NHK教育テレビの「おかあさんといっしょ」をはじめとする幼児向けの番組が面白い。「にほんごであそぼ」なんかはかなりの良質な内容で、野村萬斎のコーナー(変な仮面かぶった黒子といっしょに「ややこしや ややこしや」とか言いながら芭蕉の句などで遊ぶ)とか、クラッシックやジャズを人形劇で演奏(!)する「ゆうがたクインテット」も魅力がある。ピエール瀧とかクドカンとかを起用している箇所もなかなかセンスがいいなと思う。少し前に「にほんごであそぼ」で流された「でんでらりゅう」は傑作で、この歌を聞いたときは宇宙人の言葉かと思った。私はすっかり覚えて、ふとしたときにうたってしまう。

でんでらりゅうば
でてくるばってん
でんでられんけん
でてこんけん
こんこられんけん
こられられんけん
こん こん


「萌え」って一般化したんだなぁ、と思うのは、教育テレビの番組群のところどころに、いわゆるおたく系のテイストがちりばめられている事で(クッキンアイドルとか)、一番目につくのは「おかあさんといっしょ」のお姉さんがあからさまにアニメの声優さん的な声質をしている(というか最初聞いた時は声優さんがアテレコをしているのかと思った)。このお姉さんが凄いのは、まぁ、一般的な視点から見れば相当程度に「痛い」んじゃないかと思われるこの役回りを、明らかに、積極的に、心底この「おかあさんといっしょ」の世界観に留保をおかず演じきっていることで、少し感動してしまう。そんなことは当たり前じゃないか、という人は一度番組を見てみれば分かる。例えば隣にいる「お兄さん」や、「体操のお兄さん・お姉さん」だってプロなのだから、きちんと、すき無く演じているのだけど、この「お姉さん」は、明らかに情熱の質が違う。


おかあさんといっしょ」という番組は昔から(私が子供の頃から)あるけれど、自分が親としてこの番組に触れるようになってから、タイトルのトリック(?)に気づいた。このテレビは事実上、親が手のかかる子供に一人で視聴させて、その間に家事なりなんなりをする為のもので、「おかあさんとべつべつ」でいさせるツールだったのだ。その事に気づくと、しみじみ深い味わいがあるタイトルだと思う。だいたい幼児というのは、自分で歩き始めたら目が離せない。そして起きている間はひたすらかまわなければならない。親と子だけの核家族なら、そして最近はやりの母乳育児(離乳は無理にせず自然に!)なら、ぐずって深夜にも起きる子供と母親は誇張抜きで24時間・365日密着となる。


私の配偶者の友達が妊娠中にお腹の中の子供と生活リズムが違う(夜、活発にお腹を蹴る/昼間は静か)ことを「お腹の中にいても他人なのよ」と言っていた、という話が印象的だったのだけど、産まれて立ち歩いて自我を表明し始める1歳過ぎの子供=他人と、これだけ一緒にいる生活がストレスにならない筈がない。そして、家事が進まない。そういう時、テレビを見せて放っておけるというのはめちゃくちゃありがたいもので、「おかあさんといっしょ」が食事の準備にちょうどいい時間帯に放送されているのは合理的で直接的な根拠がある。あの、ちょっと見には耐え難いセンスの歌や踊りや音楽や色彩は、落ち着きのない幼児をひたすら集中させる事に完璧に最適化されている。


もちろん私はこういうテレビ番組があることを肯定的に思っているし、そしてそれを子供に見せることも積極的だ。いくらでもこの手のテレビ批判などあるのだろうけど、実際自分が育児をすれば、夕方のあの時間帯に、直接的な危険性もなく目の届く範囲で子供を楽しませておくことのできる装置がある、というのがいかに素晴らしいことか。私が母乳を与えているわけではないから、世の多くの母親業をこなす女性より、私は良くも悪くも育児のストレスはずうっと軽いのだけど、それでも一日子供を見た日、くたくたになったタイミングで「おかあさんといっしょ」が始まってくれるのはオアシスのようなありがたみがある。


「テレビなんかで育児に手を抜かず、もっと子供と一緒に居てあげて」的な、一見耳触りの良い、しかし実は親の内面に脅迫的に機能する言葉がある。家庭に祖父母等がおらず、父親も朝から夜まで(その多くがけして恵まれていない労働環境で)働いていて育児から疎外されており、女性が働こうにも保育園は満杯で満足に受け入れてもらえず、一度出産でキャリアを途絶えさせた人の就職先は信じられないほど貧しく、地域やその他の中間集団は壊れていて、そのうえ先進諸国でも1,2を争うほど子育てへの公的補助がないこの社会で、むしろ母親は過剰に「子供と一緒にいざるを得ない」のだ。私の家庭が熟読している「私はあかちゃん」の松田道雄氏が言うように「子供は安全な環境を与えて捨て育てが一番。過剰保育は危険」という視点をとるなら、「おかあさんといっしょ」やその他の子供向けプログラムは、少なくとも現在考え得るモアベターなテレビ番組で、これはいわば「仮想おかあさん」が、実際のおかあさんになりかわって、短い時間、「いっしょ」にいてくれるわけだ。正しい。とても正しい。