2009-2010 アートのメルクマール(2)

ここでの「ジャーナル」とは広く商業出版のことを指す。ジャーナルの状況は厳しい。要するにそれは雑誌の苦境と平行性を描くからだ。雑誌・出版の状況に関しては仲俣暁生氏の分析(参考:http://d.hatena.ne.jp/solar/20090218#p1)がある。また、マンガの分野に特化した分析では竹熊健太郎氏も参照できる(参考:http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-442f.html#more)。多くの文芸・人文学系の雑誌がマンガの売り上げによって維持されているのが事実なら、マンガの収益構造の変化はそのまま人文学の言説の構造を変える。同時に、苦境なのは雑誌であり比較的書籍は堅調、という情報は留意すべきだろう。東浩紀氏の「思想地図」が半ば書籍の形態で出ているのはこの状況に沿ってのことと思える。


ジャーナルの分野を新しい動きの中で象徴するのがレビューハウスだろう。ことに「思想地図」にも軸足を置く黒瀬陽平氏は、まだキャリアを積み始めて間もないながら東浩紀氏「ゼロアカ道場」に付随したGEISAIでの発言も話題になった(参考:http://www.youtube.com/watch?v=y2p9cQwIkcY&feature=channel)。既存の出版構造の中で、既に単著も出し安定した露出を見せるのが古谷利裕氏で、文芸批評を書く傍らで映画や美術に関するtxtも発表している。黒瀬氏と古谷氏の、どこか緊張を含んだ儀礼的無関心の背後にあるのは複数ジャンルを同時に批評しうる二人の多ジャンル性という大きな共通項で、美術言説だけでは収益性がない以上、この多ジャンル性は不可避と思える。日本の美術批評が文芸批評に従属したものだというのは私が今期「組立」フリーペーパーで触れたモチーフだが、だとすれば思想地図+黒瀬陽平氏、文芸誌+古谷利裕氏という組み合わせは自然なものだろう。


また、ここでの「マーケット」は美術市場と、それを取り巻く状況を指す。マーケットは現在縮小しているが、不況こそマーケットを強化するのは資本というものの性格であって、経済的苦境がマーケットを壊すことはない。これは世界的な規模でのリセッションで、全体的な俯瞰は私の能力を超えるが(というか、俯瞰しうる人が存在するか疑問だが)、部分的な徴候は捉えられる。アートフェア東京2009が間もなく開催されるが、art@agnesと合わせて新興アートマーケットはとりあえず定着したと見ていい。そういう中でギャラリー21+葉が自由が丘に移動したのは、90年代にバブルが崩壊したあと銀座の画廊が一斉に動いたことに比べればむしろ小さな動きに見える。もっとも、日本の経済はまだ底を打っていないから、今後の動きは予断を許さない。


マーケットへの展開に意欲を見せているように見えるのは、意外なことにアカデミーと捉えられそうな美術・芸術大学だ。少子化と経済不況、さらに国立大学の独立法人化は、マーケットの論理を否応無く美術系大学にもたらした。近年増加した美術大学・美術学校はおそらくなんらかの形で淘汰される。その競争として美術大学のマーケットへの接近がある。自由経済的価値観でマーケット及びメディアに眼差しをむけ、他大学に影響を与えているのが京都造形芸術大学だ。副学長に秋元康氏を迎え、後藤繁雄氏・浅田彰氏をスタッフに持つ京都造形芸術大学は、市場プロデュース、あるいは編集者的指向を明確にしている。そういった意味では、東京藝術大学に籍をおく池田剛介氏、あるいは前述の黒瀬陽平氏の、マーケットへの眼差しや編集者的視点は確実に京都造形芸術大学の遺伝子と言える。小山登美夫ギャラリーが京都に進出していることも、京都造形芸術大学の影響があるだろう。


ここでの「アカデミー」とは大学一般ではない。美学・芸術学・表象文化論といった学術研究の諸活動、及び制作者と微妙な距離をもつ理論的活動を指す。また、部分的に美術館の学芸員による研究も含む。アカデミーのコアは、乱暴に言えば表象文化論学会の拠点でありUTCPを擁する東京大学と、かつて重要な雑誌「issues」を発行していたりした多摩美術大学にある。もっとも、その活動が全面的に上手くいっているわけではない。表象文化論学会は学会誌「表象」を発行した。また緊密な関係がある「SITE ZERO/ZERO SITE」も発行したが、一般性を獲得しているとは言いがたい。中沢新一氏が起した多摩美芸術人類学研究所はそのコンセプトが従来の美術史に適切に接続されていないために現場の作家に対する生産的な参照項になっていない。また、一時期小規模に、しかし活発に行われていた芸術学の理論的活動が現在徐々に部分的に知られてきたが、これは当初から一般性とは無縁の-あえていえば反一般性にこだわった-活動だったように見える。


それでもこういったアカデミックな場所の出身者から、社会的な発信が見られるようになった。昨年出版された「ディスポジション」は美術に限らず、権力論、宗教、建築など大きな枠組みを扱いながら実践的な内容を含んでおり話題となった。また、執筆者の一人だった平倉圭氏のゴタール論は、photographers' galleryで公開講義されインパクトを与えた。先のエントリの「美術犬」のメンバーの土屋誠一氏、「批評の現在」シンポ参加者で灰塚アースワークにも参加していた上崎千氏、松井勝正氏らの活動も見られる。そして、これらの動向を束ねる場所として、四谷アート・ステュディウムがある。独自に活動する土屋誠一氏を除いて、若手研究者の活動の場として四谷アート・ステュディウムは機能している。近畿大学の東京コミュニティカレッジという中間的な形態を持つ四谷アート・ステュディウムは、半ば意図的にアカデミーの制度の狭間に立ちながら、外部で育った若手研究者のビビッドな部分を掬いとることに成功している。ただし、不思議な事に実制作者として内部で学んでいったアーティストを自立させることには相対的に苦戦している事実は指摘すべきだろう(京都造形芸術大学と対照的だ)。学内賞制度「マエストロ・グワント」はむしろ大賞を逸した人の活動が目立つ。


粗いスケッチだが、半ばゲリラ戦的に、散発的に行われていたインディペンデントな活動が徐々に表面化し、一種の戦線を形成しつつあることは概観した。特徴的な事は、各カテゴリ−すなわちジャーナル、マーケット、アカデミーが現状の経済情勢という下部構造の地盤沈下に苦戦しながら、というかそれ故に、潜在的に現れていたバラバラな各タレント(才能)を再-属領化し、自らの活性化につなげていこうとする構造的展開だ。これを周辺→中心、といった簡単な図式としてシンプルに受け止められる可能性はあるだろうか?もちろん、諸戦線は複雑な形態をなしており、塹壕は意外な場所で連結/分断されている(このエントリの欲望は、一見無関係な文脈にあるものが意外な連結をし、逆に別な所では分断が起きていることを示すことにある)。そもそもそれまで中心だったと思われていた場所の陥落スピードがあまりに早く、周辺→中心という交代劇自体がなりたたなくなりつつある。繰り返すが、問題は制度化ではない。制度に外部はない。このblog自体が既に「アート系blog」という制度(!)の内部にいるのかもしれないのだ。ひきこもり研究家・上山和樹氏の言葉を援用すれば「動かなくなる事」が問題なのであり、「動かす」ことができるならば、むしろ既存の制度を有効にツールとして使う必要があるだろう。次の10年が始まる。