サッカーワールドカップで日本代表がカメルーン相手に勝っちゃった。びっくりした。日本代表は、恐ろしくリアルに、勝ち点を狙うサッカーをしてその目標を達成した。この成果の原因は大きく三つある。第一に非常にはっきりとしたコンセプトを持っていたこと。第二にそのコンセプトに基づいた選手起用を貫いたこと。第三に日本代表の調整が上手くいきカメルーン代表のコンディションが悪かったこと。ことに最初の2点は間違いなく岡田代表監督の功績で、しかもこの功績は昨日今日の話ではなくこの人のパーソナリティーに基づいている。私はぶっちゃけまったく期待していなかった。わざわざblogには書かなかったが、オフラインでサッカーの話題が出れば、岡田代表監督の悪口しか言わなかった。そして今でも私は岡田監督のサッカーを好きではない。しかし、地元開催以外のワールドカップで初めて勝利したという実績、しかも十分なバックアップがあったとも言い切れない(例えば私のような観客にクサされている中で彼らは戦った)環境での勝利は正確に賞賛されなければならない。


第一点の「コンセプト」とは、妙な言い方だがとくに前半で「得点できなくてもかまわない。失点しないことを目指す」というものだ。ごく普通に日本代表の属するグループで、最弱は日本でブービーカメルーンなのだから、予選突破するならここで勝ちを目指すのが普通だ。しかし、今回の代表は、とにかく守れ、点は後回し、という姿勢を明示した。フォワードでない本田のワントップ、という陣形がそれを示しているし、戦い方においても、開始10分の非常に慎重な滑り出し、相手も守ってくると見てからも、右サイドからの駆け上がりくらいが目立つくらいで無理にゴールを狙わない姿勢、守備に人数をかけること等を淡々と続けていた。非常に良い動きをしていた松井からのクロスが本田に渡りゴールに結びついたが、前半はもう、それだけの試合だった。後半も代表は形を変えない。エトーは長友を中心に組織でおおよそ抑えられてしまい、その結果カメルーンペナルティエリアの中で本当に怖い動きはできず、単発のぎょっとするようなミドルシュートが外れたらそこまでだった。


私には代表チームが異常に落ち着いて見えた。まるでキリンカップを戦っているのか、くらいの平常心を感じた。この平常心の表れが足元でのボールコントロールとそこからの無理のないパスで、4年前のドイツ大会での硬さを考えたらおどろくべきだった。ゴールを決めた後の本田の動きなど、練習試合もかくやの地味さだった。この落ち着きは無理のなさが元にある。無理とはつまり、ありもしない決定力をがんがん示さなければいけないことであり、勝たなければいけない、という思い込みだ。勝たなくていい。スコアレスドローでよい。この考え方がはっきりチームの方針としてあったために、日本代表は持ち味、すなわち粒の揃った技術者たちによる組織的なプレーを十分に出せた。基本的に守って1点、というのは岡田監督がJリーグ、ことに横浜マリノス時代に見せていた形で、そういう意味では岡田監督らしい。また、更にさかのぼれば、3戦全敗だった1998年ワールドカップフランス大会での、アルゼンチン戦、クロアチア戦も同様の姿勢だった。


2点目のコンセプトに基づいた選手起用が、これまた岡田監督らしい。具体低にはスター選手の排除で、今回ならば中村俊介の先発外しになる。しかも、アジア予選では一貫して重用してきたのが本戦でサブにまわす、という1998年の三浦カズを彷彿とさせる展開だ。岡田監督という人は理知的で論理的な戦略・戦術を持つ人で、形式的に情勢を分析して最適解を目指そうとする。結果「物語」を無視する。サッカーに込められ、サッカーを駆動する欲望、というものに無頓着だと言ってもいいかもしれない。1998年であれば、誰もが日本サッカーを牽引しドーハで涙を呑んだカズがワールドカップに出た姿を見たいと欲望していた。しかしそのカズをあっさり切った。今回「ナカムラ」が出ないことは、国内のみならず海外のメディアでも驚かれたはずだ。事実上、ドメスティックではなくインターナショナルに知られた選手はナカムラしかいなかったのだから。


