父母と一緒に住んでいた実家から離れて暮らすようになって随分経つ。そして、今は母が一人暮らしをしているその家にたまに行くと、はっきりと違和感を覚える。その家は狭くて古く、基本的には僕が居た頃と物理的な組成は何も変っていない。にも関わらず、その空間に馴染むのにちょっと苦労するし、多分十全に(つまりかつてそこに住んでいた頃のように)馴染むことは出来ないだろうと思う。それはまず心的な問題ではない。家が変っていなくても、僕の身体が変っている。筋力とか、内蔵の状態とか、嗅覚や聴覚が経過時間に応じて変化している、ということもあるだろうし、なにより普段生活している時に感じる匂いや広がり、たとえば天井までの高さや床の滑り具合とかが今住んだり生活している場所に慣れてしまっていて、もはや実家の感覚は僕の身体から薄れ抜け落ちてしまっているのだろうと思う。


それでも、母と僕の関係はそんなに変っていないし、実家に帰って、しばらくぼっとしていると母が料理を出してくれはじめ、それを食べる僕は別に誰に断るでもなく勝手にテレビをつけたり自分の家ではとっていない新聞を拡げたりしながらとめどなく近況を(立ち働いている母の背中に向って)話し、トイレにたって用を足したりする。そのだらしないリラックスぶりは昔のままで、ここで変な感覚に陥る。すなわち、身体は物理的な実家の空間にまだ(あるいはずっと)復帰できないのに、心的状態はすっと(かなりの程度)「実家の雰囲気」に馴染み、慣れていない筈の身体はその慣れた心的状態をなぞるように動く。この感覚が何かに似ている、と思っていたのだけど、これはかなりの程度「演技」に近いのだ。


もちろんここで僕は、親から独立して時間が経過した結果、ずれの生じた母との関係を糊塗し、いかにも母と子の関係は変っていませんよ、という「嘘」をついている、と言っているのではない。実際、何一つ変化がないのではないし、僕も大人になったぶん、適度に言わなくていいことは言わない、くらいの事はある(親にしてもそうだろう)。しかし、そういう変ったことに対する応じ方そのものを含めて、僕は実家にいるといつのまにか「実家モード」に入っていっているし、身体もそれをトレースするのだ。だが、ここでうまれる違和感の理由は、多分順応するのにかかる時間のズレにあるだろう。心や関係が「実家モード」に比較的すっと移行できるのに対して、僕の身体、筋力とか空間感覚とかは、その移行にものすごく時間がかかる。だから、心理状況が実家に馴染むことができる程の速度では身体は実家に順応していないのだ。


にもかかわらず、たとえば廊下を歩くとか、実家のトイレのドアを開けて閉め便座に座るとか、居間のテーブルにおかれた皿に箸を伸ばすとか、そういう事は、別に「慣れる」ことがなくてもできる程度の難易度でしかない。つまり、実家の空間に慣れた心的状態の僕は、実家の空間に慣れていない身体を持ちながら、しかしまるで身体そのものも実家の空間に慣れているかのように動く(ことができる)。かっこつきで(ことができる)と書いたのは、これが実は可能性としてあるのではなく、実家で実家に慣れた心的状態では、実家に慣れた「かのような」動きをするほうが楽で、逆に慣れていない身体の状態に動きをあわせることの方が難しいから「できる」と言い切ることが適切ではないからだが、しかし子細に観察すれば実家の空間にフィットしていない動きはそれなりにあるだろう(躓くことがあり得なかったところでつま付き、ふと伸ばした手が壁やタンスにぶつかってしまうこともある)。


役者が舞台上で「嘘」をついている、と考える人はナイーブだし、そういう水準で「嘘」をついている役者は単にへたくそな役者だ。例えば見ず知らずの役者同士でも舞台上で親子や兄弟、長い付き合いの友人、といった演技ができるのは、心的状態で乖離をつくり出し、身体を制御する割合の一定の部分を「役」および、相手の「役」との関係性に譲渡することで可能になる(残った部分は客席や音響など現実的部分への視線を確保し「役」および相手の「役」との関係性にそれを反映させることに配分する)。ここでは「役」の心的状態は「慣れた」人間関係の状況を生きているが、しかし身体は慣れているはずがない舞台上という空間で、しかし「慣れているはず」の動きをトレースする。


これは実家にいるときの自分の在り方とかなりの程度類似している。当たり前だが類似していることとイコールであることは本質的に違うことだが、一度それに気付くと、ことさら実家で「演技」をしている気分になってくる。だけど、ここで僕が気にする「演技」は、母との会話とかというよりはあからさまに「身体」の微細な動き(のズレやフィットしている精度)のほうで、それこそ伸び一つするのに何気なく壁との距離や家具との位置関係なんかをチェックしてしまったりする。むろんこんなことは10分も続ければ疲れて、そのうちどうでも良くなるのだけど、そういう事を考えると、やっぱり役者というのは相当な身体トレーニングを重ね筋力や柔軟性、スタミナを維持しておかないとダメなんだな、と思う。