なぜモダニズムは批判され、終わったと宣言されつづけているのかと言えば、物凄く乱暴に言えばそれがアウシュビッツヒロシマを産んだからだと思う。このことを押さえておかないと、モダニズムの再検討をしているというつもりで、いつしかモダニズムの持つ暴力性や植民地主義の無自覚な反復を肯定してしまうことに繋がる。様々な領域で展開される脱モダニズム的な運動、あるいは構造主義とそれに続くポスト構造主義的な運動というのは決して一過的なムーブメントとしてかたずけていいものではない。少なくとも、その動機としては、20世紀の驚くべき暴力を繰り返さないという切実さ、恐怖と言ってもいい地点から摸索されたものの筈なのだ。モダニズムは終わった、のではなく「終えなければいけない」ものであって、だからこそ多くの人が性急に、かつ繰り返し近代にピリオドを打ち続けたのだと思う。


近代、という言葉を最も象徴しているのが1920年代から30年代の建築の分野だと思える(だから、ポストモダン、という言葉が建築から開始されたのは必然性がある)。当時語られた均一な空間と抽象化、歴史や土地の記憶の排除、技術と科学による合理的思考といったものが産み出すユートピアリテラルに遂行されていった時、同時に近代が内包する権力や支配、暴力というものが表面化する。ヨーロッパもアジアもアメリカもアフリカも連続する均一なグリッドで均すことができる、と言った瞬間に発生する恐ろしさ。20世紀前半の政治的な出来事が造形美術の展開と無関係だと考えるのはあやまりだ。近代建築に現れた直線と、アフリカ大陸に引かれた無造作な国境の直線はパラレルなのだ。あるいは「純粋」という言葉に含まれた恐怖は、建築にかぎらず美術全般と人種問題を直接結び付ける。あるカテゴリーは不純なものを排除しなければならない、というテーゼとアウシュビッツは、偶然似ているのではない。それは同じもの、同じ運動なのだという想像力がないのは危険だ。


バウハウスナチスの関係というのも一部検討されているが、日本でもここしばらく、元医師で台湾総督府民政官・満鉄総帥の後藤新平の再評価が行われていて注目に値する。関東大震災後の東京復興、現在も東京の基礎となっている都市計画を行った人物が、植民地経営のプロフェクショナルなのは必然だ。もちろんここで僕は後藤新平個人を批判しようとしているのではない。後藤が体現せざるをえなかった近代の構造というものに興味があるだけだ。しばらく前にNHKETV特集で番組が放映され、また江戸東京博物館で小規模ながら展覧会も開催された後藤新平が台湾で、大連で、そして震災後の東京でやったのは「まっすぐな直線を引く」事だったと言っていい。そこでは歴史的な文脈にあふれたジグザグや曲線が排除され、破壊された。雑多であること、混ざっていること、(歴史が)堆積していることは「不衛生」なことであって、そこに明快な近代のメスを入れることが医師だった後藤の仕事だ(後の「東京計画」の丹下の引いた直線に異議を唱え細かな曲線を導入しようとした黒川紀章に「近代とはまっすぐの線を書くことだ」と答えた丹下は後藤を参照していただろうか)。


下水の整備や区画整理は、「不純物」を排除し「純粋化」を都市において遂行したと言っていいだろう。区画整理/ゾーンニングという近代的思考、そのコトバに恐怖を覚える感受性は、はたして単なるナイーブさなのか。僕は近代化を、すなわち後藤新平の仕事を否定しようとしているわけではない。むしろ、モダニズムという考え方を現在改めて積極的に捉え直し、思考の俎上に乗せようとする人間にこそ、こういった感受性が必要だと思っただけだ。このおそろしさ故に、第二次世界大戦後、半世紀にわたって文化的多元性が尊重され、厳格なカテゴリ分類に対して横断性が強調され、制度的な大人に対して児童性・幼児性が賞揚され、ハイカルチャーの権威が攻撃されてサブカルチャーの雑多性が支持された。世界は純粋「主義」に抵抗しなければならなかった。有機的な曲線の世界に引かれる「美しい」直線の暴力は繰り返し指摘されなければいけなかった。


