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先週新宿ニコンサロンで王子直紀展「牛島」を見ていた。モノクロの写真プリントがフレームに収められ、キャプションなしで展示されていた。写真中に1枚だけ「悪石島小学校」という表示のある門が写りこんでいたことから、この展覧会の会期中、皆既日食の観測ポイントとして連日報道されていた列島がモチーフであることが連想された。また同時に、このまったく説明のない展覧会名に、その列島を直接想起させる材料がないことは、事前に予想された世間の島々に対する一時的な関心のもたれようと、この写真家の立場の違いの表明であるようにも思われた。王子氏の写真は構図が収まっていないものが多い。数が多い。よく見えない。黒い。暗い。荒い。速い。はねつけられるような、とっかかりのない、どこから入り込んでいいのかわからない、ぶっきらぼうな、即興的な、練り込まれていない、操作のない、装飾のない、またたくような写真だった。
王子氏の写真のつっけんどんな感覚は、対象との間に親密な感情を抱かせない。どこか、相手に近づけそうで近づけない、すれ違う印象を抱かせる。とにかくシャッターを切っている、その速度とリズムだけが響いてくる。この撮影者は「良い写真」を撮ろうとしているとは思えない。ある写真が、良いとか、悪いとか、そういった価値判断をそもそも受け入れないような、つまり反省の入り込む間のない写真。前提がないと言ってもいい。方向がないと言ってもいい。こういった写真にルーツを見つけるのは多分難しくはない。アレ・ブレ・ボケといった言葉を出しただけで連想される一連の固有名詞があるが、そういった、今や巨匠と言っていい人々の写真と王子氏の写真は、恐らく関係がない。もちろん王子氏がそういった固有名詞、写真の歴史に無頓着だと言いたいのではない。ただ、王子氏の写真が撮られている必然性と、過去の写真家達の写真の必然性に連続性がないと言いたいのだ。もし、写真史的「必然性」を前提とするなら、王子氏の写真は、たぶん「必然性のなさ」に支えれられている。
世界と自己との接点としての写真−その接点が失われている、という感覚を基準点にするならば、私が連想できる王子直紀氏のモノクロプリントに最も近いのは80年代の高梨豊氏のカラープリントだ。都市のツルツルの表面をカラーで捉えた高梨氏と南方の島をモノクロで撮る王子氏を繋げているのは「世界」へのとっかかりのなさとリンクした「写真」というメディアへの疑義だと思う。写真を撮ることが、対象を自分と繋げる、より生理的に言えば対象を「喰う」行為だとして、王子氏の写真には、どうしても対象を食べようとしては嚥下できず嘔吐してしまうような感覚がある。そしてその試みは、ある意味高梨氏より徹底している。なぜ南の島なのか?簡単に言えば、それは、南の島が王子氏となんの関係もないからだろう。関係のあるものを撮ってしまえば「関係の無さ」は撮ることができない。あくまで東京との深い関係から「都市へ」を撮っていた高梨豊が、近作でどこかノスタルジックな反動的「東京」を撮っているのに比べ、あるいは都市への視線の反転として南島に向かった過去の写真家達に比べ、王子氏の南の島への無根拠性は際立っている。
誤解を避けるために言えば、王子氏の写真にニヒリズムはまったくないし「絶望」のような甘えもない。根拠がないこと、関係がないことは、王子氏にとってごく当然の条件であり環境なのではないだろうか。そこに示されているのはただの断層だと思う。ただの、という言い方が消極的に聞こえるとしたら、そこでは過剰に加工され演出されたイメージがあまりにも前提になっているのだ。一つのメディアを、それは写真でも絵画でも映画でも演劇でも文学でもいいのだが、じっくりと時間をかけて準備し、精密に作り上げ、「良い」ものにしていこうとした時、そこにはそのような「良さ」がもたらすメディア=メディウムの効果への信頼が前提になる。対して、王子氏の写真には、そのような「ゆっくりとした」時間を醸成するような安定した足場がない。いったい「写真」など撮ることができるのかと言いたげな危うさは、簡単に写真史などに接続できない。王子氏は、過去に写真史があるから写真を撮るというよりは、そのような写真史が壊れているから写真を撮っているのだと思える。
王子直紀氏の写真の乱暴さには、含羞にも似た繊細な感受性がある。その含羞が、対象と写真との、直接的な触れ合いを迂回させている。そのような迂回が切実に感じられた時、「牛島」という、この展覧会で唯一のキャプションが、直接どこにもつなぐことができないという事実は、どことなく腑に落ちる。展覧会は既に終わっている。