美術のさいたま(承前)

・私は何を書こうとしているのだろう。いくつか思い付くことはあるのだけど、どれも大事なことのようでありながら今一つ焦点が定まらない。ぼんやりとしたいくつかのイメージが、どれも連続せずにバラバラにある。こんなに茫漠とした状態で書き出すのはめずらしい。


・とりあえずこのぼんやりは「美術のさいたま」と名付けられた*1。けして埼玉の美術ではない。奇をてらっていると思われるかもしれない。が、たぶんそれはアートにおけるローカリティーをイメージしていると言っておおよそ間違いがない。いずれにせよ、それを「アートにおけるローカリティー」と名付けなかった理由、というものがあった筈なのだ。


・または他の言い方も可能だっただろうか。「日本における美術(アート)」と言ってしまえば、それはそれだけでいくつかの既成の問題圏につながる。そもそも「美術」という言葉(概念)は狭義には近代ヨーロッパで成立した制度の翻訳=ローカライズであって、日本/の/アート、としてしまえばただちに一定の言説のパターンが生成してしまう。


・曰く、近代国家の急造と平行した「国民芸術」「国民絵画」問題、メディウムとコンテキストの齟齬及びその隠蔽(山本芳翠の「浦島図」、黒田清輝佐伯祐三etc.)、「日本画」問題、戦争画問題、戦後民主主義下の社会主義美術(AI-O、中村宏etc.)、ネオダダ、具体、急激な抽象表現主義絵画の受容、新表現主義の誤読、メディア・テクノロジーの優位、モダニズムの崩壊とアメリカ形市場主義の台頭と更にそれへの反動。


・アートにおけるローカリティーとか、日本/の/アート、などとしてしまいさえすれば、あるいはもう少し捻って美術(アート)における日本、としてしまえば、そのフレーズはほぼ「なんとかメーカー」みたいな言説ジェネレーターとして、たちどころにアート系批評ブログ(驚くべきことにそういうジャンルがこの世の中にはいつの間にか出来てるのだ。)のエントリの2,3本は仕立ててしまうだろう。言葉の自動運動。


・多少訓練を積んだ人ならアカデミックな論文くらいは書けてしまうのだろうし、事実、そこそこの数のペーパーがこのジェネレーターで生成されているだろう。もっと才気があり気の効いた人なら、ジャーナリスティックなキーワードを挿入して(近代日本文学+美術+ネーション・ステート+モダニズム+アニメ・ゲーム+テズカ・イズ・デッド+キャラ+萌えの終焉、他なにかありますか)大学の外のどこかに居場所を確保するかもしれない。


・それらが無為な行為だとは思わない。というより、シビアな問題なのだとすら思う。条件は、朝鮮半島からの文化流入とか鉄器の拡大による技術革新に浮かれまくっていた古代や、漢字・紙といったメディア革命のショックに対する反動としての「世界に類を見ない、特異な」国風文化を謳歌した頃から何一つ変っていないのだから。絶えずこういう問いを問い続けることが「問題の捏造」だとは思わない。事実、私だってそういう事は考えて来たし、これからも終わらず考えるだろう。


・ただ、安直に反復されてきた(2000年以上?)「●●は終わった。今や●●こそが現代の感性を云々」といったフレーズを見るたびに、●●に何が入っていようとインパクトを感じないだけだ。どのような工夫がされようと、そういった言い方は「構造」を追認し確認し補強するだけでしかない。飽きた。


・くりかえすけど私はこういった「問題」から自由だと言いたいのではない。ただ、「問題」を考えているつもりが、いつの間にか「問題」に考えさせられていた、という状況が恐い。最初のドミノが倒れれば、一定の時間が経過したのち最後のドミノが倒れる。エンド。経路は複雑かもしれないし、描かれる模様は新奇かもしれない。が、ドミノ倒しはドミノ倒しだ。


・たぶん、それは美術の問題でも批評の問題でも思想の問題でもない。かなりの程度、経済の問題なのだ。うまくパッケージされた「日本/の/アート」というジェネレーターは、たぶん一定の人を、今までもそしてこれからも「食べさせていく」。これは一つの産業なのだ。働くことは尊い。が、働くことは内部に問いかけがなければならない。それがある/なしが、一つの目印になる。


・だから、というわけでは本当はない。ただ、ぼんやりと「美術のさいたま」というフレーズが思い浮かんでしまっただけなのだ。そしてそこに、もしかしたら「日本/の/アート」ジェネレーターから外れた思考が可能かも知れない、という予感を感じただけなのだ。


・予感は予感でしかないし、オチも決まっていない(どころか次の1行も決まっていない)。だが、それはそもそもオチを求めてしまう思考から降りるための、これはレッスンではないか。


・承前と書いてしまったからには続きを書くつもりがあるのだろう。たぶん。

*1:昔「哲学の東北」という本があった