利部志穂、という人のことは、実は少し前に知っていた筈なのだ。6月にやっていた古谷利裕氏との「組立」展の最中に、古谷さんが何かの拍子に「もうすぐあるトベ?っていう人の展示が面白い…」と言っていた覚えがある。古谷さんはこの人の名前の呼び方に自信がない様子だったのだけど、前回見た展示がとても良くて、たまたま会期終わりだったけどもっと余裕があれば知り合い皆に見に行けと言って回りたくなるものだった、と言っていた。あの古谷利裕氏にそこまで言わせる作家というのも珍しいな、と、その時は思っていたのだけど、実は私はこの事をきれいに忘れていたのだ。


だから、なびす画廊にふらっと寄って(これも危ういところで、少し時間に追われていた私は、画廊の前を素通りするところだった)、3Fでエレベーターを降りて、扉の向こうの会場が妙に暗くて、これは展示をしていないのではないか、という気がして、すぐにエレベーターに戻って引き返そうとも思ったのだけど、なんとなく人がいてやっぱり展示しているのかも、と思い直し、少し勇気を出して中に入ってみたら、会場中に金属の棒やらスクリーンやら何かの断片のようなものやらが設置されていて、あっと思った、その少し後に、ようやく古谷氏との会話を思い出したのだ。もしかしてこの展覧会のことじゃないかな、と。


利部氏の作品はおおよそ日常に目に触れるものが少しづつ壊れ、少しづつ分解され、すこしづつ本来の形からずらされ、少しづつ関係ない他のモノと組み合わされて出来ている。例えば入り口近くにあるのは、ベンチプレス用の台というか、あるいは医療用の小さなベッドのような金属のフレームなのだけど、恐らく横に置かれるものだったのだろう「それ」は縦に立てられ、接地面で荷重を支えている棒状の部分は、片方だけが元の方向とは反対に向きを変えられている。その奥にあるのは、天井からモデムのコードが下がり、それが長い柄のようなものに絡み付いている。横に伸びたその柄はさきっぽに箒のプラスチックのパーツが接続され、そのパーツが壁にくっつくことで全体が宙に浮いている(ように見える)。反対側にはワインのコルク抜きが刺さっている。


他にもこういうものが、インスタレーションとは言えないような「とっちらかりかた」で会場に充満している(実際、あの会場に6-7人も観客が入ったら満足に作品が見られないのではないかと思う)。ホコリ払いの羽らしきものが何かと継ぎ木されて置かれている。車の部品か何かがスクリーンに向けられている。ガラス器のように見えたものが、プラスチックのペラペラしたものと他の何かの積層物だったりする。


しばらく見ているうちに、これらのものが全部「無理矢理くっつけられた」様子も「無理矢理切り離された」様子もないことに気付く。最初に書いた入り口近くのベッドみたいな金属のフレームにしても、接地面で反対側に向けられた部分は、もともと構造として、一度元の接合が外れてしまえばくるりと向きが変えられるものだったと想定できる。けしてバーナー等で切り離したわけではないだろう。モデムのコードも長い柄に接着されているのではなくあくまで絡まっているだけだ。刺さっているワインのコルク抜きは、そもそも刺さるように作られたものだ。逆さになったブリキのバケツの底にCDがはめ込まれているものもあるが、要するに作家は、レディ・メイドの製品が、もともと構造として離れたり、くっついたりするものを、別の文脈のものにむけて離したりくっつけたりしているだけで、つまり能動的に「造る」のではなく「方向を変える」ことをしているのだと思う。


利部氏の作品を見ていると、ブリキのバケツの底の直径にCDがぴったりハマることを「発見」した時の作家の悦びのようなものが漠然と理解できて、ついつい頬がゆるむ。これも、けして「笑わせよう」というねらいがあってのことではなくて、いつしか笑ってしまう、というようなもので、なぜかと言えばこの展覧会場に満ちている真剣さというのは、たぶん恐ろしく生真面目でシリアスな何事かであり、そういった、見ているこちらの体が関節で外され、向きを変えられて他の何かに繋げられてしまいそうになる生理的な「怖さ」の感覚が逃げ道を探した先に漏れるのが、小さな笑いにしかなりようながなかった、というものではないか。上で書いた「とっちらかりかた」も、けして雑な散乱ではなく、かといってシアトリカルな演出効果とは切り離された、一度気になると異様なまでに細密な「とっちらかりかた」をしていて、そこに込められた真剣味というのは、ひんやりと伝わってくる。この作家は、半ば本気で世界を作り替えようとしているのではないかという気分すら湧いてくる。


会場には男性がひとりと女性が二人いて、たぶん女性の一人は画廊の人なのだろうと思うのだけど、3人で「展示してないと思って帰るひとがいるんですよね」「それはそのひとの判断ということで」みたいな会話をしていて、私はなんとなくあの男性が作家ご本人なのだろうと思いつつ黙って会場を後にしたのだけど、今この記事を書こうとしてネットで検索したら、利部志穂氏は「かがぶ しほ」氏であり、「トベ」さんではない上に、「しほ」という名前から当然類推されるように、女性なのだ。こういう、ちぐはぐな勘違いは勿論作家本人とは無関係な話なのだけど、なんとなくこういう事態が引き起こされるのが腑に落ちる展覧会だった。別に勘違いの責任転嫁をしているわけじゃないのだけど。


●「新世代への視点 2008」 利部志穂 展