川村記念美術館でのバーネット・ニューマン展が終了した。この企画が今の日本で実行されたことの貴重さを確認したい。バーネット・ニューマンが今の今までまともに紹介されなかったという事実は、「恥」以外の何物でもなかったのだし、このような「恥」を、今になってすすいだのは、一私企業の擁する美術館の、おそらくは少人数(の努力)なのだ、と想像すると、「美術」に関わる日本人ならば川村記念美術館に深い尊敬を抱かないわけにはいかないと思う。同時に私個人の正直な感想を言えば、やはり国内初のバーネット・ニューマン展として、作品点数がこれしか集まらないのは寂しいと思ってしまったことは告白しておく。これが今の、私たちを取り巻いている環境なのだ。


川村記念美術館は2004年のロバート・ライマン展、2008年のモーリス・ルイス展、2009年のマーク・ロスコ展と、戦後アメリカ美術の重要な作家を取り上げる展示を続けていて、いずれも充実したものだった。それに比べると、今回のニューマン展はやや苦しいものであったことは認めないわけにいかない。直ちに補足すれば、これは川村記念美術館およびこの企画単独の限界ではない。要は国内にほとんどニューマン作品がなく、それらを集めることができない故の困難、すなわち日本全体のニューマン受容の貧しさが現れていたわけだ。美術館が自らの持つ重要作家の作品を外へ、事に海外へ動かすことに対し慎重になっているのは世界的な流れなのだし、実際、モーリス・ルイス展も国内美術館のコレクションが一定の質と量を維持していたからこその内容だった。作家が存命していて全面協力したライマン展、またイギリス・アメリカ、そして川村記念美術館に分散していたコレクションの有機的な繋がりを確認することが可能だっだロスコ展などは僥倖だったわけだ。そういうラッキーのなかった今回のニューマン展の内容は、戦後アメリカ美術受容の日本での臨界線をありのままに示していた。


それでも順路冒頭、「存在せよ1」が見ることができたのは、素晴らしい経験だった。この1点は展覧会全体を支えている。「存在せよ1」を緊張させているのは徹底して表面の質だろう。ニューマン作品をジッブとフレームの関係で捉えようとすると、肝心な側面を見失うことになると思う。ニューマンにおいて重要なのはどこまでいってもその表面のたち現れがしめすものなのであり、形式的な記述を進めても「表面」にたどりつけない(端的に言ってニューマンほど図像や画集=写真によって作品を分析することの空虚さが露になる作家もいない)。「存在せよ1」の表面が示すのは、その絵肌が意外なほどしっかりと「描かれている」という事実だろう。絵の具が質になっている、といってもいい。筆によって、薄く溶かれていない油絵の具が、ぐっと押さえ込まれ定着させられている。この絵の具の押さえ込みは、恐らく赤褐色の色彩によって要請されているように思う。あるいは反対だろうか?このような描きによって、あの独特の鈍い鮮やかさとも言うべき発色が現象しているのかもしれない。そしてそのほぼ中央にある真っ白いジップが破綻なく成り立っていることにも注意したい。


マスキングテープによって残されたキャンバスの地ではない、絵の具の白は、非常に強い。これ以上太くなると、おそらくその色面はあまりにも「色面」としてしか機能しなくなる。また、「白」によって色彩が死んでしまう。結果、画面が、いわゆるデザイン的なコンポジションになってしまう。あのジップの細さは、あそこでの「白」が平面全体をニューマン的「光」として稼動させるために必要なのであって構成の問題ではない。気をつけたいのは、ここでいうニューマン的「光」とは、一般的なひかり、明るさのイリュージョンとは異なるものなのだ、ということだ。「存在せよ1」が立ち上げているものを名指そうと思うならそれをとりあえず「光」というほかはないに過ぎない。ニューマンの作品に自然のアナロジー、それがたとえ「光り」であっても自然現象のイリュージョンは存在しない。ここで開かれているのはとことん「絵画平面」としかいいようのない、絵画にしか開示できないものだ。


また、川村記念美術館の所蔵する「アンナの光」が、ニューマンの作品の中でもかなりエポックメイキングで重要な作品であることが確認できた。上で私は国内のニューマン作品の受容のなさを書いたが、ごくわずかなニューマンの中で川村記念美術館が「アンナの光」を持っている(常設され専用の部屋まである)ことがいかに貴重なことか。世界でニューマンに関心を持つ人は「アンナの光」を見るためにわざわざ千葉まで来なければならないのだ。「存在せよ1」と比べて「アンナの光」はその絵の具の有様が優れて平滑であり、それが油彩ではなくアクリルによって描かれていることが構造的に了解できる。無論「アンナの光」がニューマン作品中最大であることはすぐ分かることだが、しかしこのサイズは、いわば絵の具の有様、色彩といった複数の関係から導きだされたもののように感じた(すなわち「最大の作品」であろうとして作られたわけではない、ということだ)。ここでも作品が生み出すのはニューマン的「光」と言うほかはないが、ニューマンが素晴らしいのは、このニューマン的「光」が作品個々でそれぞれに異なることだと思う。ニューマンといえば、シップを「発見」してから以降、一貫してそこから動かなかったわけだけど、しかし作品個々では、けして同じことを反復してマニエラ化していなかったことがよくわかる。


例えば私は「名1」は、あまり上手くいっていない作品であるように思う。もう少し正確に言えば、「名1」はその着地点の選択において作品の本来の飛翔能力が十分に発揮されず、いわば「上手くいきすぎて」おもわず簡単に(こう言ってよければ「きれいに」)まとまってしまった作品ではないかと思う。しかし、「名1」がなぜそのような着地をしてしまったのかと言えば、ニューマンがけして同じ作業を繰り返すことなく、1枚の絵を描くたびに、その1枚の作品の展開に即して物事を考え絵筆を動かしているからであって、このような「失敗」の存在こそが、ニューマンという作家を真に画家たらしめている。ニューマンはあくまで自らの絵画の表面から考えている。あるいはそこからしか考えられない。彫刻作品「ここ2」はまったく成功していない。ジップは実態的に置かれても機能しない。逆に、意外なほど魅力的だったのが版画作品だろう。「18の詩編」(リトグラフ)では赤の濃度の一番近い作品が、ロスコとはまったく異なった世界を見せていたし、無題のエッチングはニューマンにおける黒の位地−それはすなわち色彩全体との関係において−について興味深いものだった。


カタログも相変わらず気の効いた、他でみることのできない造本になっており面白い。イヴ=アラン・ポワ氏、近藤学氏の論考、前田希世子氏のエッセイも、貴重なニューマンのインストーラーになっていたように思う。冒頭で点数などへの寂しさを書いたが、しかし三菱一号館美術館でのマネ展と並んで2010年をマークさせる展覧会だったことは間違いない。