アトリエ(兼住宅)を自前で持つことは経済合理性がない。郊外の既存の建物・住居の空家率は上がっている(逆に都心ではより集中的に需要が増す)から、そういった空家を上手く安く調達する、あるいは複数人でシェアしてゆく、といった形態がリスクが少ない。一等地以外の不動産価値は人口減に従って長期にわたって下降トレンドになっていく。美術家の多くにとって、実家にいるのでないなら賃貸をサーフィンしながらやっていくのがモアベターな筈だ。インフレによる借入金軽減は少なくとも今のところ期待できない(デフォルトでもすれば話は別だけど)。


国分寺周辺、あるいは多摩地域には共同アトリエが点在している。オープンスタジオなども行われていたようだ(参考:http://www5.pf-x.net/~openstudio/4/あるいはhttp://machida.keizai.biz/headline/221/)。こういった空間は昔からあったが、私の学生時代と違うのは一般の住人ではない美大学生・作家への賃貸が地域に認知されてきていることではないか。音や匂いを出す、あるいは不動産を汚損する可能性の高い作家による賃貸は敬遠されることが多かったが、ここにきて空家となるくらいなら貸してしまう、という状況が産まれてきた。過疎化の進む地方で「村おこし」の一貫としてのアートイベントと連動したアーティスト・イン・レジデンスのような形は10年以上前から活発になっていたが、そんな流れが東京近郊にまで浸透してきた。


大型ショッピングモールに客を奪われ閑散とした駅前の商店街などの「村おこし」ならぬ「街おこし」としてのアーティストへの空き店舗・空家の解放あるいは貸与etc.は珍しいことではない。東京芸大のある取手の試みは既に長い期間に渡って定着している(参考:http://www.toride-ap.gr.jp/)。アートによる「街おこし」は美術において最も主要なシーンだと言って間違いない。私が埼玉県川口市で体験したのは、まさにそういう事態だ。第一回「組立」は、見ようによっては街おこしアートの一環だった、と言うことは可能だ。


類似したことは東京近郊で今後も広がる。それは一過性のイベントではなく住居兼アトリエという恒常的なものにもなるだろうし、なってほしい。地域とアーティストの相互関係の構築は進行していくべきとも思う。一時期ドイツのベルリンの再開発地区が期間限定で美術家に広く利用されたが、「定住エリア」を東京都下に作って、美術家だけでなく地域や行政、マーケットが積極的に「利用」してもいいのではないかと(楽観的すぎるが)思う。


私がアトリエを持った理由は経済合理性では語れない範疇「家族」と「死」の問題に集約される。前者は中間共同体、公共圏の問題と言い換えてもいい。私は絵を描きながらどのように死ぬのか。父は病院で死んだ。脳梗塞で倒れて3年間病院にいた。わずかな効果しかないリハビリをかなりの期間続け、それが終わったら痰の除去が難しいという理由で介護型の病院に入った。母は毎日通って献身的な世話を続けたが、自宅で見ることになったら遥かに過酷な状況になっただろう。こういう事が可能だったのは、高齢者に対する福祉に一定の厚みがあったからだ。


日本は高齢者福祉に配分が偏っていて若年世代が苦しんでいるという指摘がある。私もそう思う。そしてその是正には時間がかかる(高齢者は数が多く投票率も高い。若者世代は逆)。今言われている高齢者偏重が是正されるとして、若年層が一定の範囲以上の高齢者を切り捨てられる社会が実現した時、切り捨てられる「高齢者」は私達以下の世代ではないか。端的に言えば、我々以下の世代はかなりの程度病院で死ねない(病院にいられない)のではないだろうか?その時、死体は誰がどのように処理するのか。


私が考えているのは育児ではない。育児は賃貸で可能だしそれが合理的な場合もある。また自分の親の介護でもない。今の高齢者はかなりの範囲で公的サービスの中でケアされる。問題は自分自身の介護であり自分自身の死になる。私は若い時、死など考えなかった。もう少し言えば、勝手に生きて勝手に死ぬつもりだった。今でもそう思っている。しかし社会状況は変化している。公的サービスのない中での責任をとらない死は誰かに極端な負荷をかける。今を生きる以外一切の余裕がないならともかく、僅かでも未来の死を考える幅があるならその思考は夢想的なものでなく現実的であった方がいい。


人は簡単に死ねない。ある段階まで元気に生きてある日あっさり死ぬ、なんていう夢は父の死後では見ていられない。徐々に身体が弱り、判断力が低下し、排泄に困るようになり、身動きがとれず理性も失われてから緩慢に死ぬ。そしてそのような老化を避けられる美術家はいない*1。私は前段で高齢者が若い世代に負荷をかけながら生きて死んで行くことが不可能になるだろう、というようなことを書いたが、これは実際にそうなる、という予想ではなく、そうであった方が良い、という個人的な見解だ。


具体的には私の子供に私は「適切に捨てられる」必要があると思っている。彼等が、ではなく自分が「勝手に生きる」ために、いくつかの条件はあったけれど、私はアトリエを持った。私は自分で自分の死を生きなければならない。微妙な問題だからこういう言い方になるけれど。


と、ここまでの流れにまったく関係ないけれど、作品の保存場所に一定の目処がついたのは作業場の広さより遥かに重要なことだった。公共サービスというなら、少なくとも一定年齢以下の美術家には簡易な倉庫でも貸与してくれないかなと思う。それこそ不便な田舎でいいわけで、いくらでも場所はあると思うのだけど、アトリエやレジデンスでは田舎は積極的なのに、作品保存場所、という話が出ないのは発想がないだけではないか。倉庫では人がこない、というならついでに展示やイベントをかませばいいわけで、いくらでも展開できるとおもう。

*1:あたりまえの話だが、なぜか美術家というイデオロギーは死と老化の問題を美的なロマンチズムに基づいた刹那主義でしか語らない。老後に備えるなんていうのはアーティーではない、というわけだ。そういう美意識が許された豊かさはもうこの国には存在しない-というか私にはない