現代が剥ぎ取られた現代美術/MOTアニュアル「世界の深さのはかり方」

東京都現代美術館MOTアニュアル2011「世界の深さのはかり方」を見てきた。この展覧会は2011年2月26日から開始され、5月8日まで展示される予定だが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によって一時展観が中断され、今でも開館時間が変則的に改定されている。様々な困難を押して展示を持続している美術館、作家は本当に立派だと思う。同時に、この展覧会がコンセプトとしている「世界の深さ」自体が震災によって変化してしまっているのではないかという思いを私は持っている。この展覧会のwebサイトには以下の文言がある。

いたるところでさまざまな価値観の転換期をむかえているような現代にあって、美術の世界も例外ではありません。
本展では、身近にある素材といわば端的に手仕事と呼べるような技法を用いて、自身の足元、そのよって立つところをあらためて問うような制作を続けている作家たちを紹介します。彼ら/彼女らの素材や技法の選択は意図的にシンプルでありながら、それによって生み出される作品の数々は、私たちを遠いところへはこんでいくような、広い射程をもっています。身の回りの物事をてがかりに、「見ること」や「聞くこと」あるいは「時間」や「空間」といった、ふだんは前提とされている事象の成り立ちが、作家それぞれの仕方で、あらためて問われ、見出されていくのです。


「自身の足元、そのよって立つところをあらためて問う」というような視点は現代美術の世界ではオーソドックスな問題設定だろう。一般に脱近代社会において大きな物語が終焉したあとの個々の小さな物語の散乱を基底においていく、そういった傾向は文学や映画、演劇といった幅広い芸術分野で共有されている。言ってみればその時々の「身の回りの物事」=日常を、いかに鮮やかな切り口で視覚化してゆくかが日本国内の現代美術というゲームのルールだった。その始まりが1970年の大阪万博以降だと仮に想定すると、「価値観の転換期」を「あらためて問う」ような現代美術はかれこれ40年もその伝統を重ねてきている。皮肉と受け止められては困るのだが、このような終わらない「価値観の転換」は無論高度資本主義によって構造的に強いられている(モデルチェンジは作り手の意思によるのではなく構造的必然である)のであって、これを常に問い直そうという動機自体は妥当性がある。問題はこのような問い直し自身がルーティーンと区別がつかない状況に震災がやってきた、そのときには「自身の足元、そのよって立つところをあらためて問うような」展覧会は、普段は見過ごされる内実を試されてしまう、ということだ。結論から言えば私はこの展覧会はそのような試練に一定の回答を提出できていると思う。


MOTアニュアル2011「世界の深さのはかり方」がオーソドックスな「自身の足元、そのよって立つところをあらためて問う」という問題設定をしたとき、その手法として採用したのが「身近にある素材といわば端的に手仕事と呼べるような技法を用い」た作品に注目することだった。この即物的な態度(作品の意味や内容ではない)技法・素材への注目は、震災やその後に続く原発の影響によって切断されない。切断されるのはそのような技法・素材によって形成される「身の回りの物事」の方である。この展覧会は偶然ではあるけれども、技法・素材を通して「身の回りの物事」を照射したことによって、図らずも震災の前と後で切り替わってしまったもの、とくに「東京」の状況の断層を露出することに成功したのではないか。可能であれば震災前にも見ておきたかったが、率直にいってその段階ではこの展覧会にアクチュアリティを見出すのは難しかった。それが今、まったく異なる文脈におかれることによって開催初期とはことなった意味が発生している。この展覧会を見ることで、観客はゆらぎ崩れ去り無効になってしまった「自身の足元」と、いまだ考えるに足る「よって立つところ」を考え直すことができるように思う。

