彫刻家フォートリエ
見てから少し時間が経ってしまったが、東京ステーションギャラリーでのフォートリエ展について。僕がショックだったのは彫刻が素晴らしかった事だ。この仕事はまったく知らなかった。フォートリエについては、今まで見た中ではブリヂストン美術館や大原美術館のコレクションが印象的だった。例えば「人質の頭部」(1945年、ブリヂストン美術館蔵)、「人質」(1944年、大原美術館蔵)は相対的に良い作品だと思っていた。けれど戦後のある時期からの作品、「旋回する線」(1963年、ブリヂストン美術館蔵)などはあまり興味が持てずにいた。2011年の「アンフォルメルとは何か?」展でもいくつかの作品を見る事ができたのだけど、およそ評価は変化しなかった。そこで僕のフォートリエへの関心は止まっていたのだけど、今回出品されていた彫刻、とくに最初の展示セクション「レアリスムから厚塗りへ1922-1938」で、少し隔離された小さい空間に置かれていた3点は留保抜きに頭抜けていたと思う。
パリ国立近代美術館の「胸像」(1929年)の良さをどう表現したらいいのだろう。ブロンズで鋳造されているのだが、しかしその表面は潰された球状の粘土がぼそぼそと寄り集まったような、全く「仕上げられた」感覚がないもので、フォートリエの造形の感覚が鋳型で遮断されていない。女性の乳房の量塊がそのまま基部をなし、そこからあまり分節されることなく上へ伸びる首へ、そして頭部へと連続している。この、まったく構成的でない造形、胸・首・頭部が切り分けられず全体に一つの有機体としてある存在感はプリミティブなものだし、近代彫刻の中でも形式的な複雑性という側面ではまったくシンプルなものだ。僕の知っている範囲では、雰囲気的にはマリーノ・マリーニがポンペイの遺跡に残る遺体の石膏型に影響を受けた初期の作品がやや近いかもしれない。が、しかしマリーノ・マリーニは実に職人的に入念なフォルムの洗練を重ねる人で、今回のフォートリエの「胸像」とはどうしても相容れない。また、舟越保武が晩年、脳梗塞で倒れた後、まったく不自由な身体を押して作ったキリスト像は表面の粗さがそのまま造形的強度に繋がっている点では少しだけ連想が繋がるが、しかしやはり舟越の強烈な作品意識と、フォートリエ「胸像」の、なんとも言い難い意識化されていない、泥をすくって作ってしまったような反造形性は距離がある。
プリミティブというよりはナイーブと言うべきかもしれない。ほとんど排泄物が偶然人形に似てしまったような(その意味で東野芳明がフォートリエを「ウンコ」と積極的に比喩したのには共感する)フォートリエの「胸像」には、しかしその、固まりがべたべたと不器用に上へ上へ伸びて行く上昇感覚に、ある種の意志が感じられる。その意志は粘土の素材感やフォルムのまさぐり感を抵抗として、それを押し破るように、盛り上げる手付きにそのまま痕跡として表面にも構造にも現れている。例えば「胸像」の目や鼻や口は、像全体のマチエールにほとんど埋もれるようにしてあって、ほとんど壁のシミを偶然人に誤認してしまったかのようなのだが、しかしそれでも上を向いた、粘土のしっかり組み上げられていない自らの脆さに崩れないかのようなベクトルを持った顔面の角度の付け方、顎のはっきりとした造形(この彫刻で唯一もっとも明快な作家の意図を感じさせる)によって、意志の表出として見える。
会場で近くに置かれている「トルソ」(1928年、兵庫県立美術館)、「頭部(驚く若い娘)」(1940年、三条祇園画廊)のいずれも、それぞれの魅力を持ちながら、しかしその徹底して「へたくそ」さ(無論反語的な意味である)、こういってよければ「彫刻」性といった作品の自意識を脱ぎ捨てるようなネイキッドな感覚は「胸像」と共通していたと思う。その意味で同じ空間に展示されていた、紙に描かれたドローイング「女性胸像」(1934年)もほぼ同じ感覚を持った。対して、下のフロアに置かれていた2点の彫刻「悲劇的な頭部(大)」(1942年、パリ国立近代美術館)と「人質の頭部」(1943年、ソー美術館)は、明らかに彫刻的自意識、ある種の「作品意識」が表に出ていて僕は良くなかったと思う。「悲劇的な頭部(大)」を見れば分かるが、顔面が鼻梁を中心に半面を削ったような「処理」がされている。ここでは明らかにフォートリエには作品制作以前の「壊れたような頭部像」という完成形のビジョンがあり、実際の彫刻はそのイメージのミメーシスになっている。こうなると、1929年の「胸像」のような、無目的な造形がある意志を胚胎させてぐっと上に、あるベクトルを“生み出して行く”生成の力が消えてしまう。僕が良いと思った3点と、評価しなかった2点の会場を分けた東京ステーションギャラリーの学芸員はこれらの作品の質の差を理解していた筈だ(制作年だけで判断したのなら1940年の「頭部(驚く若い娘)」は下のフロアに置いた筈である)。
絵画作品についていうなら、代表的な「人質」のシリーズよりもむしろ、その前のいくつかの形式を試行錯誤している時期のものが面白かったと思う。「兎の革」(1927年)のような、スーチンを思わせる作品の黒の効果は記憶に残る。また、単純化された女性像を描いた1926年頃のシリーズはおよそ上手くいっていないが、「前を向いて立つ裸婦」(1927年頃)の幽霊的な感覚だけは、妙に後味が気になる。「人質」シリーズの直前の静物のあたりから「絵画」の絵画性みたいなものから逸脱し始め、そこからあの画面から横溢するフォートリエ独自のマチエールが展開するのだけど、これが戦後、とくに展覧会場の最後のセクション「第二次大戦後 1945-1964」のものになると、急激にマニエリスティックになって空疎な作品が増える。いずれにせよ、フォートリエの可能性の最も高いところは手の触感が目の造形とある一定のやりとりをしながら、視触覚的な「意志」を受胎させていくような場面で発揮されるように思う。これを、全て反視覚性、つまり近代的な視覚理性への抵抗、という側面に落とし込むと、フォートリエの、必ずしも成功していない作品のつまらなさを批判できなくなってくる。確かに「悲劇的な頭部(大)」や1950-60年代のフォートリエの駄目さは、触覚性が後退して視覚的な効果を生み出そうとしているからかもしれないのだけど。
会場パネルにあった、アンドレ・マルローの「フォートリエは現代最高の彫刻家だ」という賛辞はフォートリエの資質を見事に言い当てていた。東京展では兵庫県立美術館の充実したエッチングが展示されなかったのが大変に惜しい。絵画-彫刻の境目にあって、エッチングという技法がフォートリエにとってどんな空間を開いたのか見たかった(今回見る事ができたいくつかのエッチングでは十分な展開を確認できなかった)。