否という声、その発声の方法を練習する(もう一度)

先のエントリで、埼玉県立近代美術館で行われた「日本の70年代」展について、僕はこう書いている。

美術も漫画・商業デザインなども含めて、総じて既存の権威に対する「反」という意識、つまりメインあるいはサブカルチャー、という分別ではなく、ひっくるめてカウンターカルチャーとしてあったのだ、というメッセージは明快になっている。80年代に繋がる非政治的なものも、むしろその非政治性にこそ「カウンター」の意識が込められている、と。この展覧会を、単なる回顧趣味に終わらせないとしたらどのような視座がありうるだろうか。それは、恐らくいつしかカウンターではなくメインストリームとなっていった消費社会それ自体に対する未来の「カウンター」が必要になってきた、という論点だろう。


長く時間をかけたこの社会の斜陽の中で生きて来た僕のような人間には、ある意識が深くOSのようにインストールされている。それは「否」という発声に対する深い疑念と不信だ。ごく端的な事実として「否」という発言はネガティブなものだ。今あるものを否定する声であり、今多くの人がそれに問題を感じているにせよ「なんとかしていこう」という、ある種の努力を否定する声でもある。もっと嫌なのは、声高に「否」と発声しそれを誇示する人間に、ろくなモデルが見いだせなかったという事実がある。古臭い意味での「反権威」、「否」の発声を声高にする人間は、往々にして実際に対象を否定するのではなくその所作において自意識の肯定を図りたいだけであり、その意味で対象に依存していたし、「否」というだけで立場を確保して「反体制」の利益を確保しようとしていたりもした。何よりも許せないのは、「否」という発声が、結果として否定すべき対象を強化し補強していくという光景を、何度も見せられたことだ。


そのような状況ではまず何よりも「否」と言わないことが最も粘り強く、状況を明晰にし分解し再構成するための手段だったと言っていい。態度決定の遅延、あるいは迂回、あるいは棚上げは、対象を、世界を宙づりにすることが可能で、そのように取り扱うことでそれは解体可能なものとして見えて来る。解体可能である、と見せることは事実上解体することと同義であり、そのことをものすごくダイナミックにみせてくれたのがソビエト連邦の崩壊という出来事だった(ゴルバチョフグラスノスチ、というのはソ連ソ連に単純な「否」をいわず、ただ「対象化可能」だと理解させる行為で、そのとたんソ連は崩壊した)。現代美術、といわれるフィールドが、それでもまだ可能性を保持し何らかのヒントになっていたのは、僕にとってそれが「否」という姿勢を対象化し、そのようなものに頼らなくても世界を認識し直すツールとして有効だったからだと言っていい。それは今年僕が参加した「20世紀末・日本の美術」というイベントでも語られたことで(http://www.nakamurakengo.com/sympo/)セゾン美術館とは、まさにその出発点でもあったことは「日本の70年代」展のカタログでも触れられている。


否と言わないこと。ただ対象を宙づりにしてしまうこと。その力はとても有効だった。実際、そのことが90年代からほぼ20年かけて様々なことを解体し解消していったし、いろんな事をいう人がいるかもしれないが僕は全体としてそれはポジティブだったと思う。こと美術家/画家として、いろんな隙間や穴が見え始めて、IT技術のような手段も増えた。絵を描きたかったりものを作りたかったりしたい人には10年前には見えなかった可能性が見えていると思う。子供と同じで、可塑性の高い状態には希望がある。ただ、注意しなければいけない事がある。以前宮崎駿が言っていた言葉なのだけど『子供には無限の可能性がある。それは、無限に失敗する可能性がある、ということでもある』。僕は絵描きとして無名で小さな存在だけどおよそやりたい事は出来ているし、し続けたいと思う。でもそれを可能にしている条件は、どんどん変化している。


その変化の一つとして、「否」と言わない、ただ対象をある中点につり上げ明晰に観察し吟味するという力が、ある「姿勢」として固まってきたという事実があると思う。これはただちに「否」と言わないことを安易に批判すべきだ、という話にはならない(そういう姿勢は、もう本当にあの何度も繰り返し見られた甘えた批判者への回帰にしかならないと思う)。正確に言うならば、「否」と言わない姿勢自体を対象化すべき時が来ている、ということだ。これはひとつ間違えるとひたすらなメタ視線への後退になるかもしれないが、僕が感じているのはそういう事でもない。おそらく、何らかの形で、「否」という発声の仕方、その方法を新たに探し出す必要があるのだ−なぜなら、「否」と言わない、その姿勢自体が原初において、より深く複雑で射程距離の長い「否」の発声の方法だった筈なのだから。


ここではっきりとした方策を示す事ができたらどんなにか良いだろうと思うが、それはできない。またこのエントリは2012年の衆議院選挙の結果がでつつあるタイミングで書かれているので、それに直接対応するものと取られるかもしれない。それは全く否定しないし、実際深くそのインパクトを受けて書かれている。しかし、やはりそこだけに収斂する話ではない。これは僕が一人の生きている人間として、かつ絵描き・美術家として、その方法に対する無限の再検討の一つとしてある文章だ。いわば自分は対象を宙づりにする主体ではなく、宙づりにされた客体でもあるという基礎的な事実の再認識であるとも言える。端的に言えば美術家というのはいまや対象を、世界を宙づりにする存在ではなく宙づりにされそのまま放置されてる存在にすぎない。いいだろう。では改めて僕は歌の歌い方を、歩き方をレッスンしなおそう。それは無論自分の自意識の為ではない。磯崎憲一郎氏が言っていた、世界の肯定的な力に奉仕する、そのやり方をやり直すためだ。