  • 冨井大裕氏の作品はいろんな意味で今回の震災によって影響を受けたものだろう。ダンボールやティッシュやスポンジ等、それこそ「日常」にある素材を組み合わせ異なる状況に置いてみせ、それらの物事が再発見される、まさに現代美術の優等生のような作品群だと言える。意地悪く言ってしまえば(ここまでの言い方がもう意地悪いかもしれないが)、これらがまさに見慣れたものであった状況が、3月11日以降、少なくとも東京においては変化してしまってはいないか。端的に言って収納ケースや画鋲が「普段と違って見える」ための「普段」が前提できなくなってしまったのだ。地震当日以来「日常的」な相貌しかみせていなかったものが店舗や住宅で、一気に様相を変えてしまった中で冨井氏の作品を見ると、どこか懐かしい感じを持ってしまう。こういった作品が新鮮に見えた、そのような「日常」を私たちは失ってしまったのだ。ただし、個別に見れば、たとえば積まれたダンボール箱(多分地震によって一度崩れたのではないかと想像される)や並べられた金槌の、ひんやりとした怖さには、この作家の鋭敏さも感じられる。言ってみれば、震災前にほとんどの人が予感もしていなかった日常の危うさを、この作家はどこかで予見し予感していたとも見えるのだ。また、日常は全部が全部変わったわけではない。壁にスクリューされたティッシュを見て、放射性物質より花粉の方がいまだに重大な人はにやりとするかもしれない。いずれにせよ、冨井氏は変化した世界にも柔軟に対応していくセンスを持っているだろう。
  • 藤純子氏の作品は一部が地震によって見ることができなかった。それでもこの作家が、いわば「自然な記憶」の人工的な再構成による経験の純化に興味を持っていることはわかる。閉じられた空間に美術館の天井窓から日光を導入し、布などで調整しながら展示場所全体を柔らかに変容させる、その中に桜の花びら(造花)、コップの底への風景の投影などを配置してゆく。一角には何かのメモのような数字が描かれ、透明な素材に印がきざまれている。ここで「自然」は、あくまで人工的なもの、再帰的自然であることは注意されていいだろう。木藤氏こそ、いわゆる生の「自然な記憶」を一切信用していない作家なのだ。ここでの経験はあらゆる意味で操作され調整されたもの、作り上げられたものにすぎない。胎内的なイメージがあるとすれば、その胎内は実際の母の子宮ではなくサイボーグ的なものだ。私たちはあくまで未来に対してしか帰っていくことはできない。木藤氏の描く夢のような未来のやわらかさは、物理的に地震のようなものによって壊されていく弱さを持っているが、この弱さを単に否定していいのかはまだ私には判断できない。
  • 関根直子氏の絵画は一見、手法と素材の関係が明瞭に感じられる。鉛筆、あるいはペンの、単純な線を積み重ねるだけであるイメージを浮かび上がらせる紙は、描く、という単純な行為がいかなる状況にあっても可能性を持っていることを確認させる。しかし、この作家はとくに大型の作品で、シンプルな素材と手法の集積を映像的イメージに従属させてしまうのだ。短い鉛筆の線が画面を埋めていく、その先にあるのが光の明滅する風景的イメージ、あるいはある種の遠近感を伴った深奥空間を形成してしまうのは、あまりにも単純な回答ではないだろうか。絵画が、すくなくともその歴史において最低限回避してきた「写真みたい」というレベルに、この作家の多くの作品は行き着いてしまっている。いまどきこのような事をいうのが馬鹿みたいに見える、というならば、これらの作品は言葉の真の意味でクラフトあるいはイラストといわれるべきだ。とはいえ、小型の作品、ことにボールペンらしきペンで描かれた、まったく映像的情緒性に依拠しない作品は見るに値する。この方向性の作品がもう少し見たいと思う。
