IKAZUCHIにて大友真志展「Mourai 5」。photographers' galleryの向かいに小さな(photographers' galleryだって大きくはないので本当に小さな)空間があって、そこにカラー写真のプリントが展示されていた。展示を見たのが少し前で、ちょっと記憶があやふやなのだけど、会場に入ってすぐの壁面には上下2列に額縁なしで壁に直接プリントが貼られていて、他の壁面には金属のふちにマットで額装された作品が展示されていた。写っているのはどれも、住宅のちょっと広い庭らしく、芝生あるいは短い草で覆われた少し広がった場所と、その周囲のあちこちの植え込みの植物、あるいはそこへと続く(そこから伸びる)小さな道など。画面の隅に庭に面した家の一角や縁石のようなものも写りこんでいる。必ずしも手入れが細やかにされていない、適度に放置されながらもどこかに人の気配のある庭で(芝のようなものの生えた地面は人の足が時々に入っているように感じられる)、一部の草は枯れ、その隣には咲いた花があり、しかしその花も一部はしおれ、散ってもいる。それなりに場所を選んだように植え分けられた植栽は、一度植えられた場所でそれぞれに伸び、一部に勢いがあり一部にはない。


四角い画面の構造上の特長としては、焦点となるようなモチーフがない。私は大友氏の展示を過去3回見ていて、特に2008年の、モノクロで南の島を撮った「Northern Lights 3 大東島」展のとき、やはり植物の多い場所で、しかしどことなく真ん中に広がりのある空間が多い構図-それは道であったり広場であったり川であったりしたが-を感じ取っていたけれども、今回もそのような、画面の中ほどが少しひらけているような作品が多い印象がある。しかし、いわば「中の空いた空間の広がり」といった抽象的な主題がコンセプチュアルに追及されているわけでもない。なにかに囲まれながら、少し開けた場所の奇妙な親密性と緊張感は、独特な「感情」で満たされている。伸びゆく草花、衰え腐敗してゆく草花。生きながら病みながら死にながら生えている庭草、それらが混然とまだら模様となり、そこに住む人との関わりを感じさせながらしかしそこに住む人と無関係にある。今年に入ってからの個展「Mourai 1」で、大友氏の家族(お姉さん)が座っていた窓際の椅子らしきものが、今回の写真の隅に写りこんでいたから、ここはお姉さんの住んでいるところの庭なのかもしれないと想像させる。


大きく単独のモチーフが構図を埋めたりしていないこの写真群に写っているのは何なのだろうか。もちろんそれはある住宅の庭の草花の作り出す物理的な広がりなのだけれども、そういっただけではこの写真作品の、奇妙な「力」は捕らえられない。「Mourai 5」を見て得られるものは、視覚的に強いインパクトとか鮮やかなイメージといったもの、それをとりあえずは「早いイメージ」/見た瞬間に効果を最大限に発揮するイメージと言っていいとおもうのだけれど、とにかくそういった即効性のあるものではない。まるで、知らない間に飛んできて、不意に見るものの意識の中に着陸し、そこから徐々に根を伸ばし芽吹き萌えあがる草花のような、ごく緩慢な、しかし放っておけば着実に成長していくような種類の速度を持ったイメージなのだ。実際、私はこのレビューを書く気がなかったのだが*1、数日過ごしている中で、今回の展示の印象がどんどん自分の中で芽生え成長し増殖してきてしまった。このイメージを支えている技術的な基礎としては、おそらくその写真の細やかさ・解像度にあると思える。ごく何気なく撮られたように見える(実際その構図に「作為」のような痕跡は見て取れない)写真は、非常に解像度が高く細かな部分まで分け入ってみることができる。強い意図でトリミングされず、いわば構図的に「決まって」いない、茫洋とした広がりのある構成とこの高解像度の組み合わせが、とても豊かな情報の量と質を形成している。


必ずしも自然でない、しかし過剰にコントロールもされていない、草と、花と、広がりと、閉じられ方と、黒く湿った土。これらが生み出す「感情」は、時間をかけてみるものに浸透してゆく、あるエロティシズムにつながっている。この官能性は「性」的というよりは、「性」的なものを含みこんだもっと大きな「生」的なもの、といっていい。芽生えるもの、伸びるもの、病むもの、衰えるもの、死ぬもの。これらの優しい混ざり合いが、閉じながら開くある場所に静かに満ちている。私は、これと似たようなエロティックな感情を、上述の作家のお姉さんが主題だった「Mourai 1」でも感じていて(それを、そのとき会場にいた大友氏本人に伝えたら笑っていた)、このような官能性は、むしろ作品の図像的な構造としてはずっと共通項の多い「Northern Lights 3 大東島」展では感じなかった。あの時得られたのは、もっと厳しくソリッドな、硬質な細部(本当に微細なところまで写ったすごいプリントだった)で、形式的に言うならそれはまずモノクロかカラーか、という問題になるだろう。このことは実際大きな問題だとおもうのだけれど、しかしそういったフォーマルな見方では明らかに掬い取れないイメージが、大友真志という写真家の強靭さを満たしているようにおもう。IKAZUCHIという展示会場は、今回の作品に異様にマッチしている。まるで写真の中の庭が再現されたようだ。


●大友真志展「Mourai 5」

*1:大友氏の連続個展は見ることのできた「Mourai 1」からここまでに既に数回行われていて、「1」と今回の「5」以外を見ていなかった私はレビューを書くことに抵抗があった