昨日、初日の「組立」会場ではいくつかの人の交差があった。夕方からしか寄らなかった私が出会えた人は限定的だったが、それでも良い時間が過ごせた。


私の到着前に来て下さっていたのが画家の境澤邦泰さんで、私は初対面なのだけど、挨拶もそこそこに、私の作品が床にあることに関する会話から、絵画におけるイメージとマテリアルの関係,林道郎さんのエッセイ(A-thingsで行われている西原功織展のために書かれたもの)で喚起される、言葉による分節の内面化とそれぞれの制作のスタンスの関係などといった会話がスムーズにできた。私の作品も興味を持って見てくれたようでありがたい。こんなことって、絵描きの展覧会なら当たり前かと思われるかもしれないがそんなことはない。「ブラッシュストローク?何それ?」みたいな画家の方が、多分ぜんぜん多いのだ。


境澤さんは「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」を出版したART TRACEギャラリーを仲間と共に立ち上げた人で、若い作家(つまりそれはお金がない、ということでもある)が自主スペースを作ってもう4年も持続的に発信行為を続けている、というだけでも驚異的なのだが、本人はいたって冷静で、あまり理念的にはじめたものでもないし、まぁ、なんとかしているんだ、みたいなことを淡々と言っていた。けれど、まさにその「なんとかする」というような姿勢こそが、互いに大事なんだ、という点で合意できた。


おそらくは彼らのやっていることも、私のやっていることもそんなに「得」なことではない。しかし、たとえそうでも、自分が楽しいことを、自分の価値観で、そんなに大変なことにはならない様に、持続的にやっていけばいいのではないか。そういう意味では、例えばART TRACEとかとはスタンスを異にするコマーシャルギャラリーとかも決して否定的に見るべきではなくて、むしろ旧来の、不透明な美術市場の閉鎖性が徐々に開かれていっていることは喜ばしいことで(実際、作品が売れたりすること、食べられる作家が増える事は何一つ悪いことじゃない)、ただ、それ以外のオルタナティブもあっていいだろう、というような話をした。


こういうことを、まともな下地が無かった(今よりも全然なかった)頃にART TRACEで(まだ名をそんなに知られていなかった)林さんを呼んだりしながら、ごくまっとうに美術と向かいあってきた境澤さんと話していると、自分より年下のこの線の細そうな人の、着実な力が伝わってくる。境澤さんの作品は、特にその様々なプロセスが塗り込められた画面が強度を持って立ち上がっていて、こういう実力のある人が、謙虚に、しかし前向きに何かを語るのを聞くと普通に尊敬してしまう。今ART TRACEは若い作家を募集しているそうで、少しでも興味があるひとは積極的に問い合わせてみるといいと思う。


もう一人、面白かったのが写真家の南條敏之さんとの話だ。私は以前南條さんの作品について書いたことがあるけど(参考:id:eyck:20080130)、あの作品の繊細さがよく理解できる方だった。興味深かったのは写真と映像と視覚の違いに関しての話で、この3つは、なまじ「似ている」からこそ「同じ」とすぐ勘違いしてしまうのだけど、実は(似ているところがあるからこそ)全然違うものなので、視覚とも映像とも違う、写真の喚起する何かを追っている、というようなことを、南條さんは訥々と、しかし情熱的に語っていた。


私は南條さんという人はもっとニュートラルな人だと思っていたので、これほど「写真家」なのだということを知ってびっくりした。あと、南條さんは水面に写る光をずっと追っている人なのだけど、事前に何も準備なくただ水面を撮るのではないけど、完璧なプランを描いてそれを現場で再現しても必ずずれる、そのズレ幅から何事かが掴める、というような事を語っていて(すいません。うろ覚えなので正確ではありません)、こんな真摯な人がレンズ越しに日光なんか追求していて目は大丈夫なんだろうかと、素人な心配をしてしまった(もちろん対策しているのだろうけど、なんだか本当に裸眼で日光をずっと凝視してそうなイメージのもてる人だった)。展示を面白がってくれて少しほっとした。


南條さんは韓国でも発表の機会があるそうで(羨ましい)、韓国のアート事情の話が興味深かった。韓国は現代アートを買う習慣がブルジョア層にあるそうで、皆単品で小さいのではなく、気に入った作家なら大作からまとめ買いをするそうだ。隣の、しかも住宅事情がそう違うとも思えない所でそんな話があるなんてしらなくてびっくりした(中国市場の噂は数年前からよく聞くけど)。多少、経済的な格差が大きいのかもしれないという話だったけど、それにしたって、もしかすると韓国は日本以上にグローバル化の影響を受けているのかも、と感じられた(政治的にはアメリカから距離を持っているように見受けられたのでそれも意外だ)。境澤さんも、南條さんも、まっとうに作品について取り組みながら「なんとかやっている」という姿を見せてくれて、とても勇気が湧いた。