ワタリウム美術館ブルーノ・タウト展を見て来た。展示されていたのはタウト建築の写真と模型、それに多数の手紙と日本滞在時の工芸デザインの仕事、他にはスケッチやタウトの撮影した(下手な)写真などだ。いつも思うのだけど、「建築(家)の展覧会」というものほど奇妙なものもない。まず実際の建築作品そのものは最初からたいてい排除されているし(例外は取り上げられた建築家の建物の中で展覧会が行われる時だろう)、そこで見ることのできるのは周辺的なもの、あるいは断片的なもので、事前にその建築家のことなり作品なりをある程度知っていないと、何がなにやらさっぱりわからない場合もある。つまり、見る事のできる断片が、なかなか作家の全体像へと繋がらない。だが今回の展覧会が興味深いのは、ブルーノ・タウトという人の建築家として特殊性というか、こういった資料やメモ、あるいは風景スケッチ(かなりの水準だ)を見たほうが、なまじなタウト作品の現実のオブジェクトを見るより本人の目指していたことが見えてくるのではないかと思わせる事だ。


最大の見どころはスケッチと手紙、つまりタウト本人の手の痕跡・軌跡が残されたもので、そういう意味では資料展示といえどかなり一次的な物を見る事ができるとも言える。順に追っていくと、タウトはプラグマティックな建築家というより哲人的側面を持つように見えてくる。それぞれの具体的なオブジェクトの背後に常に超越的なビジョンを抱えている。空間の構築というよりはフォルムの象徴性を重視した建築家で、内部空間より上空から俯瞰して見た時の方がメッセージがはっきりする。要するに個人の視線から経験される建築というよりは、「人類」といったようなレベルに視点を置いている、あるいはタウト建築を通して「個人」に分解された近代の意識を改めて地球的なレベルに引き上げようとするような、装置としての建築を指向していて、そういった意味では荒川修作も想起させる(その思想内容はまったく違うが)。


展示中、なぜかあまり触れられていない気がしたのだが、第一次世界大戦の影響を考慮しないわけにはいかない。タウトが見ていたビジョンとは思いきりカント的なのが分かる。すなわち実践理性としての世界平和という理念を建築を通してリアルに実現しようとしていたのがタウトで、しかも基盤にはプルードン的なもの、人々の共同・作業の契機となる建築というイメージがあったのではないか。ドイツという文脈を考えればプルードンというよりフォイエルバッハなのかもしれないが、いずれにせよ近代国家による戦争というものをオーバーしていく可能性を建築を通して見ていたのがタウトで、例えその要素があったとしても、安易にドイツ神秘主義的なものに還元してしまうのは危険だ。


そして、タウトがカントやフォイエルバッハを後追いしただけでなく、建築家として独自のものを展開しえたのが、ヨーロッパの外部からものを見ようとしたからなのだろう。例えば桂離宮の賞讃やイスラムのモスク、あるいはインド寺院のリファレンスなども、単純なオリエンタリズムというよりは、近代国家というものを超えていこうとした時に、脱ヨーロッパ的なものとして、想像的な水準でのアジアが呼び出されたとするべきで、日本にそういうものを見てとったというのはほとんどバルト的とも言えるし、招聘されたトルコに自邸を計画した事を考えても、相当本気だった、つまりけして思索の中で夢想するだけではない、実践家・活動家だったのだと思う(それはドイツ工作連盟とかへのコミットだけでなく、日本の工芸工房への積極的な参加にも現れている)。


こういった展開の基礎には、建築家としての初期のレッスンとして、多くのジードルング(集合住宅)をデザインした経験がある、と読めるのが今回のタウト展で、もちろんこのジードルングには労働者に安価に住宅を提供するという一種の思想的背景があるわけだ。学生の時に画家を志そうとしたタウトが、こういった仕事をこなしていった中で、単なる即物的なビルディングをつくるのではない、理念のあるアーキテクトを作っていく、つまり自らのイメージを、より大きな思想に接続しそれを現実の建築として展開しながら社会を具体的に変革していく「建築家=活動家」になっていくのがこの頃で、今も残るタウトのジードルングは世界遺産登録の申請もされているようだから、いずれ日本でもそれなりに紹介されるだろうが、最後まで展示を見た後で最初に紹介されているこの部分が鮮やかに意義有るものとしてあぶりだされるのが面白い。タウトのジードルングの色彩に強く着目して、展示会場の壁面を、研究に基づいた塗料で塗り分けるというのはチャーミングなコンセプトだ。カタログが未完成でガワだけの見本しかなく予約受付け中、というのもワタリウムらしい。


以前も少し書いたけど、日本の今の建築家にはこういう社会に直接働きかける理念的な仕事が少ない。隈研吾氏が「10宅論」で分析していた“アーキテクト派”のための個人住宅はやたらめったら盛んだし、大規模マンションの設計は建築家にとってすっかり儲け仕事化しているみたいだけど、どちらにしたって経済的、あるいは知的に「豊か」な人々に向けての仕事でしかない。そういうスノッブな仕事ではないもの、すなわち社会的な思想(=デザイン)に基づいたビジョンのある仕事がほとんど目立たない。わずかに思い出せるのは戦後の前川國男のプレモスとかで、これも住宅メーカーの圧力で十全に展開しなかったようだし(こういう所で一歩も引かなかったという前川は偉い)、そのプレモスが見られる阿佐ヶ谷住宅も消えていく。


環境を「待つ」のではなく、状況に介入していくのがビルダーではない建築家=活動家の筈で、今の日本の建築はジャーナル(ぶっちゃけ新建築である)とアカデミズムが一体化し−だから建築がいちいちフォトジェニックになる、すなわち雑誌写真で評価される−コマーシャルはそれとはまったく乖離して「住み分け」られているというのが実体としてあるというのは耳にしたことがあるが、これが本当なら流石にちょっと問題があるだろう。難波和彦氏の「箱の家」を元にパッケージ化された「無印の家」も、みかんぐみに「アーキテクトでなくて商品」と揶揄されてしまう(これは「無印の家」に対する発言ではなく「箱の家」へのコメントだが)ようなもので、野心的だとは思うが骨が細い。


誤解をさけるために書くが、ここで僕が言いたいのは低価格な住宅云々、という話しではなく、そういう所から、例えばカント的な水準まで思考を展開してゆく(このプロセス、というか幅が重要なのだと思う)ようなARCHITECTの在り方についてだ。今の日本の建築が、妙に「世界的」でありながら理念的ではない、薄いものに感じられるのは、現実社会にはっきりと働きかける「活動家としての建築家」がいないためだと思う。コルビジェもミースもものすごくベタに「活動家」だったわけだし、今日本でそういう感触があるのは僕が知るかぎり石山修武氏とBe-h@usの基礎を作った秋山東一氏くらいなもので、後は大なり小なりコマーシャルな印象がつきまとう。今は19世紀末でも20世紀初頭でもないのだから、皆が反コマーシャル、というのも無理があるだろうが、どこかで二正面同時作戦が必要なのではないかと思う。そういう意味で、意外なくらい現在性があるのがブルーノ・タウトと思えた。


ブルーノ・タウト