超お化け屋敷・横浜トリエンナーレ2011

横浜トリエンナーレ2011「OUR MAGIC HOUR−世界はどこまで知ることができるか?−」。この催しが特に水準の高いアートイベントではないことを指摘しても仕方がない。かつて椹木野衣は現代美術を「東京ディズニーランドと勝負できるか」と言ってみせてカウンターとしていたが、横浜トリエンナーレ2011はむしろ「としまえん」や「富士急ハイランド」のお化け屋敷と比較してもいいのかもしれない。私は「としまえん」の、しかも「お化け屋敷」に《めくるめくような刺激》を求めたりしない。家族や友人、恋人と「としまえん」の「お化け屋敷」に行くことは、むしろその「ゆるさ」や「すべってる感じ」を媒介にすることでお互いの関係を繋ぎなおす契機とするためだろう。また、そのことで世界と自分の結びつきを結果的に把握しなおすことができれば最良の結果だろう。横浜トリエンナーレ2011はそんなに悪くないお化け屋敷だったのではないだろうか。皮肉ではなく。


コンセプトとしてはMAGIC、つまり合理性だけに囚われない魔法的な視点から世界を見渡したとき、そこに主知的な既存の「現代美術」では獲得できない豊かなヴィジョンが描けるはずだ、ということで、これに対応したのが迷路的な確定されない順路あるいはそのような入り組んだ空間を利用した作品、美術館内部を極端に暗くする演出、シュルレアリスムのマスターの作品(エルンストなど)とコンテンポラリーな作品の連結、あるいは日本郵船海岸通倉庫内への「森」の持ち込み、フロアを貫通する樹木に象徴されるはっきりとした「深層意識」の導入といった展示だ。結果的に「お化け屋敷」風になっている。豪華といえば豪華なお化け屋敷だが、これらがある密度を持てばかなり独特なトリエンナーレになりえた筈だと思う。海外の同種のトリエンナーレビエンナーレでありがちな社会的問題提示(ポリティカル・コレクトなもの)、あるいはドクメンタで見られたモダニズムの再検証、といったところに行かなかったのは、ジャーナリスティックなカンとして正しかったと思える。


正直に、国内の各地のトリエンナーレビエンナーレの実績を見ればそのような「ハード」な「ハイ・アート」では動員的にうまくいかないことは、美術に携わる人ならば内心感じ取っていたはずなのだ。かといってインタラクティブ的、ゲーム的な、露骨なエンターテイメント指向も取り辛い。今の日本の状況でMAGICなるファンタジー的切り口をもってくるのは楽天的にすぎるといえばその通りだけれど、流石に3月の大震災や原発事故に即応したテーマにすることは難しかっただろうし(出品作にはこの事態に応答したものもあった)、無理にそのようなことをしなかったことは良かったと思う。むしろ、このような状況においてなおMAGIC、といったファンタジーが受け入れられるこの社会を再提示する意義はあっただろう。しかしそれがなぜ芸術の提起というより「お化け屋敷」にとどまったかといえば、端的に「テーマに沿った展示の工夫」ばかりが目について、肝心の「今回横浜トリエンナーレが考える芸術とはこれである」というコアが見えないからだと思う。イベントの仕掛け、いわば入り口は相応に作られているが、その入り口から、どこへ連れて行くかという核になるメッセージがない。あるのは断片的なアイディアの破片であって、それらの破片がけして有機的に結びついていない。


はっきり失敗しているのが横浜美術館の展示室、マグリットやエルンストらのシュルレアリスムの作品と横尾忠則や石田哲也といった日本の具象絵画を近くにおいて見せたところで、デルボーと並べられたハン・スンピルの作品も含め、通俗的シュルレアリスムのイメージで雰囲気を煽りコンテンポラリーの作品を「テーマに沿わせた」ミスリードに誘導しようとしてる。ここではシュルレアリスムに対する厳格な理解が提示されず、コンテンポラリーもあわせて作品が実に安直な「ムード作り」の道具になっている。マジカルなムードを醸成して、奥に誘いこんだところで提示されるのは「いろんな作品」というしかない、相互の関連が明快でない展示であり、キュレーションの腕力のなさが露出している。強引に、テーマを押し付けるために作品をねじ込むならそれで押し通したほうが効果的だろうし、そんな無茶は出来ないというなら、もう少し作品に歩み寄った、なんの特徴もなくても普通の見やすい展示にすべきだった。

