資生堂ギャラリーの内海聖史展について。地下への通路の壁面に、昨年レントゲンヴェルケで展示された、5cm×5cmの作品が再配置されている。地階の部屋には、縦410cm、横922cmの、22枚に分割されたパネルの組み合わせによる大形作品が設置されている。また、その対面奥にある部屋の壁面にも、5cm×5cmの作品がグリッド状に配されている。今回は大形の新作絵画についてのみ書く。「色彩に入る」と題された作品はパネルに張られた綿布に、下地なく油絵の具がドット状に配されている。この手法はここ数年、内海氏の作品に続けて出て来るもので、加工された筆によって円形のタッチが生成され、それが積み重なりながら横へとずれ、増殖するように不定形な図を組みあげる。タッチとタッチの隙間からは濃度の薄い、溶かれた絵の具も覗く。部分的に褐色や緑、バーミリオンといった色も配されているが、基調となるのはコバルトブルーやセルリアンブルーといった、青系統の色となる。主に画面中央から向って右側にかけて絵の具の層が画面を埋めているが、向って左は地の割合が大きくなる。また、画面向って左下の地は、薄いブルーグレーので染められている。更に、画面中央やや右上の地にも、薄いブルーグレーの層が、染み出すような不定形な輪郭を描いている。


2003年の藍画廊での個展、2004年のMACAギャラリーでの個展、また2006年の水戸アートワークスの個展やレントゲンヴェルケでのグループ展で見られた作品等と比べて変化している点がある。それは壁面への作品の占有率だ。上記の展示ではいずれの作品もほぼ与えられた壁面を作品が覆い尽くしていて、その占有率は非常に高かった(水戸アートワークスでは「床面」だったが)。藍画廊での個展など壁面を使わず、画廊の空間の対角線にパネルを設置して全面に絵画を展開したため、体感的な占有の度合いが100%を超えていた(なにしろ、対角線で半分に仕切られてしまった画廊には、人が2,3人しか入れなかった)。今回の資生堂ギャラリーにおける展示では、壁面の上下に大きなブランクがある。この事が、内海氏の近年の作品に見られた、作品に観客を引き付け飲み込むような「権力」の度合いを下げている。また、最も明度が高い部分に使われた絵の具が、その明度の高さに比例して彩度を下げ、この部分が広範囲に及んでいる。その結果、綿布の地及び壁面とのコントラストが小さくなっている。また、画面向って左下の地が染められていることも、このコントラストの縮小に繋がっている。壁面への占有率の変化に戻れば、いわば空間とのコントラストが、「作品で埋められた壁面/それに対する空間」という強い対比から、「作品−作品の上下に開いた壁面−それに対する空間」という風に、連続したなだらかなものになっている。


このような事は、内海聖史という作家の試行錯誤を反映している。例えば、この作家は複数の作家が出品するような展覧会で自身に特徴的な空間のジェネレートを行おうとすると、意外なナイーブさを示す。MOTアニュアルやVOCA展という、現在国内の若手画家にとって登竜門と位置付けられる企画展に重ねて選出されながら、必ずしもそのような場で十全な効果を発揮しえなかった事を考えると、内海氏の特質となる色彩(絵の具)の質の純化によって観客の知覚を覆い尽くすような在り方は、どうしても個展という形式を要請すると思える(例外としては2006年のレントゲンヴェルケでのグループ展がある)。理由は、この作家が作品と設置空間の関係性を全てコントロールしようとしても、会場が大きすぎたり、他の作家の作品がある場では権限がなく十全に意図を貫徹できないためだ。そういう意味では、2006年に船橋で行われた展覧会では、あらかじめ製作されていた作品を、会場の市民ギャラリーの固定された照明の真下に配置していて豊かな効果を上げていた。ここでは全てを自分で管理するのではなく、既存の環境と不確定な周囲の他の作品に対して、場から独立した作品をアクセントとしてぴたりと配置することで、周囲との緩やかな関係性を成り立たせることができたと言える。


内海氏は以前、絵画はパネルと絵画と空間で出来ていて、パネルは空間寄りのものだという主旨の発言をしたことがあるが、ここから推測されるのは、内海氏にとって、展示空間とは一種の基底材の延長としてある、という事だ。画家が図と地の関係を図るように、内海氏は絵画とパネルと展示空間の関係を見ている。内海氏がくり返し「空間に即す」という言い方をするのは、パネルのように展示場所を自在に変型できない事から、いわば場から逆算して作品を製作せざるを得ない、という事であって、その中核では、あくまで作品と言う図に対する地として展示空間を捉えている。これは一般的に「サイトスペシフィック」と言われる概念とはずれる。内海氏の作品がサイトスペシフィックなインスタレーションではないこと(及びシアトリカルに過ぎる面があること)は過去にも書いたが(参考:id:eyck:20051019及びid:eyck:20041021)、このような誤解はくり返し訂正されるべきだろう。どちらかといえば、いわば拡大されたメディウムスペシフィックな作品が内海氏の絵画であって、ただ内海氏にとってはパネルや展示空間もメディウムの一部、あるいは延長なのだ。


内海氏は、モノとコトの関係を測量しながら、最終的にはモノの現れの純度の向上に向かう。そこでのモノには、綿布もパネルも展示場所も含まれるが、圧倒的なヒエラルキーの断絶をもって絵の具というモノが上位に立つ。だからこそ、基底材の延長として展示空間が思考されたとしても、一度作品が完成し「絵の具の純度」が定着してしまえば、かなりの程度空間から自立し、移動可能にもなる。その純度の向上において、どうしても「規模」や「枚数」といった「量の拡大」が目立つが、しかし昨年のAランチ展では筒状の箱の内部に作品を埋めこんで覗かせてみせたり、小さな作品を小数配置してみたりというオルタナティブな試みも行われている。内海氏の作家としての力量はあくまで「質」に現れるもので「サイズ」や「量」は、そのための手段でしかない。ここを混同することは、やはり以前も書いた、ベルクソン言うところの初歩的なミステイクなので留意しなければならない。一見順調なキャリアを積んでいるように見えて、実は銀座の大きな画廊での企画展となる今回の個展こそ、この作家が掴んだ不特定多数へのプレゼンテーションの貴重な機会となっている。会期が残り少ないが、より多数の、そして様々な視点を持った他者から目撃され、肯定的であれ否定的であれ論議されるべき作家だろう。過去最高の作品とは言い難いが、いずれにせよ内海聖史氏はようやく、人々の前に出現したのだ。


●shiseido art egg「内海聖史展」