30年前を素材にする・日本の70年代 展

埼玉県立近代美術館で「日本の70年代」展が行われている。同館が設立されたのが1982年ということで、パリ5月革命など世界的な「政治の季節」であった1968年から美術館開館までの日本を、漫画や商業デザイン、そして部分的に美術も含め回顧するという内容だった。高度成長によって世界屈指の経済大国になりつつあった社会のビジュアルのありかたを領域横断的に見渡す試みと言えるかもしれない。そしてこのような試みは、美術館が何を取り上げ何を排除するのか、という論点も当然引き寄せる。展示品と同時に「この展覧会で眼に見えないものは何か」を意識して見ることが重要な展覧会のようにも思える。


美術も漫画・商業デザインなども含めて、総じて既存の権威に対する「反」という意識、つまりメインあるいはサブカルチャー、という分別ではなく、ひっくるめてカウンターカルチャーとしてあったのだ、というメッセージは明快になっている。80年代に繋がる非政治的なものも、むしろその非政治性にこそ「カウンター」の意識が込められている、と。この展覧会を、単なる回顧趣味に終わらせないとしたらどのような視座がありうるだろうか。それは、恐らくいつしかカウンターではなくメインストリームとなっていった消費社会それ自体に対する未来の「カウンター」が必要になってきた、という論点だろう。政治の季節が1970年を挟んであったとして、そこから反-政治(政治的なカウンターへのカウンター)としての70年代後半、非政治としての80年代を見ていく中で、このように形成されてきた日本の消費社会こそレガシーなものとして議論になりつつある。世情を見れば否応なくもう一度「政治の季節」はやってくるのかもしれない。そこで必要な「カウンター」とは、そしてさらに必要とされるであろう「カウンターへのカウンター」はまず間違いなくかつての「カウンターカルチャー」とは違う形で形成されるだろうが、それを考える事で初めてここに展示された多数の遺物が有意義に見えてくる。


漫画雑誌や商品広告の展示などは府中市美術館で行われた石子順造展ともリンクするが、美術・マンガ・キッチュと分野を部屋単位で分けた府中市美とは異なり、ほぼクロニクルに展示物を設置しているのは、個別の作家や作品への意識というよりは文字通り時代の流れを重視しているということになるだろう。大阪万博・繊維館の記録資料(設置された四谷シモンの人形や映写された松本俊夫の映像なども含む)などは史料価値が高い。また、写真誌「プロヴォーグ」を中心にして写真のムーブメントに一定のボリュームが当てられているのは注目してよい。この展覧会を戦後日本の視覚の制度と反制度、という視点で見れば、グラフィックデザインと深く関わる形での写真は主要なメディアであることがわかる。このことが前面化するのが80年代に入ってからの広告写真で、ことに西武のポスター写真は、記名された「プロヴォーグ」の作家的写真とむしろ連続した形で見えてくる。


写真以上に全体に目立つのは印刷物関係の資料(版下資料や漫画原稿なども含める)だ。この展覧会が切り出すのは70年代が「印刷の時代」だということではないか。僕は横尾忠則の「画家宣言」以後の仕事にほとんど関心がないが(今、「いや、横尾の画家としての仕事は重要なのだ」という言明が何かしら「批評的」に有意味と感じている人がいるとすればそれは「いや、〜である」というパフォーマンスの効果しか見えていない重大な誤謬である)、その版下ワークの鮮やかさこそ感動的に映る(DTP以降の環境からは、そのデザイナーとしての手腕の方が「芸術的」とも見える)。雑誌の展示、またレコードジャケットの展示なども含め、要は印刷物というものがメディウムスペシックに、商業オフセット印刷にしかできない可能性の追求をしている。現在、webで見られるイメージをどのように取り込むかが流行っている雑誌の状況(switchなどを見よ)を考えると興味深い。商業印刷は、いわば、進行していた消費文化のプロパガンダだ。西武の堤清二に文化の転換点を見るカタログの建畠晢の指摘は重要だ。この展覧会が示そうとした「カウンター」としての70年代は、80年代初期には既にメインストリーム化していたのであり、潜勢力の喪失は始まっていた。


