奈良では雨の興福寺などを訪れた。僕は原則的に仏像に興味が薄い。もし関心を持つとすればそれは彫刻としての側面だが、仏像というのは彫刻ではない。人形(ヒトガタ)をしているから彫刻「的」に見ることは可能なのだが、その人形は、「人体」を刻もうとしたものではなく、人間という形をかりそめにもった人間ではない奇妙な存在を示したものだろう。形式的に言うなら、彫刻とは空間を分節しくみ上げたもので、こういう言い方はむろん近代の言い方だが近世/中世から古代ギリシアまで、ヨーロッパの人体を基礎にした造形物はずっとこの要素を骨格にもっている(歴史順にあわせて言えば、宗教的人体造形にずっと内在していた「空間を分節しくみ上げる」という構造を純化したのが近代彫刻だ、ということになるだろうか)。


東洋の仏像にそういう要素は希薄だ。岡倉天心が指摘するように、仏像は成り立ちからいって正面性が強く、とりまく空間への意識を持たない(法隆寺五重塔の内部の石窟を模した像を想起)。一般に仏像は単体で見るものでは無い。金堂などの空間には複数の像が配置され「仏の世界」を再現しようとしているのだが、これをもって「彫刻的」とはいえない。あえていえばインスタレーションにやや近い。一種の場の状態(仏、というのはそうした概念だろう)のビジュアル・イメージであって、これらは即物的な空間をオペレートすることがない。現実次元ではありえない高次の「場」を想像的に予感させるもので、クラインの壷を仮に作って「これは仮の姿だが、このイメージを見て4次元を想え」というものに等しい。


とはいうものの、とりあえず人体、というものをモチーフとして扱えばいやでも空間というのはある程度分節されてしまう。これは人にとって空間を認識するのに「人体」というものが不可避的であることを示している(あるいは人体を通じて把握される何事かを「空間」と名付けたと言うべきか。こういう言い方はあまりに経験主義的に過ぎるのだろうか?)。いずれにせよ、人体を何らかの形で意識している仏像には彫刻的側面が発生すると思うのだが、今回の関西旅行で多く見た仏像のうち、主流となる仏像には、ほとんどそのような側面を見ることができなかった。


法隆寺仏像群には、いわば仏像というものの受容期の混乱から、図らずもその破綻のあり方に彫刻性が発生してしまった、というべきだし(だから僕が法隆寺の諸仏を面白く見る、その面白さは鞍作止利をはじめとする仏像揺籃期の仏師達にとっては失敗の痕跡にすぎない)、この破綻は中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像においては急速に消え去りつつある(中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像の彫刻性は、立体的造形というよりはむしろその恐ろしく滑らかな表面性に基づくと思える)。


これが定朝の平等院・弥陀如来座像になると、いわば仏像として見事に完成してしまい、僕が見たいと思う「彫刻性」は消去される。以降のいわゆる仏陀像はほぼ同様だ。ただ、仏陀像から離れた、いわば脇役というか傍流の像に「彫刻的」要素が色濃くあることは今回改めて確認できた。具体的には仏陀像を囲む十二神将や四天王立像、高僧の肖像彫刻、あるいは仁王像などで、これらはいわば「仏」ではないため生々しく身体というものを表していて、結果「彫刻的」たりえているのだと思う(おそらく中宮寺弥勒菩薩半跏思惟像的な「表面性」への追求が特殊な彫刻性をもつものは、彌勒/菩薩像などに残っている印象がある。薬師寺日光・月光菩薩とか)。


面白かったのは興福寺の国宝館で見た八部衆(いずれも8世紀)で、それらの造形は仏陀像にない軽快さをもっており、ビジュアルな美しさを持ちながらしかし十分に空間的だった。そのなかで阿修羅像が強い人気を保っているのは、むろんその少年的表情のフォトジェニックな魅力もあるのだろうが、これは彫刻的な観点から(つまり空間を操作する構造体として)十分完成度の高いものだからでもあるのではないか。八部衆の中での阿修羅像の高度な彫刻的達成はどこに理由があるかといえば、身もふたもない言い方をすれば「手と顔がたくさんあるから」ということになる。それを言うなら千手観音像は彫刻的だということになりかねないが、もちろん作品というのは個別のあり方によってのみ存在しうるのであって、興福寺の阿修羅像も、その細長くシャープな手が、左右水平に高く掲げられ、次に一段下がった手が肘までは外に張り出しながら両手首が内に折り曲がり、さらに前に突き出された手は胸まで距離を持ったところであわせられている、そのダイナミックかつ締まった展開のエッジの切れ味がいいのだ。


