mix jam展の搬入は、20回目を迎えるグループ展というだけあって(私は途中からの参加)なんか洗練されてきていて、サクサクと作業が進んでいた。たぶん、一番要になるのは21名の作品の場所決めで、この時間が一番、不思議な緊張感がある。当日現場にこられない人から委託された作品が梱包を解かれる、それと同時に、私のような、バラバラに分解した作品を会場で組む人間が作業をする。そういう中で、徐々に皆の作品が露になって、ああ、今年はこの人はこんな作品を作ってきたのか、と、ひっそり目配せしている。そして、自分の作品も、組み上げながら周囲の人に見られていることを意識する。そこで、おおよその「値踏み」みたいのが行われている。ああ、力のある作品だなぁ、とか、少し弱いかな、とか。


なんでこれが重要なのかといえば、この印象で各作品の展示位置が決まってくるからだ。あまり「強い」作品同士が近く並んでしまうと相殺しあってしまうし、かといって隣の作品の存在によって消えてしまう作品が出てもいけない。これはキャンバスにタッチを置いて行く所作ととても近くて、要するに相互の関係が一番いきいきと見えてくる状況を会場に組織していくわけだ。この展覧会は、けして「アーティスト」として活動しているわけではない人々が中心(というか多数)だけど、同時に生半可なものよりはずっと力のある作品も出てくるので、とにかく全体のばらつきが激しい。この展示をまとめるのはけっこう大変なんだけど、これが試行錯誤の末落ち着いていくのを見るのは楽しい。


強い/弱い、という判断と、良い/悪いという判断はけして同じではない。弱くても意外な面白さがある作品があるし、強くても少し違和感があったりするものもある。とはいえ、やっぱりこういうグループ展だと、どうしても「強さ」というものは全体のポテンシャルのために必要とされたりもするので、つくづくグループ展で作品をみせるというのは複雑なものだなと思う。いいな、と思う作品があっても実はそれが会場内の関係性で良く見えていたりすることがあるし、反対のこともある。私は最近この全体作業から離れる時間が長くて(キャプション製作担当だったり、今年は子供を見ている時間があったり)、なんか申し訳ないのだけど、今回の展示はずいぶんすっきりとまとまっていたように思う。


こうやって、毎年毎年、てんでに作品を持ち寄りながら相互に見せ合う機会がずっと持続していると、それだけでなんか意味が出てくる。人はそんなに突然作風のようなものを変えたりしないしできないものだけど、それでも、やっぱり毎年違う作品を出しているわけで、そうすると、自分も含めたそれぞれに「今年は充実したかも」とか、「やっぱりちょっと変化したかな」とか、そういう発見がある。人は急には作品を目覚ましく良くできたりはしないけど、それでも持続していくことで、少しだけ力をつけていったり、意外な変化のきっかけを作ったりもできる、ということが確認できるのは、勇気が出る。そういう意味では今回一番印象的だったのは佐藤さんの描いたリンゴの油絵で、こんな美しい赤は久しぶりに見た。濃度はありながら濁りのない赤で、ちょっとリンゴの形態がシンプルかな、と思ったけど、あの絵の具の輝きは素晴らしいと思った。


傑作なのが塚田哲也さんがデザインしたDMで、これは出来上がりが配られた時から二人とも参加している私たち夫婦の間でめちゃめちゃ受けてしまった。微妙に素人っぽく、わざとグラフィックデザインの定石を外しながら、しかしやたらと細部が作り込んであるDMで、これはほとんど塚田さんのmix jamへのコメンタリー(というか批評)になっている。宛名面で、参加者の間をスラッシュで区切ってあったり(昔、ワープロでチラシ作ってた小学校のチラシみたい)、そのスラッシュが一ヵ所タチオチになってたり、普通合わせないだろう、という書体を合わせていたり、縦書き中の数字の扱いとか、地図の道路と文字の妙な合わせ方とか、もう突っ込み始めたらきりがない。これを見るだけで相当楽しい(印刷物に多少なりとも詳しい人にはたまらないとおもう)。


あと、演出家の阿部初美さんが弟さんと一緒に展示作業をしていて、私はこの二人がそろっているところをほとんど見た事が無いのだけど、こんなにさっぱりとした、個人的な空気を持ったそれぞれが、それでも一緒にいると、その「それぞれな感じ」がとても良く似ていて、兄弟(姉弟だけど)って不思議だなぁ、と思った。阿部初美さんは最近blogを始められたらしくて、リンクを張っておきます。今回の展示では過去の演出作品のDVD記録映像が流されています。