京橋の南天子画廊で岡崎乾二郎展を見てから、東京駅八重洲口まで歩いて都バスに乗り、馬喰町まで行ってgallery αMで中原浩大展を見た。この二人の作品には共通する感覚があった。どちらも過去作品の展示ではあるけれど、中原氏の作品は1989年のもの、岡崎氏は2000年くらいから近作までのもの。どちらもポップな色使いであり、作品に対する身体の関わりの痕跡が迂回されつつ残っていて、複数の要素の間に「隙間」がある。


色彩に関して言えば「ポップ」という言い方では粗雑に過ぎるとは思う。この二人の作品には要するに工業的な素材の色彩が保持されていて、単なる色というよりはマテリアルのテクスチャーが共通し、それが各作品の色彩を規定している。岡崎氏の作品はアクリル樹脂であることが強く強調されていて(透明なメディウムの多用)、その表面はキャンバスの綿布に対比してつるつるしている。中原氏の作品は緑の毛糸と赤・黒で塗装された木材の球で、毛糸は単色しか使われずタイトルにはっきり「ビリジアン」と明記され、木材の球は機械的に成形されたように見える手技の感じられない幾何形態で色彩もペンキのような質感でフラットに塗られている。


上で「マテリアルのテクスチャーが共通していて」と書いたけど、もちろんアクリルと毛糸や木材に塗られた塗料は異なるものだ。ここで共通しているものこそ2番目に上げた身体性の現れ方で、工業生産された素材の色彩がそのまま生かされ手技の感触が一度切断されている。と同時に、全くのフラット、身体の完全な排除もされていない。というか、身体の痕跡は切断と同時に出ている。この身体の消去/現前の二重化、あるいはその距離(身体の切断と顕現の距離)感覚が「共通して」いるのだ(テクスチャー、という言い方はやはり間違っていただろうか)。


岡崎氏の作品においては、不定形な絵の具がパレットナイフのようなもので綿布上に配されながら、二枚一組の作品では相互の画面にほぼ同一のタッチが反復されることで身体の一回性・交換不可能性が廃棄されるし、単独画面の作品でも、個々のタッチの綿布からの切り離し(下地のない画布に染み込まないアクリル絵の具)等によって同様の効果を得ている。中原氏の作品では手編みの巨大に延ばされた一種の「手袋」がやはり不定形に会場に広がりながら、まさに「手編み」という手芸のシステムに身体の表出が解消されている。更にそこに成形された球が配されるがそれはプラスチックでもスチールでもない、木材という有機物で、岡崎氏も中原氏も、有機と無機の複雑な配置によって、作品から直接的な「人間の体」を放擲させながら改めて意識的な(人工的な)身体を再浮上させている。


3つ目の「複数の要素の間の隙間」は、いわば二人の作品を経験する時の運動に関わる。中原浩大氏の作品は地下の会場の柱から編まれた袋状の布が垂れ下がり、それが床に広がっている。その合間の一部に2つの球が置かれる。その、床に広がった布の隙間をたどるように私は会場を歩き回っていたのだけれど、その、目で床の隙間を探しつつ、時には布をまたいだり、踏んでしまったかと心配したりしながら、この、地図をたどるような動きが、岡崎乾二郎展の作品の複数のタッチを追う感覚と、すごく似ていると思えたのだ(私が二人の作品を似ていると感じた中核ポイントはここにある)。いわば岡崎氏の作品が与える視覚的運動を即物的に実体化すれば中原氏の作品になりそうだし、中原氏の作品を形式化して抽象化すれば岡崎氏の作品に近づく。アンフォルムな諸要素が、しかし基底材(岡崎氏の場合は綿布の張られた木枠、中原氏の場合は地下のギャラリー)に浸透することなく、厚みをもって剥がれそうに乗っかっており(岡崎氏の絵の具はたっぷりと厚みを盛って「乗っかり」、中原氏の布も厚みをもって「乗っかる」)、相互に少しずつ離れながら、所々で少しだけ重なる。


2つの展覧会を「続けて見た」という行為が、映画の切り返しのように本来異なる文脈にあるものを繋げてしまう、という効果はあったかもしれない。しかし、やはりこの二つの、おそらくは偶然に同時期に行われた旧作展示は、思いもかけない連結をしている。そこに「時代」のようなものを見るのは多分間違っているのだろうけど、例えば私にとって中原浩大という名前は、いわば現代美術の終わりの人物として記憶されていて、岡崎乾二郎という名前は、現代美術が終わった後の「単なる美術」の可能性を再思考した人物だった。


中原浩大氏の近作を、私は去年のBankART Life 2「心ある機械たち」展で見ていて、それは、暗い空に散らばる鳥の姿を捉えた大判の写真プリントだった。それは、もう、本当に「終わった後」の作家の、不気味な空虚をそのまま念写したようなものだったのだけど、そのような「作品(あれはしかし、作品なのだろうか)」が出てくるのが、今回の展示を見て理解できたような気がした(「作らなくなった」作家が、写真を撮り始めるという例を私はもう一人知っている)。「現代美術」という、かつてあった奇妙なムーブメントは、そもそも一瞬で終わるしかない筈のもので、その後でなお「現代美術」し続けることは中原氏にはあり得なかったのかもしれない。さらに推測すれば「現代美術」は終わっても「美術」は終わらない(というか「終わり」という観念自体が「現代美術」を作っていた)という確信から、むしろ活動を活発化させたのが岡崎乾二郎という人なのかもしれないけれど、やはり、こうしてみると、「現代美術」はどこかしら岡崎氏の作品に深く刻まれたものとしていまだに残存しているように思えた。中原浩大展は終了済、岡崎乾二郎展は明日まで。