アート・インディペンデント・メディアの状況(2)

美術の、社会学や文芸批評、オタクカルチャーと違う独自性が「展覧会」というメディアを持つことだ。「展覧会」が、単なるショーあるいは個人のプレゼンの場ではなく、一種の批評メディアであることを意識的・無意識的に捉え実践していた人は少数ながら存在した。先述の山内崇嗣氏は1996年の「アトピックサイト」に触れた段階からメディアとしての展覧会に意識的になったと想像される。パイ投げ大会を行ったり、オペラシティアートギャラリーでの展示に合わせて各種イベントを企画したりと、その行動はアカデミックというよりは1960-70年代のハプニングを1980年代以降の消費社会の中で再構築するようなアナーキーな色合いを帯びていた。


より実体のある動きとして、作家が複数で組みギャラリーを自主運営してゆく動きも重要だ。まず言及されるべきは武蔵野美術大学の卒業生を中心に立上がった「Art Trace」(http://www.arttrace.org/)で、東京・両国に参加作家による共同運営ギャラリーを2002年に開設しそこで各個の展覧会を持続している。また、林道郎氏・松浦寿夫氏を迎えて自主ゼミを開催し、そのうち林道郎氏のレクチャーは「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」という書物としてまとめられ出版された。ブライス・マーデン、ロバート・ライマンetc.といった、けして国内では十分な紹介がない重要な作家について、平易で簡潔ながら要を押さえたコメンタリーとなったこの事業は、Art Traceの批評性の高さを示している。


Art Traceに先立つ2001年に、新宿2丁目の雑居ビルに開かれた写真家の自主ギャラリー、photographers' galleryは、先行する写真史の文脈を意識しつつ、その枠組みを超える運動を展開している。目立つのはやはり出版事業を進めていることで、雑誌「photographers' gallery press」はマイケル・フリードの写真論を日本ではじめて翻訳・掲載するなど先進的な内容となっている。またArt Trace同様林道郎氏を迎えたコンセプチュアル・アートに関する連続講座、平倉圭氏によるゴダール読解講座など、写真の枠組みを超えた美術・芸術全般に影響を与える発信力を見せていて瞠目に価する。webにおいても各種評論を載せた「off gallery」のコーナーに土屋誠一氏、斎数賢一郎氏といったメンバーによるtxtやレビューを載せている。この活動の中核には絶えまなく展示されるギャラリーでの個展活動があることは重ねて言及すべきで、photographers' galleryにおいて、こういった各種メディアの展開が、あくまで作家達の制作のためのツール、生産的モチベーションに基づいていることは確認しておきたい。


ここまでで繰り返し出た固有名詞がある。林道郎という名前だ。既存の美術批評/美術館/ギャラリーがグローバルな経済自由主義的環境の中で弱体化する中で、作家が自らイニシアチブをとり状況を産出しようとした時、単純な自己表出万能主義に陥らず、基礎的な美術史理解と批評的射程に基づこうとするならば、やはり相応の理論的能力をもった軸が必要となった。しかし70年代的美術批評はまさに経済自由主義の中で消え去っていた。80-90年代を牽引した椹木野衣氏は70年代美術批評を殺した当人だが、その人自身も“市場至上主義”に埋没し、森ビル資本によるアートショー「六本木クロッシング」にコミットメントしながら完全にアクチュアリティを失った。そのとき、80-90年代をアメリカで過ごしセザンヌ研究を専門としながら、その実、抽象表現主義以降コンセプチュアルアートまでの流れを極めて現場的な視点で知悉していた林道郎氏が、帰国後国内の文脈と無関係に、というか国内の美術言説の空白を埋めるかたちで影響力を持った。もちろん、この状況を準備したArt Traceの作家達の先見の明は重大だが、その後林氏の、政治的というよりは媒介者的影響力はArt Traceを離れて強化されてゆく。


