長澤英俊展を、埼玉県立近代美術館川越市立美術館で見てからだいぶ時間が経ってしまった。もう一ヵ所、いくつかの作品が展示されている遠山記念館は未見で、少し半端な状態だ。この作家が素材として扱っているのは重力や時間、距離、関係といったもので、木材や石材、金属といった物理的マテリアルは、通常の彫刻というジャンルにおけるメディウムとは異なる役割を与えられている。一般に彫刻においては、物質をメディウム(媒介)として空間や時間といった抽象的で不可視のものを現前させてゆく。ところが、長澤氏においてはこの順序が逆で空間や時間、重力といった不可視のものをメディウムとして扱い、その結果鉄や石材、あるいはそれが置かれる場所などを異化してゆく。


存在が関係を生んでいるのではない。関係が存在を現出させている。例えば素材を複数組み合わせて自立体としてしている作品(1989年の「鷲」、2008年の「蝶の木」、1993年の「イリデ」等)は金属や石材を組み合わせていって、最終的にバランスをとっているのではない。質量にかかる重力の関係は、いかに複雑であってもあるポイントでかならず均衡する、あるいはそのような均衡ポイントからダウンロードされた所に物の存在の有り様が現前するのだ、という確信から作品は開始され、そこから逆算して様々な素材が連結されて作品が成り立っている。1972年「二つの石」「二つの輪」、あるいは2002年の「二つの円錐」といった作品は(表面的に)同じ物が隣り合う事で差異が露呈するのではなく、差異それ自体が近接・連結されることによって物の現れが露呈する。


今回の展覧会から私が連想するのはブルネレスキの建築だ。例えば捨て子養育院においては、比例関係の音楽的とも言える連結が建築空間を生み出していて逆ではない(建築を組立てて行った結果数理的関係性が「表現」されているわけではない)。ドゥオモのクーポラも同様であって、私には長澤氏のイタリアとの繋がりはブルネレスキにこそ見いだせる。少し詩的というか、作品の「見せ方」にややグラフィカルな演出効果のようなものがあって、ブルネレスキほど隙がなく厳格、とは流石に言い難いが(長澤氏が学生時代デザインを学んでいたというのはとても良く理解できる)、構成要素の扱いにフェティッシュなところがない為にクールな仕上がりになっている。


個々の作品を形成するマテリアルは様々だが、それらの物質を扱う技術がいずれも優れているように見えるのは、あくまでそれらのモノが成り立っている背景の論理(作家がいうところの「イデア」)に対して正確だからであって、職人的に鉄の加工技術や大理石の削り方をひとつずつ集積し束ね合わせてもこのような作品は作る事ができない。また、「距離」は長澤氏の作品においてとても重要なポイントを成している。複数のピースが適切な距離を持つ事で、様々な諸力が現前している。彫刻における単一性という問題は長澤氏の作品においてはねじれた形で(つまり複数の事項の関係の反照として)のみ扱われる。この展覧会は神奈川県立近代美術館と国際美術館を巡回するが、3ヵ所の会場に分散して布置されている今回の展覧会が、最もこの作家の特質に沿っていると感じる。


長澤氏はコンセプチュアルアートの作家ではない。長澤氏において「関係」や「距離」といった見えないけれど確実にあるものこそが即物的にリアルなのであり、それらをまるで粘土を素手でこねるようにほとんど触覚的に扱える作家なのだ。空間や重力といった目に見えない素材の編み目の結節点をありありと浮かび上がらせる有り様が「彫刻家」であるとするなら、むしろ従来の彫刻家のイメージこそ再検討されるべきなのだろう(ブルネレスキがあくまで建築家であり、ブルネレスキこそ未だに建築家の定義を再更新し続けているのと同じように、と言ったら言い過ぎなのだろうか)。


長澤英俊展−オーロラの向かう所