子供の罹患したウイルス性腸炎に私が感染して、しばらく苦しんでいた。深夜、製作をしていたら母体の呼ぶ声がして、とんでいったら起き上がった子供が吐いていた。吐瀉物をかたずけ、着替えさせ、シーツをかえて、熱が無い事を確認して、その夜は寝かせた。翌朝、子供と私はそろってお腹を壊した。医者に行った子供の診察を聞いて、これは吐瀉物からうつったかな、と思っていたら午後から急速に気分が悪くなって、夕方に今度は私が嘔吐した。数回の吐き気の後、妙にすっきりした気分にはなったものの、またしばらく気分が悪くなり、口にした水分はそのまま出ていってしまった。翌日にはすっかり衰弱してしまい、お腹を壊した以外は元気な子供のそばで私一人臥せっていた。原因ははっきりしている。子供の処置後の手洗いが不十分だったのだ。


母体は「絶対私は感染しない」という覚悟をみなぎらせていて、手ピカジェル(消毒用アルコールをジェル状にしたもの)でことあるごとに手を消毒し(おむつに触ったら消毒、授乳前後に消毒、トイレにいったら消毒、調理前後に消毒、あと私に近づいたら消毒)、室内でもマスクを着用していた。子供は食事をやめ、母乳+イオン系飲料で脱水症状を防ぐ、あとはおむつの管理を徹底してお尻を荒れさせない。私もおおよそ同じようにしていたのだけど(母乳は飲まないしおむつもしてない。念のため)、しかし平気で遊んでる子供が不思議だった。嘔吐してお腹を下すのは、まずなんといっても凄く疲れる。苦しい、辛いというより疲労で体が動かない。一瞬年齢のことが頭をよぎったが、これはどう見ても部屋中活発に歩き回っている長男の方が変なのであって、まぁ彼がうんうん唸っている所を見なくてすんだのは気が楽だったが、なんかかえって心配になった。


嘔吐、というのは勿論自分ではコントロールできないことで、ことに最初の1回の、あの胃が引き絞られる感覚は、まるで自分の体内にポンプが埋め込まれたかのようだ。というか、実際その時胃はポンプになっているのだけど、その圧倒的な、あらがいがたい力と、硬く締まった瞬間の、棒が体の中で屹立しているような物質感には鮮烈なパワーを感じる。そして、その引き絞りに合わせて、こんなに胃に内容物があったのか、というくらい大量に液体が出る。勢いよく吹き出る吐瀉物も半ば個体のような強さを持っていて、そのような爆発的な放射が、全て終わったあとの妙な爽快感に繋がるのだろう。ちょっとした全力疾走をしたように息が乱れて、肺が大きく空気を吸い込んでは排出する。そしてゆっくり平衡をとりもどしてゆく。うがいをすれば鼻水と涙が出て、ああ、自分の体は穴だらけで、あらゆる部位が太い、あるいは細い管で繋がっているんだというのがわかる。自分の体が客体として立ち上がる。


自分の意識が自分の体から疎外されたようなイメージは体調を崩せば誰にでも感受できるが、逆にそういう時にこそ自分の体に出会うこともできるわけだ。あの嘔吐の瞬間の、自分の消化器官が一気に変容して想像上の彫刻みたいに自分の中にぐうう、と出現してきた時の、いわく言いがたい恍惚感は、順調に動作し違和感なく忘れ去られている時こそ自分の身体が自分の意識から疎外されている/自分の意識が自分の身体から疎外されているのではないかとすら感じさせる。この年になって、自分の体が新鮮な驚きを覚えさせてくれる、なんてことはそう滅多にないのだけど、ごく久しぶりの嘔吐(前に戻したのはいつのことだろう?)には、そのような一瞬のきらめきがあった。ただ、その後の脱水は単にげっそりさせられただけで、もう一刻も早く完治したいだけになった(子供の後で私も医者に行った)。


子供は徐々に便の回数がへり(腸炎で水分しか与えていない時の子供の便で重要なのは内容ではなく回数)、4日目くらいから適宜おかゆを与え始めたら正常に復した。私も治った。母体は子供からも私からもまったく感染することなく完璧にすべてを処理した。お見事。