・14日、15日と那須に行ってきた。天候が不安だった14日は、東北自動車道上で空が明るくなってきて、平地がいたるところで鮮やかに紅葉している栃木県北部に来た頃には、光が雲の間から差すようになってきた。那須I.C.から一般道に降りたら、殻々工房まではわりとすぐで、到着して会場に入ったら、驚くくらい眩しい空間になっていた。冬の、低い角度の日光が、大きな開口部から斜めに差し込んでいて、こんなきらきらした殻々工房は初めて見た。


・作品のコンディションは問題なかった。これだけ明るいと、残しているキャンパス地の素材の差がはっきり見える。P50号の、ゴムべらのタッチがはっきり出た作品は、久しぶりに見ると自分の作品なのに妙に触発されて、たぶんこれが次の作品のスタート地点になるのだと思う。搬入時になかったデジカメでいくつかの会場風景と、個々の写真を撮影する。前日に買ったばかりのデジカメは手ぶれ防止機能が付いていたが、光量があるのでその性能が発揮されることがない。改めて会場を見てみると、なんだかきらきらしている理由が分かった。開口部の外に広がるウッドデッキが、午前中の雨で濡れていてそこに反射する光がきらめいているのだ。


・今、夏には終える筈だった個人的な事業が延びに延びて佳境にかかっていて、まったく絵を描く事も見ることもできていない。こういう期間というのは、ここしばらく記憶にない。そして、このように美術、というものから一端身を離してみると、自分がここまで活動して来た事が信じられなくなる。私は学生時代、アトリエにいなかったせいか結果として身の回りに「絵描き仲間」がいない。そういう環境でブランクを迎えると、本当に周囲から美術、というものが消えてしまう。一度意識すると唖然とするほどだ。目に入るどこにも美術がない。なんという健康。


・それでも、というかだからこそ、そのような健康と無関係な場所のイメージというのが消えてはいない。健康と無関係な場所とはもちろん不健康な場所ではない。不健康という概念は言うまでもなく健康に最大限依存している(最近はあまり見かけないが、20代の頃は稀に自分の不健康さを自慢する人がいてびっくりさせられた)。本当に、単に関係がないのだ。私は健康に満たされた環境の中で、根本的に健康に興味がない。こういう書き方をすると誤解されそうだが健康を軽蔑しているわけでもない。反転していえば健康に無関心な人間だけが健康なのではないか?


・個展の会期も半ばを過ぎた。次期「組立」のためのメールのやりとり(相変わらず顔を会わせない企画だ)は非常に高密度な中身になっている。ちょっと面白すぎて公開できないのが悔しいくらいなのだが、果たしてどうなるのだろう。この段階が「組立」で一番面白い時間なのかもしれない。そういうステップが今来ているというのも奇妙な偶然だと思う。