そういったコンテキストを棚に上げて鑑賞に耐えるのは、実はこの展覧会でスペースがわずかしか与えられていない美術の領域の作品たちであることは強調しておこう。柏原えつとむの「これは本である」−シルクスクリーンで刷られ造本された書物に「これは本である」「“これは本である”という本である」等と印字されている−の、自己言及的な作品の面白さは、同時に展示されている高松次郎の「日本語の文字(この七つの文字)」−紙にリトグラフで「この七つの文字」と刷られている−と併置させることでより増すだろう。高松次郎は他に一枚の紙の中を手で千切ってもう一度一枚に並べなおした「紙の単体」なども面白い(ハイレッドセンター以降の高松の仕事の面白さは繰り返し強調されるべきだ)。関根伸夫の「位相−大地」の記録は、以前この美術館の常設展示で小特集として展示してあったが(実際、展示物は同美術館の所蔵である)、改めて見る価値はある。


先に写真の重要性を指摘したが、榎倉康二の写真は、プロヴォーグらの写真家たちの仕事に比べ素人仕事であるがゆえに、本展カタログで梅津元が榎倉に関し指摘した「境界性」をそのプリント自体が胚胎したといえる。北辻良央の「作品」は、まず道の風景をピンホール写真で撮り、それをトレーシングペーパーでなぞる。次に同じ場所をスナップ撮影する。もう一枚トレーシングペーパーを用意し、最初のトレーシングペーパーに重ねて、後から撮ったスナップ写真も見ながら改めて風景を描く。これを少しづつ道を歩きながら21回繰り返す。ズレを内包しながら「前進」していく様は、寸断される時間と連続する時間、切り取られる像と流れる映像の興味深い確認作業になっている。作品誕生の背景に時代を読み込まずとも、これらの作品はおよそ視覚と認知といった基礎的な問題を扱っているため、ほぼ現在にそのまま導入可能だ。巷間よく言われる「美術の社会からの遊離」は、しかしこうやって見てみれば、「社会」という一般論から距離のある「個人」にとってはいついかなる場合でも有効であることの証明でもある。


府中市美の石子展でも、展示物として見るに値したのはトリックス・アンド・ヴィジョン展の再現を中心とした「美術」の部屋であったが、類似した状況はこの「日本の70年代」展でも現れている。冒頭、この展覧会が排除したものに対し注意を喚起したが、それは他でもない「美術」なのではないだろうか。もちろん、「排除」は言いすぎで、実際少なくとも上記の「美術」が展示されている。だが、これは言ってみれば「美術の排除」が排除されているに等しい(美術を「排除」することで特権化することを避けている)。美術をそれ自体独立したカテゴリーではなく、多数の諸分野の網の目の一点として相対化しているのが「日本の70年代」展で、必ずしも社会状況に即応していない美術にも社会の反映であることへの期待に反し続けている点において「カウンター」であると位置づけている。美術は先験的に権威あるものではなく、常に諸分野と並置されるという位置づけを、公的な県立の近代美術館が行うことに意味がある、というのが、一般的なこの展覧会をめぐる理解だろうし事実この認識は正しい。府中市美術館の石子展を企画した成相肇は、フェルメール展を繰り返す日本の美術館状況への「カウンター」として石子順造展を企画しており、今回、埼玉県立近代美術館での「日本の70年代」展にもそのような意図を見ることは可能だと思える。


しかし、この展覧会が意図通り実際の機能として「カウンター」たりうるかどうかは、実は意外と微妙なジャッジになる。日本が下向きであるという漠然とした了解がいまこの社会に共有されているとして、そこで排除・縮小されようとしているのはなによりも「美術館」自身であるかもしれない。全国で1000を超える美術館がそのまま維持されるとは、美術に携わるものならだれも思っていないはずなのだ。公的施設が「美術」に割り当てる力を落とすことは、大きな視点から見れば社会的要請の投影でもある。このような困難の中で、「日本の70年代」展の意義は、その企画としての危うさ自体に内在している。状況に対し単純なアンチを唱えるのでもなく、ただ従順になるのでもなく、その合間を俊敏に、よろけながらでも駆け抜けてしまうこと。こういった姿勢をもう一度トレースすることで、2012年に1968-1982という30年前のある時代を素材にするアクチュアリティが生産されると思う。