  • 池内晶子氏の、会場に糸を張ってシンボリックな像を浮かび上がらせる作品は、少なくともそのコンセプトにおいて、震災の前後でほとんど影響を受けなかったものだろう。壊れやすい素材と手法が、緊張感とともに独特の空間を開いてみせる。ここで素材は「日常」あるいは「身の回りのもの」というコノテーションを最小限に縮減されている(それは単に細くて長くてある程度丈夫ならいいのだ)から、外的「日常」の変化がおおよそ関係ない。ホワイトキューブの美術館空間に依存しているが、だとするならば長い廊下の壁面に一本だけ張られた糸の作品は、視覚的なエフェクトに頼らないぶん、更なる強さを持っている。問われているのは身体と空間、あるいは重力や張力といった物理的要素の有りようで、鮮やかなプレゼンテーションとは裏腹に普遍的なテーマを扱っている。ただし、やはりこれは美術館やギャラリーの外に出るのは難しい。なぜそれがいけないのだ、といえば、美術作品とは一義的に作品の力それ自体で自立すべきだからだが、そんな古臭い近代的姿勢などどうでもいい、というのであれば話はそれまでになってしまう。美術作品は美術館を美しく見せる道具ではないのであって、池内氏の作品にはあくまで「空間」へむかって開かれていてほしいと思う。
  • 椛田ちひろ氏は今回、展覧会のテーマに対してもっとも直裁に向かった作家かもしれない。ボールペンによる描画を異常に集積させることで、椛田氏が露にするのは「手仕事」から遡行され見出される何事か(それを、とりあえずは「質」と呼ぼう)だ。54枚のドローイングが匂わせるボールペンのインクの存在感は、油絵のようなものとは異なった物質のボディを浮かび上がらせるし、それが映像的なイメージに依存してしまうこともない。ただし、この作家は明らかに見せ方にこだわって失敗している。具体的にはボールペンの描画の集積した紙の中央を切って壁面の黒を見せた作品が、その壁の黒が単なる塗装でしかないために質がなく空虚になっている(空虚が見せたかったというなら壁の地の色のままにすべきだ)。単純に描いた紙だけ無骨に提出したほうが数段よかったはずだし、鏡を張った箱状の空間に糸を這わせた作品も上手くいっていない。おそらくこの作家は、原則的に「画家」なのであって「現代美術インスタレーション」の体質は欠いているのではないか。アーティスト的なイメージを演ずるには、あまりにも本格的な人なのでかえってしくじっている。唯一、布にボールペンで描画して天井からつるした作品は破綻していない。ここには一見、力押しをする作家にみられてしまう椛田氏の、肯定されるべき繊細さが定着している。
  • 八木良太氏の、カセットテープの磁気テープを球体に隙間なく張り付け、回転させる再生機に置いてノイズを発生させる作品は、どちらかといえば音楽家の実験に近い。展覧会のコンセプトからは良くも悪くも一番遠いところにいて、そのことが自由な印象につながっている。指の指紋にレコード針をあてて音を出す作品も含め、まったく美術館という場所に依拠しない点は池内晶子氏と好対照だろう。私が八木氏に一番強い印象を持ったのは、たまたま会場を訪れた当日行われていたパフォーマンス(というよりはライブ)の音で、ことにその最初の、ノイズだけを響かせた振動は聞く人の身体、それも内耳に直接作用するようなものだった。人によっては不快だったのではないだろうか。やがてその音の上に、ありがちな効果音のようなものがかぶせられ、それなりにまとまった「ミュージック」へと変化し、気の利いたDJプレイ以上でも以下でもなくなってしまっていたが、冒頭数分間は確かに音が物質的な圧力を維持していた。この人は既存の美術にはまったく縛られていないが既存の音楽には強く拘束されている。


今、美術館に限らず、東日本では劇場でもライブハウスでも、絶えず放射性物質を放出し続けている壊れた原発の存在や津波の惨禍を、心の中から完全に払拭して作品に接することは難しい。そこでは現実が、あるいは構造が露出した。今後、このような「日常」を「素材」にした「美術作品」は年内にも各美術館でフューチャーされるようになるだろう。被災地で集めた瓦礫のインスタレーションだろうか。テレビで流された原発事故の映像やYouTube津波の動画を適宜編集したビデオだろうか。行きかったtwitterのデマのログのプリントアウトだろうか(なんでもいいのだが)。それぞれに、時にはセンスよく、時にはガジェット風に、意匠を違えた「現代美術」が国内でプレゼンされ、そのうちのいくつかが適当に選ばれて「フクシマ以後のニッポン」を表象する「国際アート」として流通するだろう。これらは単に事後的に「現代」を捏造するだけのものでしかない。いまや本当にリアルなのは「現代」をはずした、ただの「美術」のはずだが、たまたま間に震災を挟んだMOTアニュアルは、偶然にも「現代」が剥ぎ取られた「現代美術」を提示している。