もちろん、ここでただちに安直な俗流ポストモダニズムやさらに安易な反/前近代主義(妙なエコロジー主義やガイア主義とか)に流れることこそさらなる悲惨を招くことは繰り返し強調しなければならない(例えば現状の高度産業社会を否定して長閑なエコロジカル・コミューン共同体のようなものを夢想する人間は、それを実際に実現しようとすれば現在の世界人口の大半を死滅させなければならないことがイメージできないわけだ)。やや文学的な言い方になるが、モダニズムの暴力性を回避するのでも、モダニズムから退行するのでもない、いわばモダニズムを突破すること、突き抜けることこそが指向されなければならない。ポスト構造主義的運動、というのはまさにその為になされたものであったことは、今改めて振り替えられていい気がする。以下、ドゥルーズ「襞」の冒頭を引用。

バロックは何らかの本質にかかわるものではない。むしろ、ある操作的な機能に、線にかかわっている。バロックはたえまなく襞を生み出すのであり、事物を作りだすのではない。東洋からきた襞、ギリシャ的、ローマ的、ロマネスク的、ゴシック的、古典的…といった様々な襞がある。しかしバロックは襞を折り曲げ、さらに折り曲げ、襞の上に襞、襞にそう襞というふうに、無限に襞を増やしていくのである。バロックの線とは、無限にいたる襞である。そして何よりもまずこの線は二つの方向にそって、二つの無限にしたがって、襞に差異を与える。あたかも無限は、物質の折り目(replis)と、魂の襞(plis)という、二つの階層をもつかのようである。下の階では、物質が第一の種類の襞にしたがって集積され、ついで第二の種類にしたがって組織される。物質の部分は「異なる仕方で折り畳まれ、いろいろな程度で展開される」器官として組織されるからである。上の階では、魂が神の栄光をうたいあげる。魂は自分自身の襞の中をかけめぐるが、襞をすべて展開することはないからである。「襞には際限がないからである。」一つの迷宮は、語源からしても〈多〉と呼ばれてよい。迷宮はたくさんの襞を持つからである。〈多〉とは、単にたくさんの部分をもつものではなく、たくさんの仕方で折り畳まれるもののことである。まさにおのおのの階層に、一つの迷宮が対応する。すなわち、物質とその部分における連続的なものの迷宮、そして魂とその述語における自由の迷宮である。デカルトがこれらを解明することができなかったのは、連続的なものの秘密を直線的な経路の中に求め、自由の秘密を魂の直線に求めるだけで、魂の勾配にも、物質の曲線にも目をむけなかったからである。自然を数え上げ、魂を解読し、物質の折り目の中をのぞき、魂の襞の中を読むための、一つの「暗号解読法」が必要なのである。(ドゥルーズ「襞」訳:宇野邦一


表面的な風潮として、最近ドゥルーズ批判を-ラカン的立場からだけでなく-よく目にする。ドゥルーズはいわば、当初のインパクトが吸収され安心して批判できる権威になったのかもしれないが、僕にはむしろ今こそドゥルーズはアクチュアルな気がするのだ。このような「襞」が、フランク・ゲーリー伊東豊雄において、それこそ「リテラル」に実現されていると言うひとはいるだろうか?しかしたとえばそこでは、伊東豊雄の必死のアピールにもかかわらず「物質の階層」が見えてこないのだ。むしろ今だ実現されざる理念として、こういったtxtは読まれるべきなのだと思う。コッホ曲線、あるいはフラクタル図形といったものがなぜ重要だったのか。それはただ知的なジャーゴンとして消費されて終わり、ではない。近代の臨界点においてこういったものは死の恐怖、あるいは死の記憶と一体となって登場したのであり、であればこそ、一過性のはやりものとして消えていくはずはないと思う。