中央関東という可能性・館林ジャンクション−中央関東の現代美術−
群馬県立館林美術館で「館林ジャンクション−中央関東の現代美術−」という展覧会があった。7月の1日まで行われていたのだけど、僕が見に行ったのは5月の初旬で、かなり時間がたってしまった。とはいえ印象的な作家や作品がいくつもあった。
利根川友理の作品は糸やピン、釘、S字フック、様々に変形した本、といったものを使って、美術館展示室の一部に点々と配置している。日用品を非日常的な美術館の内部に導入して、日頃の使用目的から解除した形で設置し、日用(品)・非日用(美術館)をそれぞれ異化していくという手法は現代美術においてはありふれているだろう。それでも利根川の作品が鋭利なのは、それが美術館にあろうとなかろうと、あるいは美術館自体もこの作家は常にちょっと「日用」から乖離した視線で眺めているのだろうなと思わせる、独特のリアリティがあるからだと思う。例えば壁面に沿って置かれた展示台の上の面と同じ大きさの四角形を、その展示台の上の壁面に、釘やピンをグリッド状に打って「描いた」作品は、しかし、個々の釘やピンが微妙に曲がって刺さっていたりする所がひっかかりどころになっている。もしこれらのピンや釘が、正確に美しく打たれていたとすれば、この作品は良く出来た、しかし凡庸な「現代美術」の作品に収まってしまう。
同時に、それがあまりに適当に打たれていれば、作品として成立できずにいただろう。釘のバリーション、その歪みと精密さ、一見バカバカしいほど単純な作りの作品が、見れば見るほど繊細な感覚で統御されていることがわかり、その繊細さは作品の様々な要素を微分化していく。ずいぶん長い時間見ていられる。こういった特質は展示空間の中に配された作品ごとに感じられるし、それらの全体としての空間としてもいえる(展示空間で個々の作品がいわば壁に打たれた多数の釘のように見えてくる)。利根川の作品が、ぎりぎりの危ういところで「美術館」に依存した作品ではないことは、この利根川の作品の延長に「日用品としての美術館」が見えてくるところだ。利根川の作品の最も可能性の高い部分においては、美術館自体がこの壁に打たれた釘に見えてくる。フェアに言うならば、いわば見せ方のセンスあるいは展示の技術が大きなウエイトを占める作品だし、ちょっと弱いと言えば言える。しかし、本を解体していたり展示備品を使っていたりする中で、利根川が日用品としての知、あるいは美(術)の再配置を目論んでいることは確かなのではないだろうか。
五月女哲平の作品を見るのは今年のVOCA展以来二度目なのだが、この作家の意外な関心の広さを知ることができた。幾何的な図形を組み合わせて室内空間であるように見せるもの、黒い背景にいくつかの色面を組み合わせて群像であるかのようにも見せているもの、線をいくつか引いて幾何形態に見せているもの。あるいは細かいパネルに様々な線や色彩、形態、記号を描いたものを壁面につなげていったもの。言ってもればこの作家は、平面上に線や色面やを置いていった、その結果何が始まるのかを試みているようなところが感じられる。このような絵画の要素を基本的な単位に還元し、その上で再度その可能性を問うような制作は決して新しいものではなく、近代絵画史のなかで反復されてきたことではある。しかし五月女哲平の作品が新鮮なのは、むしろ極端に「新しい」ものを提示しようとはせず、古典的な(見ようによっては古臭い)絵画言語をあえてリサイクルしようとする点にあるのではないだろうか。
その意味では「He, She, You and I 2011」と題された大型のモノクローム作品が、力の入り方に見合った成果を見せていたように思う。マチスの切り絵を彷彿とさせる形象がジグゾーパズルのように画面を覆うのだが、そこに色彩がなくグレーの濃淡で描かれている。近代絵画の「ベタ」な言葉・単語を、その言葉が使われた文法から切り離し、五月女独自の文法で組み合わせている。ここがフレッシュさに繋がっている。細かなメモ的要素を組み合わせる手法はO JUNをどこか想起させるし、同世代であればその絵画要素の分解と再構成の手つきに郷正助などとも共通項を感じる。しかしその二人に比べ「タブロー」への意志は突出しているのではないか。その意志が五月女を本格的な画家に見せている。しかし同時に、マニエリズムに陥る危険も感じてしまう。その危うさも含め今後が気になる。
光山明は様々な場所で写真を撮っている。その写真には観光地によくある、パネルに漫画的な絵を描き、キャラクターの顔の部分だけをくりぬいて、観光客が顔を出して記念撮影する立て看板がある。「ニッポン顔出し看板紀行」と題されたその写真作品は、しかし実はフェイクである。基本的に光山は現場で風景写真だけをとり、別撮りした顔出し看板を合成して、まるで最初からその場所が観光地化されているかのような偽の光景を作り出す。選択された場所は茨城県東海村の原子力発電所、鉱毒で荒れた足尾銅山跡地、利用者がまったく見込めずに問題になった茨城空港、旧巣鴨プリズンのあったサンシャインシティなどである。言うまでもなくどこも「観光地」であるというよりは日本、あるいは地域社会において隠蔽あるいは無視したい歴史や文脈を背負った場所であり、そこに精密で本物とみまごうかのような顔出し看板を設置することのポリティカルな意図は明らかだろう。
