ギャラリーヤマグチ クンストバウ東京で「Don't Think. Feel!」展。ドナルド・ジャッド、カール・アンドレ、桑山忠明、ソル・ルイット、ロバート・ライマンの5作家の小作を展示していた(展覧会はもう終わっている)。


会場に入ってすぐの壁にはライマンのエッチング(1993)が飾ってあった。紙に、ややベージュがかった白のインクが四角く押しつぶされたように刷られていて、画面右上にインク面を囲むように作家のサインが鉛筆で書かれている。ライマンのアクアチント(銅版画の技法で、銅あるいは亜鉛の版面に松やにをふって裏からアルコールランプなどで熱し、溶かして付着させ腐蝕液につけ、引き上げて溶剤で松やにを除去して、出来た凹凸にインクを詰めて刷るもの。エッチングには難しい面表現ができる)の仕事というのは初めて見た。けして銅版画として精緻な製版をしているものではなく、インクが多量で、版を離したときにアクアチントの孔に収まらなかったインクが粘って持ち上がった状態がマチエールになっていたが、ライマンらしくその白の溢れ方に神経が行き届いた作品で、清潔に仕上がっていた。サインの付け方とかもとことんライマン的で、この人はこういう事を延々楽しくやっていられるのだなと改めて感心した。


たぶん、この展覧会で一番よかったと思えたのがカール・アンドレの、規則的な凹凸をつけられたカーボンを床に置き片方の先を壁に接したフロアピース(2004)で、流石にこの作品に今現在インパクトを受ける、ということはないのだけれど、逆に言えばこのシリーズに含まれた反復や無限延長(とその切断)といった主題は十分見るに足りるものなのだ、ということがわかる。ちょっと作品としては洗練されすぎているようにも見え、若干工芸的な触感が前面に出ている印象があったけれども、例えばもの派のある部分が急速に情緒的なところに流れて短期間に本当にただのクラフトになっていってしまったのに比べ、カール・アンドレにはどんなに表面を磨こうとけっして「ただの工芸」には落ち込まないロジカルな骨格が残る。正直に言って、李禹煥の2000年代の仕事を隣に並べたらそのあまりの「工芸化」にびっくりするのではないだろうか(ミニマルアートともの派を簡単に並べるな、と言われればそれまでだけど)。


桑山忠明の作品表面の洗練はカール・アンドレよりずっと進行している。桑山忠明には情緒的な面がない、と言われるかもしれないけれど、あっさり川端康成と結びついていたりするのは、少なくとも十分突っ込むに足る気がする。そういったコンテキストが要請されるのが海外で活動する日本人の条件なのだ、ということなのだろうけど、私が感じた「日本の性」は、文脈云々だけでない、文字通り作品の表面に内在した感覚だ。この、あまりにも「美的」な仕上がりは、どうしてもナショナルな性格に見えてくる。それでも桑山氏の作品が、「ただの工芸」ではないことだけは理解できる。見事に磨かれたフレームの表面の、微細な差異は、もはや繊細すぎて見る側の知覚のゆらぎが現前してくる。つまり、漆塗り並みに極まった表面は、あくまで知覚のメカニズムそれ自体に作用してくる感覚があって、けして単純な雰囲気の醸成になっているわけではない。


ロジックだけ展開されてそれをオブジェクトとして見えてくる意味が果たしてあるのか、と思ったのがソル・ルイットの有名なグリッドの彫刻の小型のバリエだ。ミニマリズム-コンセプチュアルアートの流れが行き詰まる、その当然の根拠となる意識的不毛さを見ていると「作品」を形成する骨格とは、やはり最終的に言語的形式性にだけ還元されるわけではないんだな、と思う。ここで言っている「作品」性とは何なのか、と言えばピュアなマテリアルとしての美的存在ではない(それでは上に挙げた工芸になってしまう)。ごく乱暴にいってしまえば、それは存在の存在性に宿る複雑さ、と言っていい気がする。この複雑さは言語的差異形式の複雑さではなくて、あくまで、何事かが「ある」ということ、その「有り様」と差異形式の一体化しつつ分裂する「現れ」としか言いようが無い(ハイデッガーが、私の参照項では一番近い)。ソル・ルイットのこの作品は、いくらなんでも単純すぎる。


ドナルド・ジャッドのモノタイプとレリーフは、実は驚くほど冴えが無いのだけれど、その冴えの無さが、むしろこの作家の、現場における美術家としての内実を示しているように思えた。現在から振り返ってジャッドを見ると、どこか論点先取であとは半ば自動的に作品を作っていたように見えるけど、60年代とかは、相応に思考に蛇行があり、一歩ずつ作品を作りながら論を煮詰めていっていて、そういった階梯の先に、あの過激な自動産出的な、フレーム展開マシーンが現れたんだと思う。そういう痕跡として、今回見た作品はちょっと感動させる。あのジャッドがこんなどんくさい作品をまじめに作っていたのかと思うと(特にレリーフ)、ぐっとくるというか考えさせられるものがある。この作品は他の作家の比較的新しいものと比べてより「現場的」な空気を感じさせていた。


ギャラリーヤマグチの名前を知ったのは随分前のことで、埼玉県立近代美術館のショップコーナーにドナルド・ジャッドの「建築」という本があって、買ってみたらこのギャラリーが出していた本だった。ジャッド自身による建築プロジェクトが、実現しなかったアイディアも含めて掲載されていて、かなり貴重な内容だった。落丁が気になったのだけれども、そもそもこういった書物が、けして大きいとはいえないだろう1ギャラリーによって出されていたことが驚きだった。どこにあるのかと思ったら大阪が本拠地のギャラリーで、ちょっと行きづらいと思っていたら少し前に東京に分室のような空間が出来て、行きたい行きたいと思っていたのだけど、なぜかwebサイトの情報を上手くキャッチできなくて、先の鈴木たかし展で初めて訪問できた(参考:id:eyck:20090630)。バックヤードに小さな物販コーナーとかあってくれたら有り難かったのだけど(かえすがえす惜しいのだけど私はジャッドの本を紛失してしまったのだ)、それはなかった。大阪のギャラリーに機会があったら行ってみたい。