キャンバスと違う所にある絵画/有原友一展

拝啓
○○さま


こんにちは。お住まいの街はやはり寒いのでしょうか。今日、埼玉は雪になっています。この冬になって初めての積雪です。うちの五歳になる長男は昨日から雪になると断言し楽しみにしていたのですが、大人は意地悪にもどうせ雨にしかならないし、雪になっても積もるほどではないだろうと言って彼を悲しい気持ちにさせていたのでした。皆寝静まっている未明に、僕は一人で起きだしてメールの返信など打っていたのですが、その時はまだ雨だったのです。明け方にもう一度布団にもぐりこんで、休日らしくのんびりとした二度寝を楽しんだ後もう一度こんどは家族中で目を覚ましましたら、雨が屋根を叩く音はしなくなっています。やれやれ、うまくあがってくれたのかなと思いつつカーテンを開ければ、子供が歓声をあげるような雪化粧をされた庭が目に入ってきたのでした。


雑草、植栽、道路、空き地、冬の畑。こういった個々に性格の異なる形、表情を持ちながら続いていく関東平野の地面は、たとえば武蔵野線(そういうのんきな名前に見合ったのんきな電車が首都圏にもあるのです)のような高架を走る電車から見下ろすと、雪に覆われなくとも、場合によってはのっぺりと均されて見えてきます。しかし、それは早い速度で通り過ぎてしまい、場所場所の様子が視界を流れてしまうからなのであって、一昨年の大地震のようなことがあって電車が止まり、高架を歩くことになったら、もう少しこのだだっ広いだけのように見える平野を見下ろす経験は面白いものになるような気がします。


そういえばお送りしたART TRACE PRESSの表紙に使われている絵画作品の作者の、実にささやかな個展が、ART TRACE GALLERYで行われているのですが、それを見た時に感じたのは、どこか架空の土地の、畑や道や湖や住宅の「凹凸」を、大地から切り取って宙に浮かせたらこんな風に見えるのかな、ということでした。今日はこの作家について知っていただきたく、お手紙差し上げた次第です。


作家の名前は有原友一さんで、ご記憶頂いているかわかりませんが僕が昨年一緒に展覧会をさせてもらった人です。会場に入ってすぐの右に作られた小展示室に、5点だけキャンバスに油彩で描かれた作品が掛けられていました。大きさは、けしてきちんとした号数で覚えてはいないのですが、そんなに大きなものはなかったように思います。10号とか、20号とか、その程度だったのではないでしょうか。特徴的なのはそのタッチです。恐らく幅5mm程度の、平筆と呼ばれる筆先が平らに切り揃えられた筆で引かれたのであろう筆跡が、時にまっすぐ、時に湾曲して、連なりつつもキャンバスの白い地を空け続いています。このタッチの列が産み出す波が“畑や道や湖や住宅のある「凹凸」を、大地から切り取って宙に浮かせた”感じに見えるのですね。何故「大地から切り離され」ているかといえば、タッチ間にキャンバスの地があるからです。キャンバスの地は、画布に下地が予め塗られた既成のものですが、視覚的には明らかに筆で置かれた絵の具と次元を異にしています。


平たいタッチと言えばセザンヌが思い浮かぶのですが、あんなに緊密で集積されたものではありません。むしろその、タッチとタッチの間を風が抜けていくような感覚はマチスに近いと思います。とはいえ、そのようなタッチの連なりが、では何を描き出しているのかといえば、別に花も果物も人の顔にもなっていません。ただタッチの連なりはタッチの連なりとしてあるだけです。先ほどマチスの名前を出しましたけれど、マチスとは異なり有原さんの作品は純粋な抽象絵画だと言って間違いない。にもかかわらず、有原さんの作品は、どこかで「外部」と、こういってよければ「世界」と関係している。先ほど関東平野を上から見たら、というようなお話をしましたけれども、どうしても有原さんの作品を見ていて想起するのは俯瞰された“畑や道や湖や住宅の「凹凸」”です。


ここで重要なのは、有原さんの作品には、決して「大地」そのものが、すなわちその凹凸をひとつの面として支える単一の「大きな地」が描かれているのではない、ということです。先に書いたとおり、実際に彼の絵には「地」はキャンバスの手つかずの地としてあるだけであり、描かれていません。そして、有原さんはそもそも「凹凸」を描こうとしてはない。彼のタッチの連なりは、そのような目的に向かって進行していない。基本的に「地」から独立したタッチが、置かれる毎に描かれる毎に、相互に関係しつつ編み目状に広がっていく、その知覚的な「広がり」が事後的にキャンバスの地からわずかに浮かび上がった架空の「凹凸」を形成しているのです。


だから、有原さんの作品は、一見すればわかるのですが、キャンバスの画布に「塗られて」いないように見える。壁に掛けた画布から、少しだけ観客のほうに近いところにあるように見えます。これこそが有原さんの作品の最も素晴らしい所だと僕は思います。このキャンバスと「作品」のある位置の差異は、いかんせん印刷では伝わりません。実作を見なければ感知できない。ART TRACE PRESSの表紙は美しくデザインされていますが、これはデザイン云々以前の、有原さんの絵画としての自立性の問題です。


