しようとする指向が、その細く尖るような輪郭、世界から切り出されてあるようなハードなエッジを持つのに対し、モランディにおいては、ものの存在とは大気中を通過する光りを通して間接的に感知されていて、その対象と自己の間にある光りの屈折が、輪郭を不定形にし色調の幅を狭くさせる。


モランディの視覚は、身近な−生涯ほとんど一つの町から出なかった画家だ−もの、身近な風景を、しかし同時に恐ろしく遠い距離から厳密に観察するように捉えている。いわば宇宙人の目で身の回りを見る、あるいはすぐ目の前のものが宇宙的な「遠さ」を持っているかのように描いているのがモランディだと言ってもいい。このような世界の捉えは、初期に深くコミットしたシュルレアリズム/形而上絵画に確かな根を持っていると推測できるのだろうが、しかしやはりモランディは前にも後にも同時代にも類例のない絵画を組織し続けた画家であって、その系譜を強調しすぎる必要は感じない。国内にあるモランディは貴重でなかなか見ることができない画家であり、まとまった展観が改めて必要だと思う。


●20世紀美術探検