横浜トリエンナーレ2014に関するツイート
横浜トリエンナーレ2014に関するツイートをまとめておきます。全体に前回よりもポジティブに見ました。
あ、まったくつぶやいていませんでしたが、今回の横トリ、僕はかなりアクチュアルなものだと思いました。少なくとも設定されたコンセプトと作品が相互的に作用してより違った側面を見せる、という展示が複数見られた。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 10月 13
たとえば前回、設定されたテーマに対して、シュルレアリスムの作品と横尾忠則や石田哲也らの具象絵画を並べたような、牽強付会というか我田引水な展示によって作品の可能性を殺してテーマのアリバイ工作に使うような展示(僕はそう思った)より数段ノーブルではないか。>横トリ
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 10月 13
今日はもう詳しく書かないけど、例えば冒頭(展示順では)のジョン・ケージの楽譜やマルセル・ブロータースの作品、ほかに主に画面が「白い」作家を持ってきたことはある意味多くの観客に対し「親切」な導入になっていたし、その上でけして個々の作品をないがしろにはしない、結構上手い展示だった。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 10月 13
個人的には松澤宥の「本物の偽物」感、あるいは「偽物の本物」感(悪い意味ではなく、それこそ本物/偽物という分割自体をかっこにいれるような、という意味)が印象的だった。そして、あのような仕事(僕は全く「コンセプチュアルアート」とは別のものだと思うけど)に、どこか性的オブセッション(続
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 10月 13
承前)感じられたのが面白いなと思う。あと、松澤宥ってやはりユーモアがあるよなと。本人は徹底して真剣なんだが、すべての文章の最後が「80年以内に人類滅亡」(違ったかな)で終わるとか、反復されるとつい笑ってしまう。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 10月 13
パレルモは一点しかなくてがっかり。僕は基本的に大竹伸朗は部分的な絵画しか評価しないのだけど、今回の作品は(幼児的誇大妄想的とはいえ)あるていど成功していたと思う(しかしやはりみな過剰にほめすぎだと思っている)(ああいった「幼児性」を「芸術家っぽい」と思う弊害は指摘したい)。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 10月 13
あと、無知な僕に誰かイチハラヒロコと木村浩の関係性についてご教授いただきたい。
— 永瀬恭一 (@nagasek) 2014, 10月 13