こういった、軽みがあって輪郭のクリアーな感覚というのは、やはり興福寺東金堂の十二神将鎌倉時代)にも引き継がれている。興福寺に限らず、十二神将像というのはどこで見ても大抵面白い。そのスタイリッシュな線は、今のアニメやマンガのセンスに直接結びついていると感じられる(個人的には、鳥獣戯画などのいわゆるマンガの祖、といわれるものより、こういったフィギュア的感覚のある中世宗教彫刻の方が、遥かにマンガ的と思える。鳥山明の「ドラゴンボール」キャラのセンスとか、十二神将像の変奏に見えることが多い)。もしかすると、それはパターンの反復による洗練、ということなのかもしれない。


鎌倉時代の僧の肖像彫刻から、日本のリアリスティックな人体表現というのは一気に頂点を見せてその後すっぱり消えてなくなるのだけど、興福寺でも伝定慶の維摩居士像はその一端だろう。先に東京国立博物館京都五山 禅の文化」展で見ることのできた保国寺「癡兀大慧坐像」より印象的だった(現場から引き離されて博物館で見させられた「癡兀大慧坐像」には分が悪いだろうが)。


ただ運慶の「無著・世親立像」が見られなかったは残念だった。橋本治「ひらがな日本美術史」を読んだ時以来、見てみたかった像で、はっきり言って橋本治の記述はこの像から主観的に想像された無著・世親兄弟の「物語」ばっかりなのだけど、これがやたらと情緒たっぷりで信憑性のかけらもないのに(というかだからこそ、なのか)やたらめったら面白い。そのせいで、たぶん実際に僕が見てもその「ドラマ」しか像に重ねて見ることができなかっただろうから、美術的に言えば「見なくてよかった」とも言えるかもしれないが、まぁ負け惜しみではある。


鎌倉期の肖像彫刻全般に関していえば、たしかに人体のリアリティという意味では精度が高いのだが、前述の「彫刻性」という意味では十二神将や四天王像の優れた造形に劣ると思っていて、この見方は今回の旅行でもおおむね変化がなかった。僕にとっての「彫刻性」が人体のリアルな再現ではなく、あくまで空間の立ち上げに基づくものなのだとすると、鎌倉期の肖像彫刻というのは、いかんせんその「ポーズ」が定型で単調なため、どうにも空間的ではないのだ。どれもシンプルな座像で形態において阿修羅像的な複雑な組織がなく、単に「顔がリアル」とかそういう水準に収まってしまう(写真で見るかぎり、「無著・世親立像」はその枠組みからわずかに外れているようで興味深かったのだ)。そういう意味では運慶の三男の康弁作ともされる天燈鬼像の方が優れていると思えた。


仏陀像では唯一、白鳳期の仏頭が面白いと思った。興福寺に移された後火災で首から下が完全に失われた、頭部だけの仏像だが、そのおおぶりな造形と、微妙に日本的になりきっていない感覚の残る表情が印象的だが、もしかすると「壊れた」ことで、その唯物的な感覚が増幅されたのかもしれず、純粋に仏像それ自体への判断とは言えないかもしれない(頭部や側面が大きく傷ついている)。十二神将等とは異なり、なおかつ仏陀像とも違う、奇妙な系列の像としては地蔵像があり、これは過去の東京での仏像展(参考:id:eyck:20061127)でも思ったことなのだけど、やや特異な造形感覚がある。これは空間というよりはフォルムに関わることなのだけど、平等院地蔵菩薩にも、そのような独特のフォルム感を覚えた。