東京ミッドタウンに行って来た。目的はサントリー美術館の「日本を祝う」展で、ほとんどこの美術館所蔵の「泰西王侯馬騎馬図屏風」を見に行ったようなものだったのだけど、展示されていなかったのでがっかりした。橋本治の「ひらがな日本美術史」でこの絵を知って以来、一度は見たいと思っていたら、いつの間にか赤坂見附の旧サントリー美術館は閉じてしまったので、再開を心待ちにしていた。出品物を良く調べていかなかった自分が悪いとはいえ、肩すかしを食らったような気分だ。そのせいかもしれないが、伝狩野山楽の「南蛮屏風」も、狩野探幽の「桐鳳凰図屏風」もたいして良く見えなかった。桐鳳凰図屏風などは、臆病な線とちじこまった構図が、痩せた鳳凰をより貧相に見せてしまい、やはり江戸期の狩野派は、桃山時代の輝きとくらべるとダメダメだなぁ、と思ってしまう。落ち着いて考えれば、よそで見た探幽の佳品はけして嫌いではないし、抑制の効いた線も良いときは良いと思うのだけど、この「桐鳳凰図屏風」はやっぱりたいした絵ではない。


少し面白かったのが伝菱川師宣の「上野花見歌舞伎図屏風」だ。1693年頃の作で、紙本着彩・六曲一双の屏風絵なのだが、左隻に江戸歌舞伎の舞台小屋の様子が、右隻に上野の花見の宴席が描かれている。この左右のそれぞれに、円を描いて踊る人々の列があるのだが、その、すこしづつポーズを変えて連続する「キャラクター」が、何かパラパラマンガを見ているようで、まるで動きだしそうに見えるのだ。連続するいくつかの絵を円筒の内側に張り、回転させてスリットから覗き込むとアニメーションになるゾートロープやヘリオシネグラフの元絵を見ているかのようだが、しかし連続するとはいいながら、「上野花見歌舞伎図屏風」の踊る「キャラ」たちは子細に見ればもちろん服装も性別も違う。なおかつ、その動作が、やはり前後の人と繋がりを感じさせて、やはり目の中で動かない筈の絵が運動を内包しようとしている。


このような作品は他にもあって、例えば同会場では桃山時代の天木宗仲「花下遊楽図屏風」にも円を描いて踊る人々が描かれているし、江戸時代の「邸内遊楽図屏風」も同様だ。要するに遊楽図屏風という型が伝統的にあったことになるわけだが、しかし「上野花見歌舞伎図屏風」に比べて他の2作は、踊る人々の、連なる前後の連続性が薄く、アニメーション的な運動があまり発生しない。「上野花見歌舞伎図屏風」の独自性は、そのような型の要素の中に、「動き」という絵画が苦手な表現を増幅させるものがあることを見抜き、それを純化させた点にあるだろう。もしかしてこのような「抽出」は、菱川師宣が行ったのではなく、彼の弟子が行ったのかもしれないがこれは推測だ。展覧会場の壁紙に、この作品の踊子たちを直線に並べてシルエットで見せている装飾があったので、この絵は僕が無知なだけでかなり有名なのかもしれない。元が屏風でそれが切り取られ額装された「舞踊図」が3点並んでいるところなどにも、どこか似たような動きの感覚を感じた。他にはピュアに工芸品として、薩摩切子のガラス器や、雛人形などが美しかった。とくに雛人形は、その精巧さと小さなかわいらしさが素晴らしく、こんなものが節句の度に出されて育つ子供というのはなんと贅沢だろうと溜息が出た。