その影響力に実体を与えているのが、林氏のパートナーである広川マチ子氏の運営するギャラリーA-thingsだろう。広川氏の選択眼に基礎を置いたアーティストの展示は長期間にわたり、最新の西原功織展は約8ヶ月間が予定されている。ここで行われる林氏の講義やイベントは、作家・批評家・キュレーター・研究者など、美術に関する横断的な聴衆が集まる。


以上のような、主に作家中心の動き、それに附随する批評言説に平行して、弱体化したとされた既存美術館にもわずかに動きがある。経済合理主義の中で苦戦した公立美術館にも、苦しい経済事情と圧倒的な人手不足を押して、僅かな抵抗の芽を予感させなくもない。日本テレビとつながりの深い館長を都知事の介入によって戴いた東京都現代美術館は、スタジオ・ジブリ関連の展示で観客動員を数えながらほそぼそと若手発掘事業・MOTアニュアルを持続させてきた。公立美術館としてアクチュアルな動きを見せたのが本江邦夫氏を館長に持つ府中市美術館で、山田正亮展を成功させたほか、公開制作で松浦寿夫氏を招聘するなど、市民の支持を得つつ活動を摸索しているように見える。


企画展で無理をせず、他のスペースを利用するといった手法は「屋上庭園」展を行う東京都現代美術館の他には埼玉県立近代美術館でも行われる。常設展の空間を使って「関根伸夫《位相−大地》が生まれるまで」展を開催したり、学芸員の地元作家のチョイスという形式で河田政樹氏など同時代の若手作家を見せる活動は地味だが堅実だ。既存の団体展会場としてアート・ミュージアムならぬアート・センターとして開設された国立新美術館は開館時にやぶれかぶれな展示をしながらノルマとして与えられた団体展をこなしつつ、今春若手作家を集めたアーティスト・ファイル展を実行した。国立近代美術館は京都・東京でエポックメイキングな「痕跡」展を行ったあと、竹橋でコレクションを再構成した「わたしいまめまいしたわ」展を行った。こういった動向が、いわば美術館内部の“インディペンデントな部分”としてあることは考慮に入れる必要がある。


とはいえ、全体に批評的状況を作っているのが意識的な作家、その周辺の批評家のレベルであることは再度強調しておく。むろん、表面的なボリュームゾーンアメリカ・アートマーケットを縮小したような形での国内アートマーケット、ことに日本独自のスノッブ層に向けた各種市場(art@agnesやアートフェア東京etc.)の動きであることは認めざるをえない。


しかし、この層が意外な“弱さ”を持っていることは、中核となるコマーシャルギャラリーが移転を繰り返していることに見てとれる。都心の地価が上昇に転じた段階で遊牧民のように移動してゆくコマーシャルギャラリーは、そのイメージと裏腹に、けして過剰に儲けてはいないのだ。こうした中、個人的な嗜好からパーソナルなアートマーケットをつくろうとする新たな画商・ギャラリーが出ていることは指摘しておく。MISAKO & ROSEN、アラタニウラノといった画廊が代表的だ。また、タロウナス、あるいはバスハウスといった画廊/画商による101TOKYO Contemporary Art Fair 2008が、小学校跡を利用して比較的安価に開催されたことは注記しておく必要がある。*1

この箇所に関して、間違いの指摘を受け、修正しました。

ここは私のまったくの事実誤認です。指摘して下さった福居さんに深く感謝しています。5/12永瀬付記


私がmasuii R.D.Rと共催で進行させつつある「組立」展も、こういった流れの中にあることは自覚している。いずれにせよ、こんな“状況地図”が、こういう個人のblog上で書かれてしまうのが時代の反映なのが滑稽ではある*2

*1:コマーシャルから距離をおいた、作家的視点をもっていたGallery≠Galleryが、オーナーの自殺という形で幕を閉じたことは印象的だ

*2:信じられなくてもいいが、こんなエントリは作家としては書きたくない