国立西洋美術館で「ルーブル美術館 17世紀ヨーロッパ絵画」展。クロード・ロランという画家にはちょっと懐かしい(そして少し恥ずかしい)思い入れがある。小学生か中学生の時だったけれども、当時家でとっていた読売新聞の名画紹介、みたいな日曜日版の別紙に、クロード・ロランの絵が印刷されていて、ロマンティックにきれいだな、と思って、切り抜いてとっておいた。あの古代建築を脇にそえた港に帆船が浮いている、いかにもクロード・ロランらしい構図の作品で(もはや、どこの美術館が持っているなんという作品か分からない。もしかするとロンドン・ナショナル・ギャラリーの「上陸するシバの女王のいる風景」だったかもしれない)、その、日の光に満ちた画面が素敵だなぁ、と思っていた。


今回の展覧会で見られた「クリュセイスを父親のもとに返すオデュッセウス」も同工異曲の作品で、画面右手に前景として古代ローマ建築が大きく見切れており、左手に中景としてローマ都市があり、それに挟まれるように港湾の海、手前の浜に多くの人が群れていて、遠くに朝日(とにかくクロード・ロランの描く港湾の絵の光は朝日がいい)と帆船がある。この空気感と光に満たされた、閉じた湾の親密な空間が、新鮮さを感じさせる空に向かって小さく開いていて、私はウフィッツィでも別の作品を見ているのだけど、今回もまったく同じような感触が味わえた(この、作品が異なっていても殆ど同じ品質の感情を与えるところが職業画家のロランの安定したところであり退屈なところでもある)。クロード・ロランの秘密は、トーンの構築によって見る者を画面の内部世界に招きいれられるところにある。明るい中間調子、その光に満ちた表面が、画面の外の観客の空間と作品世界をしっとりと連結してしまい、まるで観客を古代ローマ時代の湾にいるかのような気分にしてしまう。


中間調子の光の表現が、クロード・ロランとまったく異なったあり方でされているのがフェルメールの「レースを編む女」で、やはり影の部分の明るさ、光と影で画面を構築せずに遍在する光子の分布でフィルム的に画面を作る。その光がどうクロード・ロランと違うかといえば、ロランが光を演出効果として扱っているのに対して、フェルメールは光それ自体に向かっている。まったくエフェクティブではないし、観客から作品が独立している。この有名な作品で、どうしても異様に見えるのは、あの、溶けて流れ出す糸の表現なのだけど、ここだけフェルメールは光の画面を破り絵の具それ自体を露出させる。迫真的な、つまり写真的というよりは世界を一つ画面の向こう側に作り出すような精緻さの中に「これはあくまで絵の具で出来たモノである」ということをわざわざ示すような絵の具。フェルメールの絵が火で熱されて絵の具が溶け出してしまったような表現は、例えば印象派の先駆けとかいうものとはまったく関係が無い(ぜんぜん絵の具の扱いが印象派と違っている)。それはむしろ、サン・マルコ寺院の上階、フラ・アンジェリコのフレスコのある所に突然アブストラクトに散らされた絵の具とかに近い。


サン・マルコ寺院の壁に溢れ出た絵の具に関してはジョルジュ・ディディ=ユベルマンが「神秘神学と絵画表現」という本を書いているけれど、フェルメールに「神秘神学」を見る気は私にはない。ただ、あきらかに光学、というか光の性質に興味を持っていた(そして絵の具の粒子を波動的に扱っていた)フェルメールが、“光自体”の不可思議さにとらわれていた、というのは自然に発生する考えで、その光を偏差させ色彩を生み出す絵の具が、こうやって光の画面から突出してくるのは、どこか「受肉」の逆過程、つまり一定の精神性が宿る理性的絵画画面から単なるモノへの分解過程に見えてくる。また、この作品はその小ささが特に印象的で、もともとフェルメールはフレームの意識が厳密なのだけど、ここではその厳密さが、作品の物理的なサイズを余計引き絞っている。変な言い方だけど、実際の作品より「もっと小さく見える」のだ。


プッサンの「川から救われるモーセ」、ルーベンスの「ユノに欺かれるイクシオン」などは優れた作品で(2点あるルーベンスの最初の作品はつまらない)、ことにプッサンの、これだけの大きさのある作品が日本で見られるのは貴重だと思う。フランス・ハルスって本当に上手な人で、その筆致はめちゃくちゃモダンだ。そして、モダン、というのは、やはり、古典主義的「品」とは無縁なんだと思う。フランス・ハルスはノーブルに見えないけど実は、みたいなフォローはとくに必要がなくて、そのブラッシュ・ストロークのザッハリッヒな感覚を受け止めればいいのではないだろうか(この作家はいつもこの手の○○美術館展、みたいな企画の埋め草みたいに扱われるけど、そういう企画に良くみられる巨匠の駄作よりいつも数段良い作品が見られる)。日本でまとまった展示が見たい画家で、誰か考えてほしい。ムリーリョの「無原罪の御宿り」は、ムリーリョにしては密度がなくタッチがばらけていて「あれ?」と思わされる。レンブラントの自画像も、ちょっとピンと来なかった。


ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画
-

  • 国立西洋美術館
  • 〜6月14日(日)
  • 午前9時30分−午後5時30分
  • 毎週金曜日は午後8時まで
  • 入館は閉館の30分前まで
  • 6月4日(木)−6月14日(日)は夜7時まで
  • 6/5(金)、6/12(金)は夜8時まで開館