東京藝大美術館で「コレクションの誕生、成長、変容」展。藝大開校以来のコレクションを岡倉天心、正木直彦、黒田清輝平櫛田中由来の4章に分けて展示したもので、やや雑多な感があったものの、面白かった。既に何回か見た事のあるものも多かったけれど、やっぱり藝大のコレクションというのは充実していて、繰り返し見ても飽きないし、こういった展示をコンスタントにやってくれるのはいいなぁと思う。この美術館ができたのは10年前で、いまやそれ以前の事が想像できない(私が学生の頃は、どこかに貸し出される以外に藝大の所蔵品は他大生には見る機会がなかった)。天心のセクションにあるものはおおよそ古代から近世のもので、それが正木時代に同時代のものが増え、黒田においてはヨーロッパからのものや卒業生の留学による成果に焦点が移る。やや独自なのが平櫛のコレクションで、もともと平櫛の個人所有のものを寄贈してるだけにパーソナルな性格が前面に出ている。


私が期待していて、そして実際きちんと展示されていたのが高橋由一 (1828-1894)「鮭」で、この絵も数回見ているが、2007年に金刀比羅宮高橋由一館を見てから再見しようとぼんやり思っていた。改めて見て思うのは「以外と描写していない」ということで、図版で縮小されたものを見ていると誤解しがちだが、実寸(140.0×46.5cm)で見てみると、その描きは極端に高密度なものではない。私が高橋に特有だと感じている、引き延ばす油絵の具のグラデーションに、点々と鱗を示すタッチが重なり、切り取られた身の部分には赤地にすっ、すっ、と線が引かれ骨や肉の構造をしめしている。これが離れてみれば見事な迫真性を帯びる。例えば金刀比羅宮の「貝図」のような、油絵の具による極端なモデリング感覚(貝の表面のごつごつが実際に油絵の具の凹凸によって表現されている)は希薄だ。


もう一つ感じたのがその表面のマットな性質で、これは基底材が紙であることにもよるのかもしれない。油がある程度吸われているような質感を覚える。高橋には他にも紙に描いた作品があるけれども、この「鮭」ほどそのような感じがするものはちょっと記憶にない。金刀比羅宮の、麻布に描かれた「なまり」などは描かれた時代を忘れそうになるほど絵の具が生々しく、その生々しさが私にとって高橋由一の気にかかる特徴なので、「鮭」はそういった「高橋らしさ」から若干距離がある作品と感じられる。「鮭」が黒田清輝によるコレクションであることは、そしてこの作品こそ高橋由一の「代表作」として扱われ、教科書に載り近代日本絵画において最も著名な作品としてフレームアップされていったことは、何かしらこのような「生々しさ」の欠如、ある種の枯れた感覚を与えるサーフェイスに由来しているのではないだろうか。同じく藝大にコレクションされている「花魁」(今回は出展されていない)の方が、遥かに高橋由一の特質を表しているように思うのだけれど、どこかそのような高橋の「生々しさ」は背後に回されている。


平櫛田中の作品の、単なる写実に収まらない異様な感覚は以前から注目していて、平櫛コレクションの面白さというのはセクション単位では際立っていた。このことには展示自体も意識的で、その象徴として「白狐」が取り上げられていたけれど(ぶっちゃけ「なんでこれがいいのか分からない」と言っている)、「維摩詰」(橋本平八)なども興味深い。平櫛田中の彫刻の「収まっていない」感覚は、私はその木彫にしてはやや大きすぎるボリュームにあると思う。平櫛の作品のマッスの感覚は、明らかにロダンのようなブロンズ鋳造の彫刻にフィットするもので、例えば高村光太郎の「鯰」(東京国立近代美術館)のようなサイズこそが、木彫彫刻というメディウムに最適なものだろう。このようなクラフト的サイズであれば素材はその質量を消し去り純粋なイメージとして立ち上がる。それが平櫛の彫刻だと、どこかボリュームがイメージから溢れ出し、メディアとイメージの断層からマテリアルがこぼれ出す(そういう意味ではミケランジェロ的だ)。


私がここで言う「ボリューム」あるいは「マッス」という言葉は、けして実際の作品の物理的サイズだけをさす物ではない(それが無関係、という意味ではないのだけれど)。例えば単に木彫の大サイズ、ということなら言うまでもなく近世以前からの古典にいくらでもあるのだし(運慶の阿・吽とか)、明治期に入ってからでも、先立って東京国立博物館の常設で見た高村光雲「老猿」などがある。だがそれは、要するにモダンなスカルプチャーとしての、近代的空間に対する作用という側面が(どんなに大きくても)希薄か、まったくない。それはいわばイメージとしてのサイズに近い。平櫛の彫刻は、小品であってもその空間への働きかけが過剰なのだけれど、それを支える基底材が大理石やブロンズでなく木材なので、どこか柔らかなその表面が、自らの働きかけた空間への反作用によって滲み出てしまっているように思える。


正木直彦時代のものは退屈と言えば退屈なのだけれど、曾我蕭白などが入っているのはやはりインパクトがあった。ボストンに岡倉天心が流出させようとした仏像を無理にコレクションした、などという話は当時の様子を想像させる。展覧会は既に終わっている。