美術のさいたま/経済のさいたま(3)

・美術に携わるものが、価値や、価値の共有としての信用について考える事はある程度必然でありながら、それが語りづらい空気が感じられてしまう。これは抑圧的なイデオロギーというものだろう。むしろ価値とその共有について(あるいは共有の不可能性としての「恐慌」について)、最も深く長く考え続けてきたものこそが美術家であり美術について関わるもの達だった筈なのだ。彼等が価値や信用やそれらの流通について語ったとたん眉を潜めるとしたら、その前提はなんなのか。あえて極論を言えば、美術家や美術に携わる者達は、常に誰にも共有されない筈の価値を、半ば暴力的に(すなわち一見詐称であるかのように)共有させてしまう金融装置であった筈ではなかったか。


・日本がローカルである=「さいたま」的であるが故に(逆説的に)相対性の中で浮かび上がってしまったとして、この奇妙な反動に抗することは難しい。そして、外部が「さいたま」化してしまったとしたら(アメリカなどは金融危機の処方箋として、企業会計処理の基準緩和を検討している…つまり、さんざん揶揄された「ニッポン式」会計へのような曖昧化=さいたま化だ)、「美術のさいたま」批判は、その多くが無効になるし、むしろ一種の隠蔽となる。すなわち、既にありもしない「先行モデル」を基盤にして消えてしまった地域的特殊性を無理に持ち上げることになる。そして、その持ち上げは、一見さいたま批判(ローカリティ批判)というパッケージに包まれているかもしれないのだ。ローカルである条件から問われた問いを否定することによって、ローカリティそのものを保持してしまう状況。


・漠然とした予感がある。通貨だ。通貨について考えることが、全てを繋げるキーになるのではないか。例えば以下のような有名で古典的なtxtがある。ここでの「生産」を金融的生産、と置き換えて読んでみることは、それなりに興味深い。かっこ内は私による加筆だ。

恐慌期には、これまでのどの時代の目にも不条理と思われたであろうような社会的疫病―すなわち過剰生産(金融的生産)の疫病が、発生する。社会は突然一時的な野蛮状態につきもどされたことに気づく。(中略)ブルジョア的諸関係は、あまりにもせまくなって、自分のつくりだした富をいれえなくなった。―ブルジョアジーはなにによってこの恐慌を克服するか? 一方では、おびただしい生産力(金融的生産力)をやむなく破壊することにより、他方では、新しい市場を獲得し、また古くからの市場をいっそう徹底的に搾取することによって。結局、それはどういうことか? より全面的な、より強大な恐慌を準備し、恐慌を予防する手段をすくなくすることによって。


・無論、ここで私が加筆した「金融的生産」を「美術的生産」とすることも可能だろう。だが我々はむしろ、生き延びてしまうという(死ぬ事ができない)困難に包まれていて、そこに「外部」がない“時代閉塞の現状”を感じているように思える。我々は、どうしても最終的なクラッシュに立ち会えない。全面的な恐慌はそうはこない。例えば美術作品の価値の幻想を突いた美術作品に高額のプレミアがついてしまうように。美術館が否定された直後に美術館が増殖してしまうように。こういった謎の中核に通貨の謎がある、と仮定しよう。その謎はどこまでも謎だ-「労働価値」などのようなもので示され得ない、というのが岩井克人貨幣論」の指摘だった。更に言えば、通貨について考えることと、言語について考えることがパラレルでもあるのだった。ここから思考されるのは、不況・恐慌とはつまり「通貨(の流通)の不足」なのだから問題の解消には通貨(の流通)を増大させるオペレーションが効果的である、という事実が、それこそパラレルに美術の状況に当てはめられるのでは、ということだ。


・美術の「不況」、それは作品が売れるとか売れないとかいうレベルだけでなく、もっと根本的、原理的な部分においてのことだけど、そこに不況・恐慌があるとしたら、それを解消するオペレーションとしては、通貨≒言語の流通の低減の解消が有効なのではないか。既にさんざん言われて、言われすぎたあげく改善されるまえにインパクトも消えてしまいそうなこの考え方には、そんな視点から新たに光が当てられるのではないか。商品が売れ無い時、ただひたすらに「商品それ自体」に固執してしまうこが商品フェチと呼ばれてしまい、真に有効なのは通貨の流通の促進なのだとして、美術が不活性な時、美術それ自体に固執してしまうのはやはり美術フェチとなってしまうだろう。美術に言説が必要だ、という認識は、まったく知的ファッションや時代のモード(批評の時代!)とは関係がない。それはいわば経済政策として絶えず必要なのであり、そういった認識は通貨を考えることで、より有効性をはっきりさせることができると思う。