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建畠覚造という人の彫刻が、実はよく分からない。作品に対して「分からない」と言う事は私には多分珍しいことで、それは何でも分かるとかそういうことではもちろんなくて、まず大抵は、面白いかつまらないかでないのなら「関心がない」ものであり、積極的に「分からない」と思うことは、ましてやその「分からなさ」について追っかけてみたいと思うことは、稀な事になる。
この場合の「分からない」というのは、たしかにちょっとひっかかる、というニュアンスを持っているけれども、しかしかといって「魅力的な謎」と言えるほど強い吸引力があったわけでもない。ごく稀に目にすることがあっても、ほとんど通り過ぎてきてしまったし、「分からない」はどこまで行っても「分からない」であって、「分かりたい」と思うような契機も持てなかった。事実上こういうのは「関心がない」と言うのと同義で、実際ある段階まで私は建畠覚造の作品に関心がなかったのだけど、それが少しだけ変化したのは、多分、2005年に練馬区立美術館「創造のさなかに ただ今、制作中」!展で建畠覚造を見た経験が契機なのだと思う。そして、たまたま京橋のギャラリー山口で建畠覚造の晩年の作品を見て、その「分からない」という感覚が思い出されたのだ。
建畠の彫刻には手技の跡がない。だからそこでは作家の身体性の直接のインデックスが見つけられない。また、建畠の彫刻は塗装が施されていてその材質感が消去されている。いわばモノ性が隠蔽されている。彫刻というのは、なんらかの形で身体的実存の投影をされてしまうものだし、また多くの場合そこに依存して力を得ていると思うのだけど、まずは建畠の作品はそういった構造から距離をとっている。しかし、だからといって建畠の彫刻が「論理的」だとも思われない。端的に言って、そこにはいかなる「論理」も見いだせない。ここでいう論理とは形式的論理性の事だけれども、あきらかにそれが見いだせるカロなどとは建畠は同列に扱えない。もしそこに「論理」があるとするならそれは建畠独自の体系だと思うのだけど、いくつか見た範囲でも、そこに「体系」なるものは見いだせない。だから、私には、建畠覚造の彫刻が「わからない」のだ。
カロよりデイビット・スミスと比較したほうが適切なのかもしれないが、建畠の彫刻には明らかに近代日本の貧しさ、つまり欧米のモードの底にある形式的論理性の導入までにはいたれなかった貧しさがあって、その貧しさは安井曽太郎とか梅原龍三郎とかと相似形のものだと思う。どうしたって「俺理論」にしかなれない日本の近代美術の中で、「抽象」という言葉がまったく独自に解釈され、「奇形」(坂口安吾)的に展開していったのが建畠の作品ではないだろうか。そして、そのような「奇形」がヘゲモニーを握ってしまうのが、日本の美術界なのだった。本当なら、こういった作品はほぼアウトサイダーというかごく一部のフリークス達によって限定的に愛好されるようなものだと思うのだけど、それがメインストリームの権威になってしまうところが皮肉だ。要するに、私の感覚では、建畠覚造という人は「立派」に扱われすぎている。でも、この作家の魅力は明らかに周辺的な種類のもので、むしろ驚くのは死に至るまでその自らの周辺性を捨てていないことだ。
建畠の作品はほぼ壮烈なギャグに見える。中期のお椀型の形態を重ねてゆらぐような塔を作ってみせたりとか、合板をつっぱらしてゴムみたいに見せたりとか、落ち着いてみれば見るほど笑いが込み上がる。これが嫌でないのが、「深刻」に見せようとする所作のないことで、だからこそ表面には手の痕跡(努力の痕跡!)がないし、素材性(物それ自体という「深さ」)もない。フォルムが、フォルムで完結せずにそれを取り囲む空間をなんとかとりこもうとして、波を描いたり円環を連ねたりしている。そして、建畠自身はおそらく、超がつくほど真剣にこれらの仕事に没頭しているのだ。観客を予めイメージして「笑わそう」という意識がある「現代美術」のサービス精神がいかにもチープなのに比べて、建畠覚造の作品が生み出す笑いはノーブルだ。
私の地元のJR大宮駅の西口に、やや唐突に設置されている建畠のモニュメントは金属で作られたもので、改めて見返せば後期の建畠覚造の特徴がよく出ているものだったと思う。