金刀比羅宮の書院で見た応挙と若冲がとても良かった。私は以前、これらの作品の一部が展示された美術展を見て、岸岱を一番に上げ、応挙を次に評価し、若冲を「傑作ではない」と書いた(id:eyck:20070816)が、今回はまったく違う判断をした。金刀比羅宮書院で応挙と若冲は傑出しており、岸岱はいまひとつ印象が薄かった。襖絵として描かれたものをそこから外して美術館で見るのと、現場で見るのでこれほど印象が違うかと驚いた。ことに応挙の場に合わせた作品の展開は見事で、これを当地を一度も訪れることなく描きえたという事が信じられない。


応挙は表書院の各部屋を全体に一連の流れと捉え、それぞれに応じた襖絵を描き分ける。表玄関からすぐの「鶴の間」に描かれた「稚松双鶴図」「稚松丹頂図」などは、こじんまりした部屋に、正直あまり面白みを感じない鶴の絵が描かれているのだけど、これが次の接待用の大広間である「虎の間」になると、美術館でも印象的だった猫みたいな虎(というか、現場のガイドさんによると“虎の毛皮”しかみたことのない応挙は猫を実際に参照していたそうだ)が、ダイナミックでありながら同時にとてもリラックスした感じで描かれる。モチーフは水を飲んだり眠ったりする虎達で、「遊虎図」の名前のとおり見る者を明らかにくつろがせるイメージ群だ。これが、いわゆる控えの間にあたる「七賢の間」になると、やや繊細な線で魏の竹林の七賢に題材をとった引き締まった描写をし、もっとも格式の高い「山水の間」において、有名な室外の庭に流れる池と連続するように描かれた滝の絵「瀑布古松図」がドーンと正面に置かれる。作品の質、中身、密度、全てが各部屋の性格に合わされていて、そういった心理的な「流れ」が、最後に滝の「流れ」に乗せられて戸外の庭に「流されて」いくという仕掛けは鮮やかだ。


作品単独の事だけ言えば、私は以前も書いたとおり本心から素晴らしいと思うような応挙に、やはりいまだに出会っていないと思う。縁が薄いのかもしれないが、例えば千葉市美術館で行われた「若冲とその時代」展とかまで出かけて行って同時に出品されていた応挙を見たりしているのに、どうしても「これは凄い」と思えない。金刀比羅宮の応挙も、感動するというよりはあくまで感心するだけなのだけど、しかし、これほど見事なデザイン(これはもう空間デザイナー的なプランニングだ)を見せられると、一種のテーマパークのような楽しさを覚えずにはいられない。また、「瀑布古松図」の水の描写などは、細部に違和感を覚えるくらいの書き込みが迫力に繋がっていることは、公平に言って事実だろう。ぶっちゃけ純粋に画家としての力量だけではなく「仕事人」としての才の大きさがある人だと思う。「鶴の間」あたりは型通りの、つまらないもので埋めながら、全体ではちゃんと観客に「スゴい」と思わせていくあたりの緩急の付け方は見事なエンターテイナーではないか。木村蒹葭堂とかともしっかり交流しながら名前を残していく所は「描写の応挙」というだけでは一面的にすぎるように思う。


質、という意味でずっとインパクトがあったのは若冲で、奥の書院の、やや明度の落ちた室内をうめる金地と、そこに描かれた花々は、美術館で見るのとはまったく異なって見えた。ことにその金の、いわば暗い光とも言うべき反射光のコントロールの仕方は素晴らしい。僕は宮内庁三の丸尚蔵館での「動植綵絵」は面白く見たのだけど、その後のブライス・コレクションなどでは同等の作品にはほとんど出会わなかったし、前述の千葉市美術館「若冲とその時代」展、あるいは三井記念美術館「美術の遊びとこころ 旅」展etc.を回っても、細部はともかく全体的に良いと思う若冲は無かった。例えば「狩野永徳展」であれば、少々無理をしてでも京都まで出向く気にはなるのだけど、いかに貴重な機会だったとはいえ5月の「動植綵絵」が一堂に会した若冲展は結果的に見に行かなかった。別段「奇想」と言ってわざわざ区別(差別?)する気もないのだけど、正直打率が低いのが若冲ではないか。しかし、奥の書院の若冲は留保なしで評価する。劣化からその多くが岸岱に置き換えられてしまったというのはつくづく惜しい。奥の書院全体が若冲で尽くされていた状況を想像すると目眩がする。空間の実際的な利用目的を把握し、そこに沿った作品を作った応挙に比べ、若冲は作品の強度によって空間を作品に添わせた、というような差異が見える。


動植綵絵」といい、金刀比羅宮奥の書院の仕事といい、若冲はもしかしてインスタレーション作家としての能力が高かったのだろうか?どうも単品だと、その技法的な探究心の強さが結果的にバリエーションを増やしつつも今一つ個別の作品が散漫に感じるのだけど、少なくとも私が見た範囲では、展示空間を筆で支配するかのような大規模事業で若冲の真価が発揮されるような気がする。これは、例えば応挙のような、バランスのとれたプランナー的発想の画家とは似ているようではっきりと違う。応挙ははっきりと全体の「納まりの良さ」を考慮している。この「納まりの良さ」という範疇には、実際の展示空間以外の、例えば実際的な「儲けられる金額」とか「格式」といった、世俗的な利益のバランスまで含まれているのだろう。そういう意味では村上隆的ともいえるビジネスマン的側面を持っているのが応挙だろう。対して、若冲は、展示空間を明らかに自己の絵画で強引に「支配」しようとしていて、欲望の有り様としては応挙より遥かに“画家”なのだ。いずれにせよ、私が応挙と若冲を「美術館」で評価しなかったのは、彼等の作品が実際の金刀比羅宮の空間(若冲の場合は空間というより光線、だが)と切り離されてはありえない事を示している。岸岱はその点、個別の画面の完成度は高いのだけれど、それを組み合わせた空間全体の組織力(というか、腕力)は劣る。