  • 個別の作品を見ていく。第一会場の横浜美術館で序盤に面白い展示をしているのが田中功起で、展示室の前の空間に美術館の備品らしきものを配置し、簡単な仮設空間を作っている。所々に椅子を置き、また畳をひいて「ご自由におくつろぎください」といった張り紙がテープで貼り付けてある。細い通路を備品の合間につくり、デスクを置き、モニタを置く。モニタは複数あって、そこで田中の映像作品が流れている。「美術館の展示室の前」という曖昧な場所、そこに美術館の、恐らくは普段観客がみないかあまり意識しない備品(ゴミ箱、展示台、梱包用木枠など)を配し、作業現場的な場を作り自身のパフォーマンス(と言っていいのだろうか)を見せる−このあり方に、美術館批評、あるいは美術制度批評を読み込むことは可能だろう。しかし、私にはこの作品はもっとベタに見えた。田中は与えられたその場をその場のものでアトリエにしてしまう。そして海外で行われた田中のパフォーマンス映像が流れる。田中の作品においては常にその場がアトリエであり世界中が制作の場であり原理的には世界が芸術の契機の山なのだ。このような見方は恐らく積極的に過ぎようが、単純な「美術(館)批評」というには展示への気配りが見事に制御されている。展示台を固定するビニール紐も張り紙のテープも、建設現場や引越し業者の使うようなもので一見ラフに見えるが、しかし全ての備品の配置と表面の「綺麗さ」がトータルで配慮されており、本当に汚い、あるいは乱雑になっていない。この工芸的なサーフェースが田中の作品を「作品」としてぎりぎり立ち上げていて、こういう「作品性のきわ」を見定める所にこそ実際の批評性は現れている。
  • マッシモ・バルトリーニの作品は会場の円形展示室に工事現場用の丸パイプで巨大な足場を作り、その底部の木製の台上にオルガンを設置している。巻かれるコアの突起は大きく、そこに触れて跳ねる金属板が鈍く低い不協和音を出す。その音は高い天井の展示室に反響している。いわば空間が聴覚化されている。パイプ(による)オルガン、天井の高い円形空間への設置、シンメトリーな構造と、あからさまに教会、あるいはキリスト教芸術をリファレンス元にしている。労働現場で使われる素材の聖化であり、その意味ではやや単純なのだけれども、日本という場所に設置されることでこの単純さはけしてストレートには伝わらないだろう。一見造形性が強い作品だが、はっきりと社会的な、あるいは反-資本主義的なメッセージが内包されている。アメリカはじめ各国で顕在化しているデモ、あるいは貧困問題といったムーブメントと結びつけて考えられるべきだろう。端的に言えば、このトリエンナーレにおいてはやや浮いているというか、テーマとの関連をどう作家が、あるいはキュレーターが考えているのか不明だ。が、私は、この作品は今回の横浜トリエンナーレでありえた別の「ハード」なテーマのアイディアとしてイメージできる。なぜこの方向で、つまりシリアスな現実を見据える方向でではなく、マジックというファンタジー横浜トリエンナーレが成り立っているのか、再考するポイントだろう。
  • 八木良太の作品は春先の東京都現代美術館MOTアニュアルに出品されていた、磁気テープを球にして音を鳴らすシリーズ(一つすごく大きな球があった)、そしてこれは今回私は初めてみた、アナログレコードをろくろにして粘土を焼成したものが展示されていた。あわせてアナログレコードをろくろとして使っている映像も展示されていた。磁気テープを球にして音を出す作品は、いわば音源の物質化、あるいは物質的基底の視覚化といえるが、アナログレコードをろくろにしている作品は、音源の運動(回転)の造形化だろう。現在、ライブでなければ音楽あるいは音は完全にデジタルデータとして流通しており、その加工やサンプリングもデータとしてソフト的に行われるが、八木はあくまで音源のマテリアルというか「音の身体」にこだわりを持つ。この「音の身体」とは人体とは関係ない、音そのものの基底材でありその運動だ。おそらく八木はデジタルデータのハンドリングの簡易さよりも、アナログ音源のある種の抵抗、あるいは柔軟さに「自由」そして「未来」を見ている(例えばデジタルデータは媒体の形式の変更などにより驚くほど寿命が短い場合があるが、アナログのレコードは100年くらいは持つ)。それはアナクロニズムや回顧趣味とはまったく関係がない。画家は絵の具の質感、あるいは抵抗感を示すとき「絵の具のボディ」という言い方をするが、八木は音あるいは音楽の「ボディ」をつかんでいる。
  • 第二会場の日本郵船海岸通倉庫。リヴァーネ・ノイエンシュワンダーの作品は、木で作られた台の上に五十音のひらがなが焼印された石鹸のようなブロックが置かれている。台はブロックの入る大きさに碁盤状に区切られていて、観客は自由にブロックを移動できる。複数の観客が同時に、そして入れ替わり立ち代りやってきて、升目に思い思いのメッセージを並べていく。カップルが二人の名前を並べ、男性がポップソングの歌詞を並べ、子どもが長い文章をがんばって並べようとする。並んだメッセージはひと時他の観客に読み取られながら、すぐさま他のメッセージの素材として解体されてしまう。明滅する無数のメッセージは、隣のアルファベットの書かれた台でも進行する(そちらはあまり活発ではなかったが)。文字を並べている複数の観客は文字を取り合う競争者となりやすいが、まれに相互に融通しあう、あるいは複数の人が一つのメッセージを造る。コミュニケーション指向の現代美術の典型例だが、よく出来ている。
  • 野口里佳の写真作品は、テントのような構造物に登って作業する男性を捕らえたものと、空を点々と群れで飛ぶ鳥のシルエットを捉えたもので、いずれも大判のプリントが木の額に入っている。ハイトーンの明るい画面で、色彩はほとんど感じられずブルーグレーに覆われている。いわば川内倫子以来の、女性写真の流れの一部に見えるかもしれないが、私はこの作家には明らかな独自性があると思う。それは「今・ここ」から遠く(高く)離れていこうとする衝動のようなものが、一つの世界観を形成している点だ。原美術館で2004年に行われた「飛ぶ夢をみた」展(参考:http://d.hatena.ne.jp/eyck/20040705)でも感じられたことだが、野口の作品には距離の感覚が強く刻まれている。「ここ」と「あそこ」には決定的な「遠さ」があり、この遠さは写真というメディアによってしか捉えることができない。率直に言えば、この明度の高い調子はやや消費されてしまった感があるが、そういったことに流されない強さを持っていると思える。最初期のダイバーを追ったときのようなモノクロプリントも見て見たいが、ありえないのだろうか。


