ギャラリーヤマグチ クンストバウ東京で鈴木たかしCOLOUR HAZE展。リネンを張ったパネルにジェッソで描かれた絵画作品。一片が30cm四方、あるいは35cm、45cm、50cm、60cmのスクエアの画面が、時に単体で、場合によっては2枚並べて展示されている。会場に入ってすぐの2点の作品のみ、画面中央が垂直に高く出っ張る変形パネルになっている。この作品は出っ張りが作る垂線で色彩が左右に分けられている。他の作品は単体のものは画面が帯状に水平・あるいは垂直に分けられそれぞれに異なった色彩が塗られる。組み合わされたものは片方が縦に、片方が横に分割される。原則的に1つの作品の中で分割される色面は色相・明度・彩度いずれも近い範囲で差異が形成されており、境目にはかすかにペンのようなもので事前にひかれたのであろう境界線が見てとれる。絵の具層はそれほど厚くなく、近づいてみれば筆跡がわずかに残る。作品名は全て作家のイニシャル+数字によるナンバリングとなる。


最も優れていた作品は入口近くの、垂直に凸型の折り目を入れた変形パネルの作品だと思える。これはプロフィールにあるように、かつて立体を制作していた作家故なのだろう。はっきりと「かたちはもういい」と言い切っている作家本人にしてみればあくまで過渡期にあたる作品で不本意なのかもしれない。しかし、この「立体性」の導入されていない、純然たる平面作品は、その破綻のない同系色による構成、清潔な仕上がりといった品の良さは感じるものの色面とフレームの関係に緊密さが見られず単純に流れており(無論、「ミニマル」であることと「単純」であることは異なる)、絵画作品として弱さが拭えない。この弱さはけしてサイズ、あるいは色彩のコントラストといった物理的なものでは埋められないと思える。あくまで分割された色面の面積比/フレームの比率、分けられた絵の具層のエッジの有り様、塗られた絵の具の表面の質の有り様といった絵の内実に関する「質」の問題であって、そういう意味ではバックヤードの紙の仕事の方がバランスがとれていた。


変形のパネルで作られた「半平面」といえる作品の質は、まさに平面になろうとしてなりきっていない作品の、抑制された、しかしはっきりと主張のある空間への働きかけ方のテンションによって維持されている。このような空間との結びつき方は見事なもので、例えばモノクロームのストライプ絵画に行き詰まり1960年代にシェイプド・キャンバスを手がけ始めた頃のフランク・ステラの作品などより遥かに高い水準で(そして、全く異なる切り口で)絵画のフォーマットに対するコメンタリーとして機能している。一見単純な、いくらでもありえそうな試みに見えて、少なくともこれだけの完成度と質でこういった作品が成功している例を私は知らない。明度を変えた色面の錯視かとおもえば物理的に形成されている折り面が、作品に独特のキャラクターを与えている。面が正対する観客の視線に対して斜めに傾き突出することで、この面を形成する色彩に圧縮効果(面は正面から見るより斜めから見る事で密度が上がる)が働き、それが完全な平面作品とは異なる強度を形成している。


推測で立体から平面への「過渡期」と書いたが、作家にとってこの作品の位置づけがどのようなところにあるかは本当には分からない。しかし、平面が単に物理的平面ではなくいわば「絵画平面」として立ち上がるためには、憶測であることを恐れずに言えばこの作家は真っすぐ平面には向かわず迂回路を極力長く設定した方がずっと生産的なものになる予感がした。少なくとも十分に検討されてきたのであろう立体作品の痕跡はこの作家に深く刻まれていて、それは端的にアプリオリに絵画を生産する「画家」(私のようなものを指している)に対してアドバンテージになりうるのではないだろうか。もちろん、立体/平面といった言葉による分割自体に内的に抵抗するのが美術家なのだとすれば、鈴木たかし氏の試みにはそのような抵抗が今回出品されたどの作品にも包括されているのだろう。それが最も突出していたのが「半立体/半平面」の中間的な作品だったのかもしれない。とにかく、この作品の延長にある作品がもっと見てみたい。


●鈴木たかしCOLOUR HAZE