茅場町のGallery≠Galleryで多田由美子展「intimate」を見た。大小様々なキャンバスにメディウムが添加され、光沢と透明度が増された絵の具(恐らくアクリルだと思うが確認していない)と、パステルか色鉛筆と思える(これも未確認)細い線が重ねられている。描画部分以外では地が露出しているものが多い。一部の作品で地に単色の絵の具が塗こめられている。画布は木わくの背面に織り込まれとめられている。絵の具の形態も、細い線も、具体的なものの形態は確認できないが、絵の具の筆跡のみ、かろうじて風景の痕跡のようなものを感じさせる。この筆跡は、薄いところで下地が透け、濃い所で溜ったような盛り上がりを見せる。画面の所々にこれもメディウムが添加された絵の具が円形に垂らされている。


多田氏の作品は、2003年と2004年のトキ・アートスペースでの個展(参考:id:eyck:20040403)、および2006年のギャラリーなつかの個展を見ているが、空間に広がるさまざまなもののエッジや複数のものの間の空間を繋ぐように、薄くとかれた絵の具を配置してゆくという基礎的構造は一貫しながら、そのエッジへの「触れ方」や形式、いくつかの細部においてはその都度変化し、様々な試行錯誤があることが伺える。昨年のギャラリーなつかでの展示では大形で縦構図の作品が目立ち、絵画のフレームと空間の問題、いわば形式と内容の相互関係を意識的に検討するような方向性が確認できたが、内部の絵の具のタッチは洗練され清潔で緊張感をもったものになったと同時に、やや整理されすぎ、例えば2003年くらいの作品にあった、視覚を触覚的に扱う(それを僕は先に参考として示したエントリでは「目でまさぐる」と表現した)ような感覚は後退していた。今回の作品では、比較的多くの作品で横構図が主調をなし、形式的にはスタンダードな風景画のフォーマットに落ち着いた分、タッチの触覚性が増した印象がある。


ここで言う「タッチの触覚性」というのは、2003年/2004年の多田氏の作品について僕が感じた「視覚の触覚性」とは若干違うものだ。多田氏の作品に感じられる「触覚性」は、簡単に言えば筆触のぶれ、あるいは揺れの事だと言っていい。これはとくに比喩的な表現ではなく、即物的に筆跡がA地点からB地点にむかうまでの間に、真直ぐに引かれずジグザグに、あるいは細かい迂回をしながら引かれた線のことだ。2003年から2004年の多田氏の作品では、筆やパステルの筆触に含まれるぶれが多く、それが2006年の作品では相対的に少なくなり、今回の作品では再び増したのだ。では、そのぶれが「視覚の触覚性」から「タッチの触覚性」に移行したとして、どこに差があるのか。今回増したぶれは、絵の具のタッチよりは、パステル(あるいは色鉛筆)の細い線で極端な増幅を見せている。そして、その線は、2003/2004年の頃のものと比べて、風景の痕跡である絵の具のタッチとの相互関係を希薄化させ、線自体で自立し、絵の具のタッチとの関係を持つ時は、「風景の痕跡」としての絵の具のタッチではなく、「絵の具のタッチそれ自体」として関係を持つ。


かつて多田氏の作品にあった、作品内における風景、それは主に個物それ自体と言うよりはものとものの関係性であったと言っていいが、そういうものに対する描画材の差異の、必ずしも明瞭でない所(それは欠点というよりは、むしろ見る事と描く事の試行錯誤として興味深いある密度をもたらしていた)が、今回の展示では、明解に絵の具のタッチが風景の次元を捉え、それをやはり視覚でまさぐるように絵の具のタッチに連結させている(多田氏の絵の具のタッチは、まるで目が描いているかのようだ)のに対し、パステルあるいは色鉛筆の細い線は、ほぼ絵画空間内で自立し、なおかつ風景と連続性を持っている絵の具のタッチに対して、あくまで絵画空間の一要素として、つまり風景から独立したものとして関係してゆく。言い方を変えると、絵の具のタッチに近接したり重なったり、あるいは離れる細い線は明らかにる絵の具のタッチを意識し、その存在との関係を考えられて引かれているが、その局面では絵の具のタッチは風景の断片としての意味が薄れ、絵画空間の構成物として見られている。


このような変化には、もちろん2006年の作品に見られる、絵画の形式と内部の関係性の探究が介在していることは明瞭だ。2006年の作品では、言ってみれば絵の具のタッチあるいはオイルバーのストロークといった要素全体が風景への直接的関係を切り、タッチの自立度を高めていた。その結果、風景のエッジを探るようなぶれがなくなり、主にフレームとの関係でタッチは画面に置かれた。ここで多田氏は集中的に、絵画の形式について思考していたと言っていい。そのようなプロセスを経て、今回のような作品が制作された点に、この作家の構築性が現れている。


多田由美子展「intimate」