・「組立」で書籍を作っている。いつかも書いたけど、「組立」のようなインディペンデントな試みとしては過分な方々にご寄稿いただき、正直編集能力が追いついていない。そんななかで感じたことがいくつかある。


・本を作る中で分かってきたのは、編集作業の重要さだ。本を読むという経験の、かなりの部分は実は「編集」を読んでいるようなものなのかもしれない。だから、編集というのは、一度ちゃんとやりはじめると際限なく大変な作業で、その際限のなさは例えば小説家がひたすら文章を紡いでゆくこととほとんど拮抗しはじめるのではないか。


・逆に言うと、多分、編集ってイージーにやろうと思えばかなりイージーにできる。ぶっちゃけ、なんの原稿整理もされていないものを整理整頓して組み上げて行く印刷屋は、ほとんど編集作業を肩代わりしているようなもので、しかもそのように投げられてくる仕事は実際多い。無論編集者が入っていない仕事というのはあるのだが、実際には間に編集者が入っているにもかかわらずそのように進行する印刷業は一定数ある。この場合、「編集者」はデータのやり取りを仲立ちしているだけだ(それが重要なのだ、という言い方は可能だけど)。


・よく大手出版社の編集者の給与の高さが問題になるけど、現在の状況の妥当性は置くとして、すくなくともそうなった経緯は理解できる。編集者とは、それぞれの専門分野のコンテンツクリエーターと同等の教養と知性を保持していて、かつかなりオールマイティーな実務能力も求められ、さらに市場を感じるジャーナリスティックなアンテナも必要になる。このような高スペックで、しかも集団作業に必要なコミュニケーション力も、となれば、必然的に大手出版社はリクルートにおいて高学歴に焦点を合わせて高い給与を提示しなければ人材が確保できない。今問題になっているのは、そうした高い品質の書籍よりも、無編集の、雑駁な素材がネットなどを通じて供給され、それをエンドユーザーが勝手に無償で編集したものが大量に浮上した結果、従来の高品質で高価な書籍やコンテンツの需要が相対的に下がってきている、ということではないか。


・今、you tubeニコニコ動画、あるいはblogやtwitterで行われているのは、そういう無編集の素材の供給とそれをユーザーが各自勝手に無償で最低限の編集を施したコンテンツの一般化で、いわゆるMAD映像や「まとめ」log(2ちゃんねる纏めサイト)、トゥギャッター、はてなブックマークといったものは明らかな「エンドユーザーによる集団的編集」だ。こういうものを考えれば「コンテンツ」の経験のかなりの部分が「編集」によって形成されていることが逆説的に理解できる。


・しかし、世のコンテンツの全てがそのような形態に流れる事はあり得ない。一部の専門家が言っているように、いかに書籍の電子化が進行しても、編集というポジションは無くならないだろう(逆に、今までイージーに流れていた「編集」は、かなりの程度淘汰されていくだろう)。問題は、そのように維持される「べき」編集、つまり品質の高いコンテンツ(それが本と呼ばれるにしろ呼ばれないにしろ)を作るのに必須な編集という部分を、どのようにマネタイズしうるかだと思う。


・ごく単純に言えば、誰がどのように「編集」にお金を払うか、という事が焦点になるのではないか。最大の壁は、高度な編集を要するパッケージと、それを賄うだけの売り上げがあがるパッケージにはズレがある、ということだろう。今までの「非効率」な大手出版社の編集には、じつはこの部分を解消するシステムが内包されていた。簡易な編集で大きく売り上げるものと、緻密な編集を必要とするものが一つの体系で生産されていれば、簡易で大きな売り上げの部分で、難易度の高いニッチなものが手当される。しかし、このような「無駄」が排され、簡易な編集で済むものはそれなりのコストでパッケージされ、そこで流通から売り上げまで完結してしまえば、合理的に「難易度の高いニッチなもの」が市場から排除される。


・では、精度の高い編集作業を要するものはどのように生産されるのだろうか。一つには「独立プロジェクト制」が考えられる。専門書のように、ニッチだが手間のかかるものは、その都度必要性を感じる人々がIT等を介してネットをつくり、それごとにチームを作って1つずつコンテンツを作っていくやり方だ。ここでキモになるのが自由度の高い編集者の筈で、彼は必ずしもフリーである必要はない。出版社にいながら持ち込まれる企画に随時対応すればいい。こういうのは既にある程度行われているだろう。


・巷間よく言われる流通・取り次ぎの問題がここで怪物的に立ち上がるのだが、しかし僕の感触では、ニッチなものを作るのであれば、これは以外となんとかスルーできる課題であるように思う。今の様に同人誌の流通経路が一定の整備もされ、ネット通販のノウハウも一般化されていれば、かならずしも正規の取り次ぎを介する必要はないだろう。それは勿論、コスト削減につながるし、そういう手法自体も自由度の高い編集者は持っていることが望まれる。


・課題は、そのような編集者がどこにいるかが分からない点だ。いわゆる「業界通」の世界では共有されているだろう情報が、あまり表に出ない。MAD映像あるいはMAD書籍とも言えるものが溢れつつある中、高度な「編集」を求めている人はいわゆる「業界の外」に逆にかなり増えてくるのではないかと考えているんだけど、そういう需要に編集者が答えていない気がする。いろいろな要素はあると思うのだけど、そこには「編集者は表に出るべきではない」という美学が影響を与えていないだろうか。


・作家は黙って黙々と作品を作るべきだ、というのが今や美意識というよりはイデオロギーであるのと同じ様に、編集者は表に出るべきではないというスタイルもイデオロギー化して内面化されていないか。個人単位でみればそのような姿勢は美徳だとおもうけど、やっぱり状況は変化しつつあると思う。そういった高い倫理性が、今も稀にいる「凄い編集者」を律していると想像しながら、しかし同時に「専門書の編集承ります」といったポータルサイトみたいのが一つくらい出来てもいい時期が、来ているようにも思う。