例えば2006年ドイツ大会日本代表監督のジーコは、こういう「サッカーの欲望」に忠実な人だった。欲望の体現こそがサッカーであって、極端な話ジーコにとっては勝ち負けより「サッカーの欲望」の方が重要なのだ。しかし岡田監督は、サッカーを純粋な形式としてとらえ点取りゲームに還元する。負けたら勝ち点は0であり引き分ければ1だ。スター選手を擁して果敢な攻撃的サッカーを展開しても負けたら0点。地味だろうがなんだろうが引き分け以上で勝ち点が入る。誤解をしてはいけないが、岡田監督はナカムラが人気選手だから外したのではない。コンディションが悪いから、そしてコンセプトに基づくチームバランスに不要だから外したのだ。今のチームにも中村は入れて入れられないわけではない。遠藤の位置であれば投入は可能だ。それをしないのは岡田監督にとって選手はパラメーター以上のものではないからだ。この姿勢はワールドカップにおいては根本的に正しい。魅力的なサッカーを求められるのがワールドカップではない。勝ち点を積み上げ結果を出すのがワールドカップなのだ。


こういうサッカーをする岡田武史という人を私はやはり心から「好きだ」とは言えない。しかし、私が4年前に書いた「リアル」という言葉に、結果的に向き合ってきたのが岡田武史監督であることも事実だろう。岡田監督は夢を見なかった。与件に対し常に最適化を目指す。与件が変われば解答は変わる(だから周囲から見れば、常に戦略が強化試合ごとにゆらめき何がしたいかがわからない)。そしてそういう姿勢が、意外にも選手たちの信頼を一定程度確実に集めてきたのだろうか?直近の練習試合の結果が思わしくなかった中で、あれだけチームがまとまって監督のコンセプト通りに動いていたのは、人望がなければ成り立たない気がするがどうなのだろう。例えば今回のカメルーン戦、残り時間10分を切って、明らかにピッチ上で一番エモーショナルだったのが岡田監督だった。面白いことに、この人は選手に対し人生訓みたいなことを言うのも好きな人で、前述のような形式的な頭脳と、相反するキャラクターが同居しているのかもしれない。カメルーンのルグエン監督のチーム内での位置など、可哀相なくらいだ。


率直に言えばカメルーン戦はかなりのラッキーゲームだった。本来のポテンシャルを発揮してこない相手に対し、ぽろぽろとしたパスミスを連発してもなんとかなったし、最後のパワープレーはべたべたに下がってしまって、いつトゥーリオオウンゴールするかとひやひやだった。阿部のクリアミスを拾ったエンビアの恐ろしいシュートはバーに救われた。だが、サッカーはそもそも常にラッキーを手にしないと勝てないゲームなのだ。結果的に勝ち点3を取ったのは非常に大きい。おそらく次のオランダ戦も岡田監督は先発を変えない。私はもう、こうなったら岡田監督は「勝たない」と明言して挑んでもいいと思う。0−1で負けることを目指す。引き分けたらそれこそラッキー。そういうあり方でいいのではないか。皮肉ではなく勝ち点の計算からいけば合理性はある。稲本の投入が遅いのが気になるので、ここは、改善すべきだろう。「まだわれわれは何も手にしていない」という岡田監督のコメントは正しい。


今回のワールドカップは、日本にかぎらずどの試合もセーフティーというかおとなしい。開幕戦の南アフリカのチャバララの素晴らしいシュートが強烈だったくらいのものだ。理由の一つにあのボールの軽さがあるのではないだろうか。なんだか羽でも生えているかのようにふわふわして見える。韓国代表がやはり落ち着いた強さを見せていたが、それより2004年のユーロの時の印象が強いギリシャがめろめろに弱かったのが気になった。ハリステアスとか、同一人物に見えない。