その流れで同じ敷地にある21_21デザインサイトでの「安藤忠雄展」も見た(昨日書いた「建築家の作品の中で行われる建築家展」だ)。もしや日本の建築家が世界で評価されている、というのはアーキテクチャーとしての評価ではなくクラフトとしての評価なのではないか。21_21デザインサイトは、外観はけっこう魅力的だしボリュームのほとんどを地下に納め地上は低層に押さえているところなど、隣の東京ミッドタウン超高層ビルの下品さにくらべれば*1遥かにノーブルだとは思う。長い鉄板を折った屋根や、巨大なガラスの設置など、たぶんとても難度の高いことを精緻に施工している。地下へとおりる階段や、展示室から出て出口へ向うまでの、一瞬迷路じみた部分なども安藤氏らしく面白い。なぜか肝心の展示室だけがびっくりするくらい凡庸なのだけど、これはまぁ空間が主張したりせず展示が見えてくるように、という謙譲の精神かもしれないし、ウイリアムフォーサイスの若干微妙なインスタレーションの部屋の入り口が、簡易な布一発というのも含めて全体に嫌味がない*2


しかし、その精巧な建築の背後に、どのような“メタレヴェル”があるのかといえば、ない。江戸時代の洗練された雛人形の背後に、どんなメタレヴェルもないのと同じだ。展覧会の内容自体が「こんな美しい建築のシンプルさは、こんな職人の技術に支えられている」というもので、安藤氏ははっきりと自覚的に「自分は工芸職人である(そして、高度な工芸であるからこそ価値がある)」と宣言しているわけだ。もちろん僕は工芸が建築に比べて悪い、と言っているわけではない。単にArchitectureとCraftは別の物だと言いたいだけだ。メタレヴェル、というのは言い換えればコンセプトとか理念、という事だけど、最近安藤氏の建築を語る際によく使われる「自然との共生」とかいう言葉も、つきつめれば世界人口を半分以下に激減させざるをえないような過激さに触れていく筈なのだが、安藤建築にそのような部分はない。もちろん安藤氏だけがそうだ、と言っているわけではない。「世界で活躍する日本の建築家」の大部分は、アーキテクチャーとビルディングを分ける西欧で、アーキテクチャーとして評価されているのではなく、美しい雛人形や薩摩切子と同じように、美しい工芸品としてのビルディングを立てる職人として珍重されているわけだ。


そういう彼等を西欧人がわざわざ「建築家」として誉めているなら、そこにはいわゆるオリエンタリズムがあるとしか思えないが、無論問題は建築だけの話しではない。日本は極端に言えば、例外をのぞき欧米に「文化」を賞讃されたことはあっても「芸術」を評価されたことはない。言っておくが、狭義の「芸術」というのはヨーロッパ発のものだから、という理屈は通らない。20世紀の地球的規模の悲惨を通り抜けて、良くも悪くも「芸術」はヨーロッパだけに属するものではなく「人類」に属するものになってしまった。このプロセスは逆行できない。悲惨だけを振りまいておいて、「芸術」を占有するような態度をもしヨーロッパがとるなら、それは彼等の傲慢だし、そのような態度に、たかだか「文化」を認めてもらったからと言って迎合するような態度を取る非西欧人がいるとしたら、それはいくらなんでも卑屈だ。率直に言って西欧人が、自分達が喜ぶようなエキゾチックなものだけを評価するのは、坂本龍一が過去言っていたように彼等の怠惰故であって、そういう怠惰な評価をそのまま日本が逆輸入して無批判に「本場で受けた」と喜び権威化することほど滑稽な話はない。欧米で受けたとか、その反動のような捏造された伝統に回帰するとか言うのではない、「人類に属する芸術」という水準を自立的に確保しなければいけないと思う。そういう作品は、密やかに、しかし確実に存在する。


●日本を祝う


安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘

*1:ガレリアとか、どうしてあんなに安っぽく地方の大形デパートみたいにしてしまったのだろう。もっと露骨に富裕層に向けて高級な作りにしていいのではないか。本屋の棚を見る限り東浩紀氏のいうことは正しく、東京ミッドタウンの「富裕層」はドンキが好きな人々なのだな、とは思ったが

*2:でもやっぱり、あの展示室は壁がコンクリ打ちっぱなしで釘もきかない、どうやっても展示には不便なところなのだから、せめて天井を高く、じゃなかった床を低くして高さをもう少し出しても良かったのではないか