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ややマニアックな話。ここしばらく、油絵具の様々な白を使っている。普通に組成別にジンクホワイトやチタニウムホワイト、シルバーホワイトetc.を使いわけるというのもあるけど、なんと言っても白ほど各メーカーの差がはっきり出る色はないと思う。絵の具は基本的には発色する顔料と、それを扱いやすくし定着させるための「つなぎ」(展色材)で出来ている。油絵の具はこのつなぎに、空気に触れると固まる乾性油を使っているが(食用の油などは空気に触れても固まらない)、顔料が同じでもこのつなぎの油の質や、他の混ぜ物(増粘材や乾燥剤など)、およびそれらの割合/練り方がメーカーごとに違っていて、ラベルは同じ「チタニウムホワイト」であっても、いざパレットに出してみるとまるで別モノ、ということがある。
「別モノ」は言い過ぎだろう、という人は試しにいくつかのメーカーの白を買ってみるといい。知らない人は驚くと思うけど、例えば「チタニウムホワイト」の“色”が違う。なんで「白」で色が違うんだ、と突っ込みをいれたくなるほど違う。ホルベイン社の「チタニウムホワイト」が、まぁ片寄りなく堅牢な「白」だとして、イタリアメーカーのマイメリ社の「チタニウムホワイト」はびっくりするくらい青い。まぁ顔料的にシルバーホワイトやチタニウムホワイトはジンクホワイトより青白い傾向が強いけど、それにしたって青すぎる。わからないのがmatissonというブランド名で大阪のターナー社が出している「チタニウムホワイト」が黄色いことで、なおかつ乾燥して時間がたつとえらく黄変する。一般に「つなぎ」の油が暗所で黄変するのはよくある話しなのだけど、これは日光を当てるとそこそこ戻る。ところがこのmatissonの「チタニウムホワイト」は黄色く染まったまま光を当ててもあまり元に戻らないのだ。いったい何を混ぜているのだろう(更に分からないのがターナー社のサイトを見ても油絵の具の製品紹介がないのだ)。
俗なイメージで、油絵の具をはじめとする画材一般はヨーロッパメーカーが「本場の一流品」で国産のものは「普及品」と捉えられている気がする。が、一部のクレパスや水彩絵の具を除いてこの先入観はとても怪しいし部分的には間違いだ。使い道にもよるが、例えば高級イメージが強いwinsor&newtonのチタニウムホワイトは確かに伸びが滑らかだけど着色力が弱く半ば半透明で、個人的にはあまり好まない。ルフランなどは油が黄ばむ。国産のクサカベやマツダの絵の具はこのへんがニュートラルでかなりいろんな事ができる。好みを除いた絵の具の基礎スペックとしては、なまじっかなヨーロッパ製品よりはよほど信頼できる。安かろう悪かろうという意味では前述のイタリア・マイメリ社が筆頭なのであって、大形チューブで買うと中で顔料と展色材が分離していて、最初にまずアラビア・ゴムっぽい液体がどぱっと出て来たりする。このマイメリ社の絵の具は相当程度(笑えるほど)個性的で、まったく顔料の質がわからない「フレークホワイト」なる白が不思議な黄なり木綿みたいなベージュっぽい白だったり、レモンイエロー(これも顔料がわからない)がめちゃくちゃ青みがかっていたりする。“青みがかった黄色”というものがイメージできる人などめったにいないとおもうが(なにしろ別に緑味はないのだ)、このマイメリ社のレモンイエローはどう見ても“青みがかった黄色”なのだ。
悪口っぽく聞こえると困るが私はこのマイメリ社の絵の具が嫌いではない。評価できるのが安定性で、matissonのチタニウムホワイトなんかと違って変色しない。チューブから出した時に「えっ」と思うけど、「そういう色なのだ」と思ってしまえば逆に信頼できる。これまた黄変しがちなロイヤルターレンスのレンブラントブランドより安心感は上だ(年単位での堅牢性は微妙)。ぜんぜん関係ないが、あの世界堂オリジナルの絵の具はどこがOEMで生産しているのだろう。ものすごく奇妙な練り方、というか粘度をしていて、もったりと重たくべたついている*1。とりたてて安い印象もないのだけど、使い道が思い付かない。現状、私が標準としているのは国産・ホルベインのPOPシリーズで、平滑度は平均的、着色力が普通に強く、安定していて価格も適当だ。以前このblogでクサカベを基準にしていた旨書いたが転向した(絵の具のスペックの問題ではなくて、正直大形チューブの買いやすさが理由だ)。これを軸にして、必要に応じて数社のメーカーを使い分けている。一時期購入できる絵の具を白にかぎって全部買って、細長い画布の端切れに順に置いてサンプル化したのだけど、試行錯誤の結果今の状況に落ち着いた。
絵描きならこのくらいの知識は当たり前、と言う人もいるかもしれないが無頓着な人はとことん無頓着なものだ。悪いと言っているわけではない、当たり前だがこんな情報量と作品の善し悪しは関係がない−というのが常套句だし、実際ある程度そう思いもする。けど、最近ちょっと違うかも、と思ってもいる。以前藤幡正樹氏が、メディアアートというのは単に新たなテクノロジーを「自由に」使った作品のことではなく、メディアのコンディションをチェックしているアートのことなのだと言っていたけど、油絵なんていう枯れ切ったメディアにおいても、こういう姿勢は必要で、その部分として、ごく単純な絵の具の有り様への関心というのは外せないのではないだろうか。ことに自分で練っているのではなく大量生産されている規格品の絵の具を使っているなら尚だ。絵画のフレーム云々、というならこういう「絵の具のスペック」こそがそのフレームを形成していて、それが工業規格品によって規定されていることに、無自覚というのもヤバイ気がする。