少し前のことになるのだけど、損保ジャパン東郷青児美術館にジョットの展覧会が来ているというので行っていた。もちろん、日本にそう簡単にジョットがくる筈がないのだし、「ジョットとその遺産展」と題されていれば、実質的にはジョットというよりはその周辺のものがメインになるのは了解済のつもりではあった。実際、2004年の都美術館の展覧会に来ていた「ジョット」も、小さなフレスコの破片だったわけで(参考:id:eyck:20041109)、そもそもそんなに簡単に動かしてよいものでもない。というわけで、会場最初の部屋に主役としてあったサン・ステファノ・アル・ポンテ聖堂附属美術館の「聖母子」が、後の質の悪い加筆が加わっているか、腕の低い工房のものだろうと思えるクオリティであっても驚かなかったし、むしろアルノ川の氾濫で傷んだというフレスコの断片「嘆きの聖母」に、どことなくジョットの気配を感じられたのが幸運だったくらいの話で、とくにがっかりした、ということはない、つもり。


この展覧会で見る事のできた、相対的によさそうなものといえば、フィレンツェで見て歩いた様々な場所ではほとんど注目しなかった筈のもので、例えば捨て子養育院附属美術館から来たものとか、サンタ・クローチェ聖堂附属美術館のものとかいわれる展示品は「そんなのあったかなぁ」というくらいのものだけど、これはけして「つまらない」ということではない。現地では、風景から空気から全てがあまりにクワトロチェントの遺産に埋め尽くされていてマヒしてしまうけれど、こうしてその部分だけを日本で見ると、ルネサンス期のフィレンツェ美術の異様さ、その飲み込みづらい、濃さというかしつこさというものが、新鮮に感じられる。こんな奇異なものたちを、普段図版や映像ではごく自然に情報として受け入れてしまっていて、まるで自分たちにも理解可能であるように考えてしまうことがどのくらい無茶なことなのかが実感できる。それはイコノグラフィーの構造とかジョットによる認識の転回とか、そういう抽象的なことよりは、金地の不透明な鈍い、ぎらりとしたような光にぶつけられたテンペラの黒とか、異様な顔をした聖人達の羅列の隙間のなさとか、そういう即物的な部分での違和感で、こういうものを歴史上の定点として体系化された西洋美術史なんてものをふまえて自分が制作をするなんて、まったくありえない、と思ってしまう。


ベルナルド・ダッディの「携帯用三連祭壇画」などは完成度が高く保存状態も良好で、印象としてはバチカン美術館が持つジョットのステファネスキ祭壇画に感触が近い。このベルナルド・ダッディという人はけっこうテクニック的に優れた人で、わりとはっきり職人気質を前に出すタイプに思えた。他にも何点か出品されていたが、これらのものがこの展覧会での最もハイレベルな作品だと思う。他にはマゾリーノの「聖イヴォと少女たち」というフレスコの部分が、出来不出来というよりはその肌合にブランカッチ礼拝堂の空気感みたいなものを思い起こさせてくれるもので印象的だった。国立古文書館の本の表紙が木の板にテンペラで装飾されたもので、これはオブジェクトとして面白い。もう「MYST」とか、そういうゲームの世界に出て来そうな古文書感全開で、つい「アイテムをゲットした」とかそういうプロンプトが思い起こされてしまう。


初期ルネサンスの美術を見ていると感じるのは、色彩が様々な決まり事や習慣、象徴体系によって意味づけられ、それらの約束事を知っている人ならばだれがその色を見ても即座に了解されるように定位されている、という、いわば絵の「外」からの規定と、しかし、にも関わらず個別の作者や作品(もちろんここでの作者や作品というのは広い意味での、おおよその事だけど)によって、共通化されている筈の色彩が、それでもどうしても大きな、あるいはちいさなブレ幅を持って見えて来てしまう=絵の「中」からの有り様とが、同時に現れてしまうということで、これは、色彩という、なんとも捕まえどころのないものを考える上でとても重要なことだろう。つまり、色彩とは、けっして誰とも共有できない不確定なものでありながら(私が見た青とあなたが見た青が同じ青かどうかは分からない)、しかしそれとまったく同時に色彩はそれ自体記号として機能もし(青信号では進む)、さらに言えばアッシジのジョットの青、といえば、やはりそれを見たことのあるだれもが「あの青」を想起し、それについて様々に議論が可能になる(その議論はもちろんどれも一致しないかもしれないが、そもそも議論が可能である、ということは、「アッシジのジョットの青」について、皆が一定の同定可能な想起をしていることを裏打ちする)、という事態が起こりうるということで、このような複雑な状況は、絵画を考えるときにはけして外せないポイントだと思える。


こんなことを考えたのはたぶん先に川村記念美術館のモーリス・ルイスを見ていたからだろう。例えば「ヴェール」シリーズの、重ねられ混濁した大きな面積の部分が、しかし単なる「彩度の低い、後に排除されてしまう部分」ではなく、積極的な意味を持つとしたら、いわば想起される色彩、想像的色彩の現前というか、共有可能であると同時に不可能である色彩、あるいは想像的色彩と現実的(物質的)色彩と象徴的色彩、といった複数の次元の色彩の重なり合い、と見えてくる時で、このような多次元の色彩の震える、その震えの幅の偏差において、ふと鮮やかな色が覗き見えてしまうのだ、というような言い方をしてみたくなる。もっとも、こういう言い方はそれこそ言葉に振り回されての言い方なのだけど、「ダレット・サフ」とかの前に座って眺めている時の、いわく言いがたい感覚は、明快に色彩が分化されるまえの色の胎児の気配に近いのかもしれない。思えば、アッシジのジョットの聖フランチェスコの生涯を描いた壁画の前半、ことに「外套の貸与」とかの青の新鮮さは、壁面に溶いた青の顔料をふっと染み込ませた、その息づかいが封じ込められたような青で、あれは色の新生児みたいなものだったかもしれない(パドヴァのスクロベーニ礼拝堂の青は、写真で見る限りもっと強い、自立した青に思える)。


損保ジャパン東郷青児美術館での展覧会は既に終了しているが、今は丸紅が持っているボッティチェルリが公開されているので、これはこれで見に行きたい。