2001年に「いよいよ日本にもかつてのヴェネツイアビエンナーレドクメンタのような高度に喚起的なトリエンナーレ形式のアートイベントが立ち上がる」といった掛け声とは裏腹な、パシフィコ横浜の地味な美術展示会場がのっぺりとあったり、また2005年には磯崎新ディレクターの暴走と辞任、次いで登場した川俣正ディレクターの、半ばやけっぱちの「会期が来ても延々つくり続ける」工事現場風ジャンクヤードが海風に晒されていたりしたのが横浜トリエンナーレで、正直見るたびに「次回はないんじゃないか」と思っていた。それが、気づけば開始10年を迎えていた今年の会場は、少なくとも次回の開催はあるだろうな、と思えるものだった。それはけして会期終盤の人の入りだけでなく、この、どこかアーティーな装いを放り出した「地元の祭り」の雰囲気が、横浜という町にしっくりはまって見えたからだと思う。横浜トリエンナーレは恐らく「国際的美術イベント」という内実は失っただろう。それは円高原発事故とは関係がない。横浜トリエンナーレ2011は国際的な美術の文脈からは原則切り離された、ドメスティックな催しになっていた。代わりに、少なくとも横浜の人々にとっては3年に一回のお祭りとして認知されたのであり、だとすれば横浜トリエンナーレの意義は、15年20年と持続していく他はないと思える。そんな中で、世界と我々の社会のズレあるいは断絶が事後的に明らかになる。勿論、これはあと5年10年、横トリの経済環境が維持されるという、これまたファンタジックな前提の上の話ではあるのだけど。