追記

上でタグ付け、と書きましたが、こういったことは実作者というのはしないことになっています。これはいつか「組立」専用blogでも書いた通り「作家は黙って作品を作れ」というイデオロギーがあるからで、このイデオロギーは作家自身に生理的に内面化されていて、「黙って」いないことは「汚い」「醜い」ことのように考えてしまう(制度への隷属の内面化)。黙々と、周囲の状況や美術史など眼中にいれず、むやみに「なんだかわからないもの」を作って、それが「良い/悪い」をジャッジするのは作家でない人、という構図があります。多くの(若い)作家は正直に盲目に作品制作に邁進して殆どの人が人生の貴重な時期を棒にふり、たまたま幸運な人がわずかな期間メディアに載せられて数年で忘れられます。少数のクレバーな作家は、こっそり様々な分析を個人的にして大人しくしている。


しかし、こういう状況ははっきり言って不健全なだけでなく非効率です。ディティールはともかく、おおざっぱなスケッチくらいぶっちゃけてしまって公開し、公共財として検索可能にしておいた方が数段「楽」な筈です。それはもちろん、そのようなタグ付けを鵜呑みにしろ、ということではない。批判的に検討すればいい。しかし、例えば22才で今春美大を卒業した人、あるいは18才で美術学校に入学した人が、そこから一歩を踏み出そうとするとき、ざっくりとした指標があるとないとでは大違いな筈です。将来制作しつつ美術批評をやりたい、と思うならどうしたって文芸批評なりサブカルチャー批評なりアカデミック・ポストなりの複数の必殺技が必要なのだ、と知るタイミングが18歳なのと30歳なのとではだいぶ異なる(無論、30歳だろうが40歳だろうがそこから良い仕事をする事は原理的には誰にでもできますが)。


空気の読み合いをしていられるほど国内の美術リソースは豊かではない。こうだ、と思ったら率直に言った方が事が早い。そういう意味で、私のエントリに違和感が表明されたことも使える所がある、と言われた事も私としてはありがたいです。