そしてこの作品群は、社会の隠された暗い部分を表に出すという意味と同時に、まさにこういった論点こそ実際に一定の人々の欲望を集めていることも示しているように思われる。実際問題として足尾銅山の跡地やその廃墟は特定の人々にとって「参拝」の対象であり、その欲望はまさに現地に行って写真を撮ることで発露される。ネット上には足尾銅山跡地を訪れたレポートが多くあり、そこに多数の写真も提示されている。鉱毒跡地は実際に観光スポットなのである。原子力発電所が福島第一原発の事故以来、この国の多くの人々の関心の対象になったのは端的な事実であり、反対運動に参加する人も含め現場に行く人は増えているだろう(大飯原子力発電所の再開反対運動など)。この論点は実にセンシティブである。しかし、おそらくは長年足尾銅山の問題に関心を持ってきた光山自身がある意味銅山跡地の「観光客」であったのは事実だろう。そこに顔出し看板を設置することで、いわば政治問題を俎上にあげる行為自体の「観光」の性格を自己言及的に示しているとも言えるのではないか。作家の意志からは恐らくはみ出したこの批評性において光山の作品は凡庸なポリティカル・コレクトネスな作品から一歩抜きん出ている(すなわち「ポリティカル・コレクト」な態度の観光的性格を照射している)。
小林達也の絵画は、誤解を覚悟して言えば、あまりに自堕落だ。即ち絵画という形式がどうしようもなく持ち合わせる快楽に対し、小林はまったく規制をかける気配がない。この規制の無さは、しかし単に絵画という歴史的位置を前提にした、緊張感の欠如した適当なものではない。小林にとって絵画の快楽とは描く-見る-検討するという自己批判的なサイクルの総体に存在している。色彩が、線が、面が、言葉によって文節されている次元から溶融して線であり面であり色彩であり明暗でもある(そしてどれでもない)、そういった複雑さ、豊かさの次元を手放すことなく、同時に各要素が混濁する一歩手前で相互に差異化する鋭さも持ち合わせる。正直ここまでぎりぎりなところを攻める(例えば小林の作品は部分的に色彩が混ざり濁るが、それが別の要素によって「濁った色彩」としての明確な位置を占める、あるいは全体の構成を無視したようなえがきでありながら、どこかでふっと「世界観」を獲得している)、その画家としての勇気あるいは自信は、どこか巨匠めいて見えても来る。
小林の絵画の、奔放なまでの天国性は、恐らく絵画のフレームに対し揺さぶりをかけることに成功しつつあると思う。すなわち物理的な、画面の四方に対し視覚的な効果としてくっきりと浮かび上がるカゼインテンペラのべったりした色面のまたたきが、どこか基底面から浮かび上がるように見え、画面の矩形を消去し画面独自のフレームを形成しているように見えるのだ。それは例えば優れた絵画がよく感じさせる物理的なサイズより一回り大きく見える、といったものとは少し違う。小林の絵画においてその膨らみはどことなく不定形で、これは驚くべくことだと思うのだが、最も成功した作品においては「矩形」そのものが消えている(少なくとも薄れている)ように感じられる。これは例えばボナールの一部の作品に感じられるものと同じだ。小林の作品は近年の自在さから「打率」のようなものが下がる傾向があって、出品作すべてが素晴らしかったとは言い難いのだが、真芯に当てた打球の飛距離はとんでもないものがある。展示空間がその点数に対し十分でなく、やや狭苦しく見えたことが残念だった。結果的に言えば恐らく2点ほど作品を落とした方がうまく見せることができただろうが、基本的には美術館側の配慮の不足が原因だったのではないだろうか。何点かホールに飾るなどの措置もとれたはずで勿体無いと感じた。
北関東、館林を中心にしたエリアで有力な作家が多数制作していることは、この地域の文化的豊かさと共に、今のアーティストの生活条件を示してもいる。アトリエを含めた制作スペース、作品の保管スペースを確保しながら東京圏へのアクセスも可能であることが、この地域の特色として浮かび上がっている。とくに群馬県立の美術館でありながら県内にとらわれず、美術館から25キロ圏というエリアを提示し「中央関東」という切り口を見せたことがこの展覧会の現代性になっている。この美術館は素晴らしい環境に立地しているが、同時に今後の行政予算における美術・芸術分野への配分において横須賀市立美術館のような事態を引き起こさないとも限らない。「館林ジャンクション」展のような意欲的企画が行われる場が継続的に維持されることこそがこの地域の文化的生き残りには重要だと思うのだけれども。