・個展まで1週間を切った。作品はそろっているので、あとは梱包し、輸送するだけ。またDMの発送が遅れているのでこれを順次消化してる。淡々と進めればいいのだけど、私はこういった作業が得意ではないので、なまじ作品に向かっている時より肩が凝る。殻々工房の空間は2007年にも展示をしているし、今年の7月にも訪れて確認している。pdfになっている図面をみてちょっと配置を考えるくらいで、あとは現場に行って作業することになる。もちろん記憶と図面だけでは、今回製作した作品を置いたときの関係は掴めないから、ボリューム的に少し余裕を持って会場に持ち込み、適宜取捨していくと思う。


・台風は過ぎた。天気は回復しそうだ。搬入予定の12日は晴れの予報で、那須の紅葉が楽しめればいいなと思っている。殻々工房からは、観光客による渋滞に注意してくださいとアドバイスを受けた。私は黒磯まで鉄道で行って、そこからバスに乗り、広谷地で降りて2,30分歩くつもりだが、気温の想像がつかない。今日等は南風が暑いくらいだったが、いったいどんな服装でいけばいいのだろう。


・それがいかなる運動であれ、その後にはキャリエリスムの波がやってくる。一度潮が引いていけば、そこには身もふたもない現世的な位置の保守作業が開始される。これは構造、というべきもので、実際それは腐敗ですらないのだ。キャリエリスムは常態としてあって、一瞬それが消えているような錯覚が覆う場面があるだけだ。反動と言う言い方も正しくない。現実に即して言えば、人は恐ろしく切実に、文字通り必死になって各々何かを守るのだ。生きる為に。


・鋭敏な(と言っていいだろう)人は撤退戦を闘わざるを得ない。私はそれを哀しいと思うような立場にない。私には単に、守らなければならないものなど何もないだけだから、自分の仕事を、自分の認識を、ひとつずつ確かめていく。それ以外に製作、ということはありえないし、勿論のこと作品を作っていく(認識を確かめて行く)プロセスにおいて、そのような流れなど一切無関係なだけだと分かっている。


・志の高い人々があちこちにいる。認識が持続している。連帯などしないし、対立もしない。そんなものなど必要としない人というのが「美術界」と無関係に点在していて、そんな風景は過去も未来もきっと変わりはしないのだ。だから私は何にも絶望していないし(正確に言えば、例えば1999年の時よりは数段楽観してさえいる)、自らの活動の環境は贅沢すぎるくらいだ。やりたい事があり、それをやっている。というより、美術家なんて、それしかないのだ。