国立新美術館で「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展、サントリー美術館で「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展を見て来た。噂には聞いていたのだけれど、とても充実した展覧会だった。個人的には過去最も刺激的だったピカソ展のような気がする。国立新美術館で1500円のチケットを買い、サントリー美術館で1300円のチケットを買って、カタログが二館共通で2800円という出費だったわけだが、これは出さざるを得なかった。もちろん2館共通のチケットを買っていなかった私が怠惰なわけだけど、私はどうしても美術館の前売り券を買う事ができない(前もってこの展覧会にいく、と決めてしまうと、その展覧会に対して一種の「準備」ができてしまう。それが生理的に嫌なのだ)。


ピカソは、「ものごとが見えるという事態はどういうことか」という問いを、描く事を通して探っている。画家にとって、見えたものは描けたものだけだ(描く事によって見るのだ)。会場に入って最初に目に入る「ラ・セラスティーナ」は、光が消える直前に残る色彩である青、つまり弱い光の中の、片目が白濁した女性を描いている。弱い光=かろうじてわずかに見える中にいる、片目の、おそらくわずかにしか視覚がない人物。ここでの問題系は「盲者の記憶(デリダ)」とは異なる。「見えない」のではなく「ほんのすこしだけ見える」という境界線上の、不安定な何か。これは「まったく見えない」という、決定的で、ある意味強い問題設定ではない。暗いのではなく薄暗い、見えないわけではないけれど、はっきりと見えるわけではないという、弱い世界の不確定性のなかでのみ露になる、認識のコアのようなものをピカソは捕まえている。


以降、分析的キュビズムまでピカソは知覚の形式を驚くくらい真っすぐに追うし、総合的キュビズム以降は「ものごとを認識する」ということは知覚だけの問題ではないという直感から「認識」の領域をどんどん拡大させてゆく(だから、ピカソの大きな切断線はキュビズム以前/以後ではなく分析的キュビズム/総合的キュビズムの分割線にある)。人は無意識や伝統や社会や感情や身体を排除しては事物を認識・知覚することができない。この、ほとんどありとあらゆる事をやっているような美術家のしていることは、驚くほど一本気でもあって、見える事=描ける事の条件を探す。なんでピカソがあんなに間断なく、ほとんど隙間恐怖症的に制作し続けたか、私はこの展覧会でようやく理解できた。ピカソは制作していない間は世界が見えないのだ。事実上、作品を作っていないときはピカソは盲者になってしまう。描いているときだけが見えているときで、だから起きている間は制作しつづけなければならない。才能がある、ということの苦痛は制作中毒の中でしか緩和されない。


「女の頭部(フェルナンド)」は、明らかにスタティックな彫刻、動かない彫刻を“作る”レベルでのストレスに抗したものだろう。二つの目を交互に閉じるとちらちらと像が角度が変わって見えるという、ごく当たり前の事態。あるいは人間の身体はけして止まっていない(作家もモデルも)、ということをそのまま制作において抑圧しないでいようと思えば、像はどうなるか。これが単に「見える」こと、知覚されたイメージのブレや複数性の問題だけならば、それは印象派の設定と変わりない。ピカソにおいては、認識とは必ず制作とセットになっているから、像をモデリングしながら次々と変化してゆく視界と目の前の制作されつつある作品との関係性の変化は、あのようにしか定着されない。ここではむしろピカソ即物的な制作者として「妥協」すらしているのであって(この原理を突き詰めたら作品などは1個として完成しない。ピカソの多産はほぼ「生涯制作数0」と裏腹の関係だ)、このような有り様はキュビズムの最も厳しい作品(「マンドリンを持つ男」)にいたって逃げ場がなくなり自壊しそうになっている。


確かにピカソは時間を、制作する中で必ず経過してしまう時間を迂回せず露に導入する。フリードの言うような、恩寵のようにしか現れない「瞬間」とは、出来上がった作品を事後的に鑑賞する場面でしか招聘できない。ごく当たり前に言って、作品が出来上がるのには、必ず一定の時間が必要なのだ。ピカソはその時間を、絵の具の物質性を抑圧しないように抑圧しない。ロザリンド・クラウスがビートと呼ぶものは、ピカソの絶え間ない苦痛の先延ばしを指し得るだりうか。例えば歯が傷む時、そこで最も意識されるのは時間だろう。痛みの大きなうねりは心臓の鼓動に乗っていて、「今」のこの痛みが「いつ」緩和されるのか、という時間の経過にしか神経が集中しなくなる。その痛みを繰り延べ遠くへおしやるために、あらゆるアイディアが行使される。それは、例えば「新聞・マッチ箱・パイプ・グラス」の中に侵入した言葉=文字や「バイオリンと楽譜」の楽譜に見いだされる経時的構造から析出されるものというよりは、ごくフィジカルなレベルに感じ取れる。それは個々の作品と言うよりは無数の作品のつらなりから把握されるもので、やっぱりピカソは、1点づつ見るよりは、ある程度数をまとめて見るべき作家なのではないかと思えた(こういう言い方は、ストイックに個々の作品に向かい合うべきだ、という立場からは批判されやすいのかもしれないが)。


繰り返せば、ピカソが問い続けた知覚=認識のありようは「作る」という動作の中でしか掴めない。そしてその「作る」行為はけっして無時間性の中に回収できない。その意味でピカソの前ではフリードの「恩寵」も形而上でしかありえないし、グリーンバーグ-フリードに抗したクラウスが言うような、言語構造の差延から論理的に分析されるビート、あるいは精神分析に基づいた「無意識」ですら、論理のための形而上に見えてくる。ピカソは徹底的に作る人だったのであり作り続ける人だったと思える。そこで露出する「時間」こそピカソにとって最も重要なメディウムだったといっていい。逆に言えばあらゆる素材とイメージを操作していたピカソが生涯手放さなかったメディウムこそ時間なのではないか。


●巨匠ピカソ