その意味で会場に入ってすぐにある作品は、ちょっと飛びぬけて良い作品です。主に紫で画面右上方に緩やかなカーブの動線を描き出したタッチは、恐らくオーカー系の褐色だったと記憶している(曖昧な記述をお許しください。なにしろDMはおろか、作品表すら手元にありません)色彩の波動が左下から押し寄せてくる、その力動を受け止めている。この力のやりとり、ベクトルの関係が息苦しくなく、一見おおらかとも見えるタッチ間の空白を活かしながら画面を「絵画」として屹立させている。たったこれだけの事を引き起こす為に、作家が、どれほどの時間をかけ、どれほどの神経を張り巡らせていることか。僕はこの作品があまりに優れていたので、向いに受付カウンターがあって十分に距離をとることができない(様々な距離からこの作品を「試す」ことができない)事に腹をたてたくらいです。


重要なのは円を描くようにある紫のタッチで、この筆触は力動を、少なくともその焦点において絵画内に滞留させている。左下からの押し寄せる褐色との緊張関係も同様です。画面が、さわやかな息づかいを損なわずにしかし明快な「絵画空間」の構築として現れている。こういうことができると思います。


この作品が明快なので、比べると単体では十分に魅力的である二番目の作品、三番目の作品が、ほんの僅かに「弱く」見えてしまったことは、正直に告白せざるをえません。無論、この二点も、あるいは見方によっては細長い会場の正面の壁にあるもう一点を含めてもいいのかもしれませんが、とにかくこの三点も、昨今そうお目にかかれない、清々とした、それでいて力動と振動に満ちた作品であることは保証します。にもかかかわらず、一点目の作品の構成の力強さ・呼吸の心地よさに比して、この三点は微妙に力が画面の外に抜けている。わかりやすく言えば、この三点は、タッチの作り出す「流れ」が、画面の(フレームの)外を呼び込み、また画面の外へ放流されているのですが、ここでの「外」は、紫が使われていた作品とベクトルの強さが異なります。作品平面上空=作品と観客の間よりは、画面平面と水平方向、観客の視線が逃げていく方向から力を呼び込み、かつ力を放出している。当然ここでもタッチとその間にあるキャンバスの地の乖離関係は維持されていて、作品の位置はキャンバスの物理的な位置とは違う位相でなりたっているのですが、タッチの形成する流れが、一点目のものに比べて若干水平方向に強いので、その位相の差異が見えにくくなっています。


反対を言えば、それこそがこの三点の作品としての狙いであり、だとするなら、人によってはこの三点こそ素晴らしい、というかもしれません。実際、この展覧会が五点という出品数ながら豊かなバリエーションを感じさせるのは、こういった絵画構造の種別の違いがあるからですが、僕は大きな偏見を持って、会場入ってすぐの作品を推します。この作品もけして水平方向からの力の呼び込み、また放出というものを持ってないないわけではなく、むしろそれも主戦力として維持しているのですが(特に画面上部、あるいは左側)、それを巻き込みつつ垂直方向にもベクトルを向けている。このテンション(張力)の立体性がほかに見られないのだと思います。


また、会場にはギャラリーの受付カウンターがあると先ほど書きましたが、そのカウンター側の壁面に1点だけあった作品は、このような作品からはやや異なった、新たなステップが見えてくるように思います。この作品は「充実」しています。シンプルな言い方をすればタッチが明らかにこの一点だけ密であり、画面の地がかなりの程度かくれています。まったく地がないわけではない−ことに作品の四隅には、実に配慮の行き届いた隙間が存在します(今回出展されている5作品全ての、画面の四隅への神経の配られ方は必見だと思います)。故に、僕が上で描いた作品の有る位置と物理的なキャンバスのある位置の位相の差はあるわけですが、それが他の4点とはまた違う有り様をしているということになります。タッチの離散関係というよりは、重なり合ったタッチそれ自体の複雑さと色彩の実に精妙な混ざり合いかた、けっして濁りは見せないものの、クリアな「青」「緑」といった色彩を持つ作品とは異なる中間調子が画面に広がっている。描きの力強さにこそこの作品の「絵画性」が懸けられている。そういう意味では、1点目のものとは別方向でのチャレンジングさが溢れています。


5点の作品しかない展覧会のことで、やたらと長いお便りを書いてしまいました。この冗長さは勿論僕の能力の無さが原因ではありますが、有原さんの作品が持つ魅力が喚起したものでもあるように思います。ある意味、立派な美術館で開催されているスペクタクルな「ショー」のような展覧会と十分対等に渡り合えるだけの質をもった絵画が、あの狭小な空間に清潔に置かれています。もしも興味をお持ち頂けたら、是非ご自身の目でお確かめください。今度お会いすることがありましたら、あなた様のお考えも聞かせて頂きたいと思います。なにしろ展覧会は22日までしか開催されていません。


■有原友一展


最後までお読み頂けたとしたら、深く感謝いたします。僕の周りではインフルエンザが流行っています。なにとぞご自愛ください。再会の日を楽しみにしています。

敬具